佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

先輩と私

(創作の情熱が自慰行為の衝動に敗れるなんて、アマチュアとはいえ創作者としてあるまじきことではないか?)

 すると、肉欲に支配された脳の大部分が、負けじとこたえる。

(いいえ! 自分自身をも欲情させることのできない官能小説なんて、書く価値がありますか?)

(じゃあ、きみは、官能小説家はみんなオナニーしながら執筆しているとでも言うのか?)

 脳内の冷静な部分は、私がよく知っているある人物の口調で、私の反論に反論を重ねる。

 すなわち、その人物とは、私が所属するT女子大学好色文学研究会の設立者にして会長、そして私以外の唯一の会員である羽田阿真理(はねだあまり)先輩であった。

 そうと気づいたものの、わが脳の好色部分はまだまだ負けてはいなかった。

(それではあなたは、官能作家はみんな執筆しながらオナニーすることはないとでも言いたいのですか?)

(そんな極端なことは言っていない)

(じゃあ、黙っててください!)

(わかった。ただ、最後にひとつ言わせてくれ。君のような素人が実際にひとりよがりしながら書く作品は、ひとりよがりな作品になりがちだ!)

 思いもかけなかったオチがついたところで、ピンポーンという陽気な電子音が、狭い室内に響いた。

 続いて――。

「光枝君! 私だ。阿真理だ!」

                             (本書P12-13より)

 

 

『先輩と私』(森奈津子・著/徳間文庫)を読みました。

 

 

まずは出版社の紹介文を引きます。


「先輩、ずるいです! 私は勇気を出して告白したのに……」。T女子大学好色文学研究会会員の光枝は、先輩である会長の阿真理に恋心を抱いている。でも阿真理はいつだってつれない様子。そこへ、ライバルサークル、エロティック文学研究会の会長、華代がつけ込んで……。エロスと笑いの第一人者、森奈津子が贈る、女だらけの官能小説。単行本刊行時には、そのあまりのエロさと馬鹿馬鹿しさが大いに話題に。日経新聞の書評にも掲載。
 
エロスと笑いの第一人者、森奈津子が贈る、女だらけの官能小説。抜いて笑って。読書界を震撼させたエロ面白い話題作が文庫化!

 

 

あり得ない。「エロ面白い」などということはあり得るはずはないのだ。「笑い」と「エロス」は住むところが違うのであって同居できるはずがない。以上は、おそらく万人が受け入れるであろう定説である。しかしここにその定説をいとも簡単に打ち破ってしまう作家が居る。森奈津子氏である。この作家ただものではない。その理由は二つばかりあげてみよう。

ひとつは「マイノリティーのどこが悪い」という開き直りとも取れるあっけからんとした性癖カミングアウト。もう一つは水際だった「羞恥」の表現である。つまり小説そのものはあっけからんとした明るさを持ちつつ、限りなく隠微にエロいのだ。

私は男で、しかも性的にはストレートな範疇に納まっていそうである。つまり森氏のいう”異性愛者の成人男性であるオヤジ”であるから、社会を単純化して分析した際には圧倒的強者に分類され、弱者である女性、なかんずくマイノリティーである同性愛者を抑圧する存在なのだ。そんな私でもこの小説に思わず笑わされ、同時に悶々とした気分にさせられるのである。

作中、阿真理先輩が主人公・光枝が書くエロ小説を評する場面がある。それは森氏自身が官能小説を書く際のポリシーを語ったのではないかと思われるので、その部分を抜き書きしておく。


 

「エロティックなんだけど、品があるんだ。官能シーンも明るくてかわいい。いい感じのユーモアもある。作者が好きで書いているのが伝わってくる」


 

「それに、『自分がいいと思うエロティックなシチュエーション』を読者と分かちあいたいっていう思いがあるのが、よくわかるんだ。性というものに、うしろめたさを感じさせないのも、好感が持てる。天衣無縫、とでも言えばいいのかな。官能小説の作風が「天衣無縫」だなんて、なんだか、おかしいが・・・・・・。しかし、そうとしか思えないんだよ、私には」