佐々陽太朗の日記

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『鷗外随想』(宗像和重:編/岩波文庫)

2022/12/07

『鷗外随想』(宗像和重:編/岩波文庫)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

近代日本の傑出した文学者で、西洋文化全般を日本に伝えた先導者、さらに軍医総監・政府高官でもあった森鷗外。その風貌に接した友人、後続の文学者、親族、軍人ら、同時代人の回想五十数篇から、厳しさと共に細やかな愛情を持った巨人のさまざまな素顔が現れる。鷗外文学への格好の道標となる一冊。

 

 

 鷗外を読んだのはいつのことだったか。たしか『山椒大夫』『高瀬舟』などを高校の頃に読んだ。考えてみるとそれ以来読んでいない。熱心な鷗外読者というわけでは全く無い。なのに本書を読んだのは何故か。私が参加している月イチの読書会『四金会』の11月課題図書だったからである。

 鷗外は1862年に生まれ、1922年に没している。今年は生誕160年、没後100年の節目にあたる。編者である宗像和重は本書の解説に「活字や写真という複製技術のお蔭で、私たちは現在も鷗外とその作品に接し、その面影を偲ぶことができるけれども、鷗外と同じ時代を生き、その風貌と謦咳に接した人々の語る言葉ほど、生き生きと鷗外をよみがえらせてくれるものはない」と書いている。まったくそのとおりだと思う。本書に収められた回想は55編。その”謦咳に接した”55人の人々は、息子、娘ら親族は当然のこと、同時代の文学者、軍人、医師、画家、歌人等々とさまざまだ。500頁ちかくの分量があるので、森鷗外の探求者でも、熱心な読者でもない私はそのすべてを読む気はなかった。同時代の文学者が書いた、その人ならではの知られざるエピソードなど拾い読みできればと思っていたのだ。ところがどうだ、55人の回想すべてを読んでしまったではないか。もちろんそのすべてに驚きや感動が満ち満ちていたなどということはない。しかし、不思議と途中で読み飛ばしてしまうのをためらう気持ちがわいてくるのだ。この気持ちはなんだろう。はたと気づいたのは回想者の森林太郎(鷗外との距離から敢えて鷗外というより林太郎がふさわしい)に抱く敬愛の情に軽んずべからざる真摯なものを感ずるからに違いないということ。なかんずく鷗外の娘である小堀杏奴の「父上の事」、森茉莉の「細い葉蔭への愛情」、息子である森類の「散歩」を読むと胸のあたりがなにやら温かくなるような気がした。