佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『ザ・ボーダー "THE BORDER" 上・下巻』(ドン・ウィンズロウ:著/田口俊樹:訳/ハーパーBOOKS)

『ザ・ボーダー "THE BORDER" 上・下巻』(ドン・ウィンズロウ:著/田口俊樹:訳/ハーパーBOOKS)を読みました。

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 まずは出版社の紹介文を引きます。

【上巻】グアテマラの殺戮から1年。メキシコの麻薬王アダン・バレーラの死は、麻薬戦争に終結をもたらすどころか、新たな混沌と破壊を解き放っただけだった。後継者を指名する遺言が火種となり、カルテル玉座をかけた血で血を洗う抗争が勃発したのだ。一方、ヘロイン流入が止まらぬアメリカでは、DEA局長に就任したアート・ケラーがニューヨーク市警麻薬捜査課とある極秘作戦に着手していた―。21世紀のクライムノベルの金字塔『犬の力』『ザ・カルテル』のシリーズ第3弾、完結!

【下巻】メキシコでは再び恐怖が街を支配していた。熾烈を極める抗争、凄惨さを競ってSNSで拡散する虐殺映像。終わりなき血と暴力の連鎖に、ケラーは米国国内からカルテルへの金の流れを断つべく、囮捜査官を潜入させる。やがて見えてきたのは、アメリカ政財界とメキシコの巨額ドラッグマネーが絡む腐敗の構造だった。大統領をも敵にまわしたケラーが最後に下す決断とは―。40年に及ぶ血と暴力の連鎖は、国境を越えてアメリカ合衆国へ。全米ベストセラーの問題作。

 

ザ・ボーダー 上 (ハーパーBOOKS)

ザ・ボーダー 上 (ハーパーBOOKS)

 

 

ザ・ボーダー 下 (ハーパーBOOKS)

ザ・ボーダー 下 (ハーパーBOOKS)

 

  

 長編三部作、やっと読み切りました。第一部『犬の力』が上巻574P、下巻467P、第二部『ザ・カルテル』が上巻632P、下巻580P、そして本作『ザ・ボーダー』が上巻765P、下巻799Pという大作にして傑作。本自体、物量的に重いが、その中身、作品テーマもストーリーもすべてが重厚である。

 この物語は陸続きのメキシコから国境を越えてアメリカに流れ込む悪魔の粉を巡る物語である。流れ込むといっても自然に入ってくるわけではない。命をかけて血の代償と共に入り込むのだ。悪魔の粉の流入を断つための戦いは一見それを持ち込もうとする南米(麻薬カルテル)とアメリカの国境を挟んだ攻防に見える。メキシコとの間に高い塀を築けという大統領選挙でのトランプの主張は判りやすい。しかし、壁を築いても出入り口は残る。サンディエゴ、エルパソ、ラレドなどである。そこにはもちろん国境検問所がある。しかしその通行量たるやものすごく、数十秒に一台トレーラーが通過するのだ。それらのほんの一部でも停めて隅から隅まで調べ上げるとなれば経済活動は完全に麻痺してしまう。つまり出入り口は常に開いた状態にある。不法移民はともかく、違法薬物に関しては壁などほとんど無意味なのだ。

 麻薬問題は供給する南米に問題があるのではなく、実は北米の問題なのだ。買い手なくして売り手なし。アメリカは麻薬を買いながら、麻薬を売るな持ち込むなとケチをつけているだけ。茶番である。問題はアメリカにある麻薬に対する飽くなき欲望なのだ。そしてその欲望はとてつもなく大きく、金に糸目を付けない。快楽(薬)への欲望と富への欲望(貧困)は人の愚かさの典型といえる。人の欲望には限りがない。

 さらに問題なのは麻薬は巨大なマーケットを形成しており、ドラッグマネーは経済に組み込まれてしまっているという現実である。アメリカからメキシコに流れ込むドラッグマネーは毎年何百億ドルにもなる。その金はメキシコ国内の投資にまわる。メキシコ経済の10%前後はこのドラッグマネーで成り立っていると言われる。メキシコでいったん銀行に預けられその後合法的な金として不動産その他の投資としてアメリカにも還流する。つまりたとえ麻薬を使用したり売り買いに関わっていなくても、金の動きを辿ってみれば麻薬カルテルの一部に組み込まれていることになる。そうした救いようのない事態にいたっているのだ。単に麻薬を供給する組織を叩き潰しても何も変わらない。富めるアメリカが麻薬による快楽を求める限り、また新しいプレーヤーが出現するからだ。この底なし沼の戦争はその人的、経済的ダメージにおいてアフガニスタンベトナムの比ではない。アメリカがこの戦争に勝利することは決してない。負けて終わることもない。この麻薬戦争に負けるということは、未来永劫負け続けるということだ。

 話は変わるが、最近大麻所持で逮捕された某俳優が浅薄にも「大麻で人生崩壊するのは難しいと思うけどな。それならお酒の方が簡単だ」などと発言をしていたという話を聴いたが、笑止の沙汰である。酒はセーフ、大麻はアウト、これが今引かれている境界線(ボーダー)なのだ。大麻をセーフにしなければならない社会的必要性など医療目的利用以外には一切ない。ならぬことはならぬものです。某俳優には大麻ではなく会津藩の子どもの爪の垢を煎じて飲みなさいと言いたい。

 本三部作(『犬の力』『ザ・カルテル』『ザ・ボーダー』)を読んで解るのは、社会が一度違法薬物拒絶の度合いを緩めてしまえば、もう元へは戻らないということ。麻薬を根絶しようとする戦いはまさに戦争であり、その戦争は底なし沼でどれだけあがいてもそこから抜け出すことなどできないということである。世界的に見て違法薬物による汚染の少ない日本に住んでいることは僥倖であって、我々日本人はそれを手放してはならない。我々が大切にし、守るべきは世界的に見て強い違法薬物への拒否感であり、遵法意識だろう。

 豊かで享楽的な世界を夢みることも悪くないだろう。人類は豊かさを手に入れることで欲望を満たしてきた。しかし、そろそろ欲望のまま生きることの行き着く先に何があるのかを考える時ではないか。何が欲しいか、何がしたいかを考えるのではなく、何をしないか、何を捨てるかを考える時が来ている。そんなことを考えさせられた作品でした。