佐々陽太朗の日記

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『人新世の「資本論」』(斎藤幸平:著/集英社)

2023/03/06

『人新世の「資本論」』(斎藤幸平:著/集英社)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

【「新書大賞2021」受賞作!】
人類の経済活動が地球を破壊する「人新世」=環境危機の時代。
気候変動を放置すれば、この社会は野蛮状態に陥るだろう。
それを阻止するには資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならないが、資本主義を捨てた文明に繁栄などありうるのか。
いや、危機の解決策はある。
ヒントは、著者が発掘した晩期マルクスの思想の中に眠っていた。
世界的に注目を浴びる俊英が、豊かな未来社会への道筋を具体的に描きだす!
【各界が絶賛!】
佐藤優氏(作家)
斎藤は、ピケティを超えた。これぞ、真の「21世紀の資本論」である。
ヤマザキマリ氏(漫画家・文筆家)
経済力が振るう無慈悲な暴力に泣き寝入りをせず、未来を逞しく生きる知恵と力を養いたいのであれば、本書は間違いなく力強い支えとなる。
白井聡氏(政治学者)
理論と実践の、この見事な結合に刮目せよ。
坂本龍一氏(音楽家
気候危機をとめ、生活を豊かにし、余暇を増やし、格差もなくなる、そんな社会が可能だとしたら?
■水野和夫氏(経済学者)
資本主義を終わらせれば、豊かな社会がやってくる。だが、資本主義を止めなければ、歴史が終わる。常識を破る、衝撃の名著だ。

【おもな内容】
はじめに――SDGsは「大衆のアヘン」である!
第1章:気候変動と帝国的生活様式
気候変動が文明を危機に/フロンティアの消滅―市場と環境の二重の限界にぶつかる資本主義
第2章:気候ケインズ主義の限界
二酸化炭素排出と経済成長は切り離せない
第3章:資本主義システムでの脱成長を撃つ
なぜ資本主義では脱成長は不可能なのか
第4章:「人新世」のマルクス
地球を〈コモン〉として管理する/〈コモン〉を再建するためのコミュニズム/新解釈! 進歩史観を捨てた晩年のマルクス
第5章:加速主義という現実逃避
生産力至上主義が生んだ幻想/資本の「包摂」によって無力になる私たち
第6章:欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム
貧しさの原因は資本主義
第7章:脱成長コミュニズムが世界を救う
コロナ禍も「人新世」の産物/脱成長コミュニズムとは何か
第8章 気候正義という「梃子」
グローバル・サウスから世界へ
おわりに――歴史を終わらせないために

 

 

 生産力の発展が豊かな社会を作り出し、結果として労働者階級を(生活が向上し、福祉が手厚くなったという意味で)解放したのは歴史的事実である。資本主義の発展によって、全世界的に貧困や飢餓による死者が減り、寿命が延び、人口が増えたのは間違いないところ。たとえその陰に南北問題という搾取と格差の状況が残っているといっても、いずれそれも更なる発展によって解決されるべき問題だろう。であれば環境問題という社会の発展に対する自然的制約は克服対象ととらえるべきだろう。斎藤氏はその考えとは逆に環境問題の解決策として「脱成長」を掲げる。さらに「自重を啓蒙する」とも言っている。しかしどうだろう。社会の発展を止め、環境負荷を最小限に抑えるべく快楽的な消費を慎み、競争よりも協調、欲望から解脱し清貧に生きるといったことができようか。一部の意識の高い層にはそれが可能かもしれない。しかし人類みながそのような崇高な考えを共有し実行できるとはとても思えない。世界には今196の国家があり、80億人近い人が住む。いかに啓蒙すればそのようなことができるというのだろう。全員の啓蒙が無理だとすれば、強力な権力をもって人民を指導する体制しかないではないか。しかし正しい(?)理念と理想を持つとされる指導者の専制による社会の失敗は二〇世紀の共産主義国の末路を観れば明らかだ。人間は誰しも不完全であり、度しがたいバカである。確かに行きすぎた資本主義や市場原理主義はバカな仕業かもしれない。しかし同時に行きすぎた環境原理主義もまたバカだと言わざるを得ないだろう。同じ意味でそういう私もバカだと思うが。つまり不完全でバカな人間ども全員を心酔させ、完璧に正しい方向に導ける指導者など存在しないし、そもそも人間はそんな生易しいものでもない。全世界規模であまねく脱成長と経済活動の自重を啓蒙できるというなら、まずウクライナを侵略するプーチンを、あるいは人民を省みず核兵器の開発に余念の無い独裁者金正恩を啓蒙せよ。やっていることを止めさせてみよと言いたい。今の世界の現実はそれすらできずにいるのだ。あるいはもっと身近なところで、自分の周りにいる他人10人をランダムに選んで、斎藤氏の高邁な思想を説いて彼らの行動を変えさせてみよ。きっと行動を変えるのはその一部にとどまってしまうだろう。人全員の行動を一つの方向に変えさせることの難しさを痛感するに違いない。つまり斎藤氏は見果てぬ夢を見ているのだ。その夢とは「脱成長コミュニズム」だ。

 斎藤氏に失礼な口をきいてしまったかもしれない。ただ本書が説く理論には強烈な魅力がある。それは二一世紀になってなおマルクスの「資本論」が人を惹き付けてやまないのと同様に夢のある思索だからだろう。美しい理論でもある。私としてはこうした思索に遊ぶことを愉しみたいと思う。しかしやはりそれを現実生活に持ち込むつもりはさらさらない。たとえ斎藤氏から意識が低いと蔑まれたとしてもだ。その理由を本書の内容とはまったく関係ない話ではあるが、最近取り沙汰されたフェミニスト上野千鶴子氏の件になぞらえて説明しよう。上野氏に感化され、その主義主張を真に受けて生涯「おひとりさま」を貫こうとした人がたくさんおられた。しかし実は上野氏自身は密かに結婚しておられ、「おひとりさま」は裏切られたいへん戸惑っているという。私はそれを他山の石としたい。そういうことだ。