佐々陽太朗の日記

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『エコファシズム 脱炭素・脱原発・再エネ推進という病』(有馬純 × 岩田温 :著/育鵬社・扶桑社BOOKS)

2022/12/09

エコファシズム 脱炭素・脱原発・再エネ推進という病』(有馬純 × 岩田温 :著/育鵬社・扶桑社BOOKS)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

ドイツを見習え」論、グレタ・トゥーンベリ、1.5℃目標、『人新世の「資本論」』、グリーンピース(環境NGO)、坂本龍一コムアイ(元水曜日のカンパネラ)、EU……
“温暖化防止”という目的をすべてに優先させる考え方=エコファシズムは本当に正しいのか?

◎ロシアのウクライナ侵略がドイツに与えたショック
原発を“悪”と決めつけていいのか
◎中国を批判しない環境NGO
太陽光パネルは本当に地球のためになるのか
◎資本主義を批判するエコファシズムのエリートたち
◎環境原理主義全体主義の親和性
◎環境原理主義で形成される“気候産業複合体”
エコファシズムの欺瞞が貧困者と開発途上国を苦しめる

ロシアのウクライナ侵略によるエネルギー危機で明らかになった「環境原理主義エコファシズム)」の問題点をエネルギー温暖化問題の第一人者と気鋭の政治学者が論駁する!

 

 

エコファシストの本性はイカである」 これは本書の冒頭「はじめに」に岩田温氏が書いた言葉です。言い得て妙です。表面的には緑(環境)の主張をしているが、その本性は真っ赤(共産主義)だというのです。昨年ベストセラーになった『人新世の「資本論」』(斎藤幸平:著/集英社新書)という本があります。岩田氏はエコファシズム共産主義との親和性について研究し、『人新世の「資本論」』がまさにエコファシズム共産主義を架橋しようと試みる著作であったことに驚いたといいます。私もある読書会でその本を知り興味をもったことがあります。折しも私自身、行き過ぎた市場原理主義に疑問を感じており、市場原理主義が引き起こす危険について早くから指摘していた経済学者・宇沢弘文氏に興味を持っていた時期でした。宇沢氏はシカゴ大学で同僚だったフリードマンと対立し市場原理主義へのアンチテーゼとしてコモンズとしての社会的共通資本の概念を提唱した人物で、私は彼を尊敬しています。『人新世の「資本論」』がコモンズの考え方に立脚しているというのでずいぶん興味をひかれたのですが、結果として齋藤氏の主張には賛同できませんでした。何故か。それは齋藤氏がつまるところマルクス主義に人新世の問題の解決策を見出しているからです。『人新世の「資本論」』の主張するところを粗く言えば「資本主義内部から出てくる解決策では資本主義の問題は解決できない。したがってマルクスをアップデートして、”脱成長コミュニズム”にむかうべきだ。経済成長は諦めて、”資本主義的な利益最大化のための合理化という価値観”から、それを自己抑制して”万人の繁栄と持続可能性に対して合理化する価値観”に切り替えることが必要だ。そのために民衆に対し自重を啓蒙する」といったところかと思います。最後の部分が問題で、それを乱暴な表現で言い換えると、結局は「私利私欲に走る無知蒙昧のバカどもは目を覚まして指導部に従え」ということになるのでしょう。あぁ、やはりそうか。共産主義の行き着く先はやはり全体主義なのかとガッカリしました。いったい彼はソビエト連邦の崩壊、ポルポト政権の蛮行、北朝鮮や中国での人権抑圧をどうみているのだろうかというのが率直な疑問です。いかに齋藤氏の主張に見るべきものがあろうとも、やはり賛同できません。社会主義がうまくいかないことは歴史が証明しています。資本主義を否定したいという思いは理解します。しかし資本主義によって社会が発展し経済が底上げされ、人々の生活が豊かになってきたことも事実です。問題は行きすぎた市場原理主義にあるのであって、資本主義を否定し、自由経済社会を否定する考えもまた飛躍しすぎた考えでしょう。確かに行きすぎた市場原理主義には問題はあるが、その対極にある行きすぎた環境原理主義エコファシズムにも問題がありそうです。すでに経済成長を成し遂げたリッチな先進国に住む人間が、開発途上国に向かって経済成長を否定するようなことをいうのは傲慢なエリート意識でしかありません。一方で気候変動によって苦しむ人々はありますが、もう一方で貧困が原因で厳しい生活を強いられ、多くの命が失われているのも事実です。理想を語ることは大切ですが、それが現実を見ないものであれば意味がありません。偏狭な考えに陥らないよう注意が必要でしょう。あたりまえのことですが、物事にはバランスが大切ということ。そんなことを再認識できた良書でした。

 本書にあった興味深い論点をいくつか抜き書きし、記憶にとどめたいと思います。

 

(「ドイツを見習え」という風潮について)

 環境左派は、地政学的な視点を欠いているんです。ドイツは、風が吹かないときはフランスから電力を輸入しています。しかもその電力は原発で発電されている。ともあれ、電力のやりとりは欧州諸国がお互いに送電網で結ばれているから可能なのです。欧州すべての国がドイツと同じように風力依存を拡大したならば、あのモデルは到底成立し得ません。

 だからドイツと日本を比べるのはまったく意味がないんです。ドイツがかっこいいことを言えたのは、他の国に一生懸命支えてもらっていたからなんです。(有馬)

 

 エネルギーシステムの転換には時間がかかります。彼ら(環境派)が崇め奉ってきたドイツは変動性再エネを推進し、その出力調整をもっぱら天然ガスに依存する一方で、反原発原理主義、環境原理主義の立場から、原子力と石炭火力という安定電源たる両輪を封印してきました。その結果が今回の苦境(ウクライナ危機)なんです。(有馬)

 

日本のエネルギー自給率は2019年度で12.1%で、米国104.2%、英国71.3%、フランス54.4%と、他の先進国と比較してみて極端に低い水準です。エネルギー政策は安全保障政策に直結します。日本人はエネルギーを他国に依存することの怖さを、何よりも感じるべきでしょう。 (岩田)

 

 今回、我々がウクライナから学ぶべきことはすでに述べていますが、他国に依存すること、特に一国に依存することの危険性です。(有馬)

 

 戦争は必ずしも経済的理由だけでは起こりません。第一次世界大戦前にノーマン・エンジェルという人物が『大いなる幻想』という著作で、経済的相互依存、交通、通信技術の発達によって、戦争は非合理な存在になってなくなると主張しました。しかし、相互依存の激しかった英国・ドイツ・フランスは、第一次世界大戦を戦うことになります。エンジェルこそが大いなる幻想を抱いていたことが歴史的に証明されたのです。戦争は非合理的な理由で起こることもあります。決して中国の野望を侮ってはなりません。はっきりと申し上げますが、エネルギーを中国に依存することは間違いですし、亡国の選択です。(岩田)

 

 エコの議論は政治的なスローガンとして極めて強力です。赤い色のついた社会主義と違って、「緑」という優しい色で、しかも道徳的に高みにあるように見えるため、色褪せない。それどころかエコを否定すると、道義的に批判をされやすいところもある。けれども、彼らの言うとおりにやってみると、ものすごくコストが上がる。人々がそのコスト負担を受け入れるかというと、受け入れない。これがエコの致命的な弱点です。(有馬)

 

 COP24の時に、インドの商工会所の人と懇談したのですが、その会場ではグレタさんが大人気でした。私が、「彼女のスピーチを聴いて、どう思った?」と尋ねたら、「インドには水もない、電気もない村がたくさんあるので、彼女にぜひそこに来て、一か月でも生活してもらいたい」と言っていました。そりゃそうです。私は皮膚感覚的にはその意見が一番しっくりきました。(有馬)

 

 最近、再エネの導入拡大が進んでいるのは、再エネ技術の競争力が出てきたからではなく、政府による補助金で支えられているからです。(有馬)

 

 金融・サービス業中心の英国は、CO2の排出量が毎年減っています。なぜ減ったかというと、製造業をどんどんアウトソースしていったからです。(有馬)

 

 先進国のエコファシストたちに欠落しているのは、開発途上国の庶民の感覚です。ある意味では核保有国と非核国の関係に似ています。核保有国は核不拡散を正義だと訴える。しかし、自分たちは核兵器の力を存分に利用して、国際政治の中で枢要な地位を占めるに至った。だが、他国が核兵器を持つことは危険だという。これはあまりに傲慢ではないだろうかという議論です。石炭エネルギーによって富裕国、先進国となった諸国が、開発途上国には「地球環境のためには石炭エネルギーを使うことはあり得ない」などと主張することが、どれほど傲慢なことなのかを考え直すべきです。自分たちの富、国際的地位を捨ててからものを言えと思われても致し方ありません。(岩田)