佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

長く素晴らしく憂鬱な一日

 おれは絶望的なうめき声をあげつつ、洗面所までぜん動歩行した。そしておれは洗面所まですすんでいく途中で、おれの服やズボンが砂利道の放置マグソのようなかんじで、入り口のドアからベッドにむかって点々と脱ぎ捨てられている、ということを知ったのだった。おれは洗面所の便器に顔を突っこんで二分ほど吐き、そこでついに力つきて二十分ほど死んだ。それからフト苦しい息を吐きつつ生きかえり、洗面所を出て二メートル進んだところで力つきてまた死んだ。十分ほどで生きかえり、ベッドの方にすこし這い戻ったのだが、再び嘔吐感が全身をつらぬいたので、半分死につつ洗面所に這い戻り、一分吐いてそのままコト切れた。コト切れる前にスッパダカのままで死んでいくおれの姿を思い浮かべ絶望的になった・
「せめてパンツを…」と、おれは頭の隅で思った。けれどパンツをはく力も得られないまま、おれは死んだ。しかし十分で無理矢理蘇生地獄に引き戻され、また二メートルだけムカデ歩行でずり動いた。
 苦痛は頭と喉と胃と胸に広がり、おれはそのときはじめて「死」の静寂とやすらぎを心に思い浮かべた。
「我にパンツを…」
 と、おれはもう一度力なくつぶやいた。しかし当然ながら何事も起こらなかった。おれはそこで犬のように汚い息を吐き
「さもなくば死を…」
 と、弱々しく言った。ホテルの小さなシングルルームの空気はずっと閉め切っていたので寒くはなかったが、その中の空気はおそらく常人には耐えられないほどのただれた腐酒とアセトアルデヒドの臭いで充満しているのだろうと思った。
                                   (本書P187-189より)

 


 『長く素晴らしく憂鬱な一日』(椎名誠・著/角川文庫)を読みました。おそらく二十年ぶりの再読です。

 1985年12月から翌年11月までの間「ブルータス」に連載された小説。自分をモデルとした男(おれもしくはわたくしあるいはぼく)の一日の生活を書いている。つまり私小説といってよいのだろう。舞台は渋谷でも銀座でもなく新宿だ。エッセイにも似た文体だが椎名誠をして昭和軽薄体と言わしめたものとは趣を異にする。饒舌でユーモアもあるにはあるのだが作品全体を覆う暗さが当時の椎名氏のエッセイとはテイストが違うのだ。小説だからシリアスにというような単純な話ではあるまい。無言電話に午後三時の人妻・夕子もしくは沙織もしくは志津乃、屋上給水タンクの中のゴケアオミドロ、ブルータスのサワダ、右翼のタジミヨシオ、南米産の大蛇その名もクサカ・シノブ、白濁鰐目男・沢野ひとしカフカの変身ざわざわ虫と得体の知れない有象無象が頭の中に棲む。今日もシーナはある種の憂鬱を身に纏いながら新宿シルクロードぬめぬめルートの旅人となる。
 椎名氏のエッセイストとしてのデビュー作『さらば国分寺書店のオババ』の上梓が1975年の11月、その翌年、氏はノイローゼになったという話を目黒孝二氏との対談で読んだことがある。そうした経験がこの作品を生んだのだろうか。それにしても『長く素晴らしく憂鬱な一日』とは素晴らしくブンガク的な題名ではないか。