佐々陽太朗の日記

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『マルクスが日本に生まれていたら』(出光佐三:著/出光興産人事部:編/春秋社)

2023/08/08

マルクスが日本に生まれていたら』(出光佐三:著/出光興産人事部:編/春秋社)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

海賊とよばれた男出光佐三が自ら語る「和」の思想。 「人間尊重」を理念に掲げ、社員は家族、非上場でよい、タイムカードはいらない、定年制度はいらない、労働組合はいらない等、独特の社風のもとに出光興産を一代で築いた出光佐三。彼が、マルクスの思想の目指すところは出光と同じであり、ただそこにいたる方法が決定的に相違することを示し、その上で日本人が世界の平和と福祉に貢献するための道標を明らかにした快著。

 

 

「もしもマルクスが日本に生まれていたら」どうなっていただろう。日本の歴史の歩みは変わっていたのだろうか。その姿は今とは変わっていたのだろうか。本書を読むまで私は「マルクスが日本に生まれていたら」という問いかけを、マルクスを主体として「マルクスが日本をどう変えただろう」という風に捉えていた。大きな間違いであった。出光佐三氏は本書においてマルクス共産主義思想の目指したものを良しとしながらも、その欠点を喝破し、もしもその根本に日本的なものが入っていたならと惜しんでいるのである。

 マルクス共産主義思想の目指したもの、それはおよそ世の主義とか思想の類いがひとしく目指すものであるが、人間の福祉、幸福であり、人間社会の平和である。資本主義的生産の下で資本家から搾取される労働者を解放せんとした。各人が能力に応じて働き、必要に応じて分配される社会を目指したのである。そうすることで人々が平和でしあわせに暮らせる社会になると考えた。しかるにその思想がもたらしたものは緊張、対立、闘争であった。なぜか。出光佐三は目標(人々が平和でしあわせに暮らせる社会)に達する手段を階級の対立闘争に求めたからだと考える。またマルクスは人間の福祉の根本を物に置いているともいう。出光はそうではなくて、人間のしあわせは心にあり、そこにお互いに譲ったり助け合ったりして仲良くするという互譲互助・日本の和の精神がなければならないというのだ。つまり出光が標題の「もしもマルクスが日本に生まれていたら」に込めた思いは「もしもマルクス共産主義思想の根本に日本的な”和”の心が入っていたら」ということなのである。そしてその考えはストンと私の腑に落ちた。

 なるほど日本には昔から”和”を重んじる精神が根付いているではないか。それは聖徳太子が制定した規範『十七条憲法』のいの一番に「和らかなるをもって貴しとし、忤うること無きを宗とせよ。」と謳われたことをもってしても明らかだろう。日本において和の道を尊んだのはなにも支配階級や知識階級だけのことではない。下々の庶民にもまたそのような気風がある。例えば古典落語に目を転じてみよう。『文七元結』というたいへん人気の高い人情噺がある。腕の良い左官である長兵衛は仲間に誘われて軽い気持ちで足を踏み入れた賭場で深みにはまってしまう。負けを取り返そうと家財道具もつぎ込み躍起になるが、年が越せないところまで追いつめられている。ひとり娘のお久が自ら吉原の遊郭・佐野槌に行き身売りを申し出る。佐野槌の女将は長兵衛を呼び、意見したうえで一年間はお久を女中としてあずかる約束で五十両の金を貸し与える。長兵衛はその金で出直し、必ず娘を迎えにくると誓って吉原を後にするがその帰り路、吾妻橋で商家の手代・文七が身を投げようとしているところに出くわす。聞けば文七は集金した五十両の金を盗られたので死んで詫びるのだという。長兵衛は文七に思いとどまるよう説得したが聞き入れる様子がない。長兵衛は迷いに迷ったが、とうとう娘が苦界に身を落とす覚悟で作ってくれた五十両を文七に与えてしまう。この噺はその後意外な展開をみせてハッピーエンドに終わるのだが、重要なのは長兵衛が赤の他人が死ぬしかないと困っているのを目の当たりにして、自分の方こそ追いつめられているのにその赤の他人を救おうとするところである。娘が遊女に身を落とそうとしているのに、何たる親だとの非難もあろう。所詮作り話だといえばそれまでだ。しかし、一庶民にせよ自分や家族を犠牲にしても目の前の困っている人を放っておけない善意があるのだということが広く社会の共通理解に無いとこの噺は成り立たない。噺が人気を博し、語り継がれることも無いだろう。そこには対立も闘争もありはしない。人を思いやり、できればみんなでしあわせに暮らしたいという思いがあるだけだ。他人が困っているのを見て放っておけずという場面は『唐茄子屋政談』という噺にもある。落語だけではない。人気漫画『アンパンマン』にだってそれはある。ご存じのとおりアンパンマンは困っている人を助けるために自らの顔(あんパン)を差し出すのだ。これが日本の子どもたちのヒーローなのである。もしもマルクスがこうした気風を持つ国に生まれていたらという出光佐三氏氏の仮定は、それこそマルクスに対する崇敬であり、愛惜の念でもある。私にも中学生の頃、共産主義にかぶれかかった経験がある。しかし歳を重ねるにつれ、保守の立ち位置に近づいていったのは、私が日本に生まれ育ったからかもしれない。この国に対立や闘争は似合わない。