佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

播磨灘物語 (三)

元来、信長は、生命は今生かぎりのものだという徹底した無神論をもっている。この点については、信長ははっきりと思想的人間であるといっていい。

「信長は無神論者であるが、一面自分自身が神になりたいと思っている」

 というのは、キリシタン宣教師たちの見方だが、神になりたいという点については、多少の疑問はある。

 信長は、しかしながら、キリシタン宗の布教には寛容であった。かれはべつに有神論者を憎んだわけではなく、宗教の徒が、人の心を操作することによって自分自身の利益にすることを憎んだのであり、この憎悪は、そのまま大虐殺につながった。

                                (本書P158より)

 

播磨灘物語 (三)』(司馬遼太郎・著/講談社文庫)を読みました。

どうやら司馬氏は弱小大名に過ぎなかった信長が天下統一目前まで強大になった理由と、あっけなく滅びた理由双方を信長の持つ原理に求めていらっしゃるようだ。獄中にある官兵衛をして「原理というものはそれが鮮明で鮮烈であればあるほど、他者を排除し、抹殺する作用がある」と看破させた場面がいい。歴史物語の楽しみは史実を知ることだけでなく、史実をもとに歴史が動いた背景を推理し、人間を知るというところにあるのだろう。さて、次は四巻。いよいよ最終巻だ。官兵衛はどう考え、どう生きる?