佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

花のあと

「どうだ、これで気が済んだか?」

「はい」

 と以登は言った・

「江口孫四郎は好漢だが、二度と会うことはならん。そなたは、婿となる男が決まった身だ」

「わかっておりまする。有難うございました」

 と以登は言った。

 そのときには以登にも、もうわかっていたのである。江口孫四郎とひとたび試合をとねがった、あのはげしい渇望が恋であり、その気持ちをまた、どういうわけかむくつけき風貌の父親が察知して、罵るかわりに粋を利かせて孫四郎に会わせたのだということも。だが恋ならば、それは思い切るしかなかった。

                                 (本書P246「花のあと」より)

 

 『花のあと』(藤沢周平・著/文春文庫)を読みました。再読です。

 朝、家を出る時、なんとなく藤沢を読みたいと思い本棚からこれを取り出した。どんな話だったのか記憶が定かでない。一度読んだものの、強烈な印象を残していないので、かえって再読するのに好都合でもある。

 登場人物が皆、心にある種の悲しみや切ない思いを抱いており、その様が愛おしい。そして藤沢の小説らしく、主人公が己が弱さを知りつつもそれに甘んじることを潔しとせず、矜持をもって生きている。藤沢の本を閉じたとき、いつも私は「世の中、捨てたものじゃない」と清々しい気持ちになる。

 やっぱり藤沢はイイ。

 

 

出版社の紹介文を引いておきます。


娘ざかりを剣の道に生きたある武家の娘。色白で細面、けして醜女ではないのだが父に似て口がいささか大きすぎる。そんな以登女にもほのかに想いをよせる男がいた。部屋住みながら道場随一の遣い手江口孫四郎である。老女の昔語りとして端正にえがかれる異色の表題武家物語のほか、この作家円熟期の秀作7篇。