佐々陽太朗の日記

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『民主主義とは何なのか』(長谷川三千子・著/文春新書)

『民主主義とは何なのか』(長谷川三千子・著/文春新書)を読みました。

 

まずは出版社(文藝春秋社の担当編集者)の紹介文を引きます。


 それを持ち出されると、誰もが反対できず、おそれいってしまう、まるで黄門さまの印籠のような言葉——「民主主義」。「戦後民主主義」や「民主主義のはき違え」を非難する声はあっても、民主主義そのものを疑う声はない。しかし百年前、「デモクラシー」は不気味でいかがわしい言葉とされていた。それは何故か?民主主義や人権は自明に「よい」ものなのか?古代ギリシャの政体や英仏米の革命にひそむ思想を粘り強く検討することで、封印されていた根本的問いに立ち向かう本格評論。(AK)


 

 

民主主義とは何なのか (文春新書)

民主主義とは何なのか (文春新書)

 

  

 いやぁ、興奮して読みました。最近の権利ばかりを主張する風潮や、政治の混迷ぶりを見るにつけ、私が漠然と何かがおかしいと感じてきたことに、これほど明快な答えを示してくれた本はありません。

 我々が無条件に信奉してきた「民主主義」や「国民主権」あるいは「人権」という言葉をいかがわしいものと疑うべきだという長谷川氏の主張はかなり衝撃的です。そもそも人が生命と財産を脅かされること無く社会を形成し、人たるに値する生活を営もうとすれば、人それぞれが欲望の欲するままのふるまいに及ばぬよう人々を統制する力(つまり権力)を特定の者に付与する必要がある。しかるに「民主主義」は本質的に権力者に対する闘争のドグマを内包するのであって、人が己の欲求のままに権利を主張するならば、そこに闘争を伴う混乱状態が生じるという自家撞着に陥る。その混乱状態を脱するためには理性的態度が必要であるが、人々は「民主主義」や「権利」を正しいものと盲信するがゆえに理性を働かせることを封じてしまう。こうした思考停止状態のはてに、国家や大企業が悪であるという根拠薄弱な気分のみが漂っているという愚かな事態が生じている。真に「国民のための政治」を考えようとするならば、この「人権」の呪縛を断ち切る必要があると。以上が本書の論旨かと思います。内容を正確に理解できたかどうか自信が持てませんけれど。

 何度も読み返したいが、そうもいかないので、私なりに感銘を受けた部分を記録として抜き書きしておきたい。しかし、かなり長文を引くので、ブログの閲覧範囲はトモダチのみとさせていただく。

 


 いま、われわれにとって「民主主義」という言葉は、いまさら問うまでもない自明の言葉となっている。「それは民主主義にかなったことであるか?」と問う人はいても、「ではその民主主義は理にかなったことであるのか?」と問う人はほとんどいない。「民主主義」という言葉は、すべての議論をそこでおしまいにしてしまう力をもつている。(P8より引用)


 けれども一方で、彼はこの社会主義の理論が、いきなり「世界に不意打ちをくわせる」ような仕方で出現してきたものではなく、フランス革命以来の六十年間を通じて、ほとんどその必然的な展開の帰結として現われてきたものであることを認めざるをえない。言いかえれば、彼自身、若い頃には無邪気に信奉して疑わなかった民主主氣が、この社会主義の生みの親に他ならなかったことを認めているのである。(P27~P28より引用)


あの「カイザー訴追」の条項も、あらためてヒトラーに対して適用するのであれば、道理にかなった訴追と言えたであろう。ただしヒトラーの登場を、ただ単純に「ファシズムが民主主義を葬り去った」と描写したとすれば、それは明らかに誤りである。よく知られているとおり、ヒトラーは民衆の煽動ということに関して天才的な手腕をもっており、自らも意識して、そのことに力を傾注していた。『敗者の戦後』のなかで、入江氏は、ヒトラーが「大衆の鈍感な精神を動かして一つの政治的な力に転化するためには、絶対に主観的にかつ絶対的に一方的にきまり文句のス口ーガンを執拗に帳り返せ」と言つていたことを紹介し、「彼はそういう宣伝的価値のみが言葉のすべてだと考えていたふしがあり、これは驚くべきことである」と語るのであるが、実はこれは少しも珍しいことではない。フランス革命においては、言葉はまさにそのようなものとして使われたのであるし、現代のどの国でも、選挙があるたびに言葉はそのようなものとしてしか扱われない。つまり、ヒトラーはもっとも「デモクラシー」的な指導者だったのである。そして、だからこそ、彼が一九三六年にドイツ軍をラインラントに進駐させたとき、ドイツの有権者の九八パーセントがそれを支持したのである。(P40~P41より抜粋)


 しかし、日本を占領した連合国総司令部は、もちろんそんなことは一顧だにしようとせず、ただ彼らの第二次大戦についての公式の図式_「民主主義対ファシズム・ナチズムの戦い」__をそのままあてはめて、「日本ファシズム」を根絶し、日本を民主化すべく七年間の占領を続けたのである。この占領政策の出発点そのものがいかに錯誤にみちているかは、いままで見てきたところからも明らかであるが、何故か日本人はその錯誤に気づくことなく、自ら、自分たちの戦前・戦中は「ファシズム」であったと考え、「自らの戦争に対する反省」にもとづいて、民主主義を学び直さねばならない、と考えてしまったのであった。(P43~P44より抜粋)


 さらに、二十世紀の終り近くになって、(これも本来は民主主義の内から芽生えた同類の一つである)共産主義というラィヴァルが自壊していった後では、民主主義のT普遍的な権威」は、もう一度ゆるぎなく打ちたてられる、という次第となった。現在のわれわれにとっては、もはや、「民主主義という言葉ははなはだいかがわしい言葉であっ」たということが、ただ遠い昔の奇妙な風俗一つとしてしか感じられなくなっている。それは、いま見たとおり、二つの世?大戦において「民主主義」が二度とも「戦勝国の原理」となり、しかもそこで或る種のトリックによって、「正義と平和の原理」としての地位が獲得された、ということが大きくあずかっていると思われる。(P44より抜粋)

 


アリストテレスは、民主政(デーモクラティア)を「邪道にそれた国制」のうちに分類している。すなわちそれは、「人民のための政治」--その社会全体にとってためになる政治--を目指すのではなくて、ただ人々が私利私欲にかられて行う政治形態であると言うのである。(P51より抜粋)


 しかも他方で、いかなる徹底した民主政も、何らかの「指導者」が不可欠であるという事実がある。さきにも述べたとおり、人間の国家が、アジの群れやスズメの群れのようなものであるならばいざ知らず、それより少しでも複雑な共同生活を運営していこうということになれば、どうしても「指導者」なしにやっていくことは不可能である。民主政においては、つねに必らず「民衆によって選ばれた指導者」--「民衆の力」を束ねた一人、又は少数の人間--が存在することになる。となると、その「民衆によって選ばれた指導者」と僭主とは、ほとんど見分けがつかないほど「近い」ものとなってしまうのである。(P83より抜粋)


 けれども、ツキディデスが語っているとおり、その偉大な指導は、「なんの恐れもなく一般民衆を統御し、民衆の意向に従うよりもおのれの指針をもって民衆を導く」ことによって達成されたものであった。彼は、ペリクレス自身の言葉としても、「人が人を支配せんと主張すれば、支配のつづくかぎりかならず人の憎悪をうけ」るものであるが、本当に人々のためになることを実行するには、憎まれてでも志を曲げぬことが必要であると語った、と伝えている。(P84より抜粋)


 たしかに、現代の世の中では、十八世紀後半にあったような典型的な「革命」というものは見かけなくなっている。しかしそのかわりに、たえず薄められたかたちで、この「不和と敵対のイデォロギー」は民主主義の社会を支配しつづけている。それは、中小国における絶え間ない、闘争的な政権交代、というかたちを取ることもあれば、先進諸国におけるフヱミニスト運動やその他さまざまの「反体制運動」といったかたちを取ることもある。およそどんなかたちを取るにしても、そこには同じ「不和と敵対のイデォロギー」--一つの共同体の内側に、常に上下の対立を見出し、上に立つものを倒さねばならないとするイデォロギーが存在しつづけているのである。(P92より抜粋)


 この「国民主権」について、もっとも明快、直截に語っているのは、佐藤功氏の『日本国憲法概説』である。そこでの佐藤氏は、これをはっきりと「闘争的な概念」であると述べ、「単に国家を形成するすべての人間の意思が政治権力の源泉であるといぅ抽象的な、無色な思想を現すのではない、と断言している。ではいったい、それはどんな風にして「闘争的な概念」となっているのか? 佐藤氏は、それを知るには、この概念の「歴史的性格に注意する必要がある」と言って、こんな風に述べている。
「・・・・・・革命以前のいわゆる絶対王制の下においては、一切の国家権力・政治権力は専制君主に属するものとされ、しかもそれがいわゆる王権神授説によって、完教的にも根拠づけられていた。ルイ一四世が『朕は国家なり』といったのは、この原理の表明である。そしてそこでは国政は、現実には、このような専制君主を中心とした貴族・僧侶、すなわち、第一身分・第二身分の勢力による政治であった。フランス革命は、これら第1身分・第二身分の特権と圧政に対する第三身分、すなわち新興市民階級の反抗であった。フランス革命の思想的指導者というべきシェイエスが『第三身分はすべてである』といったのは、国家の政治権力が第三身分のみに属すべきであるという思想であった。そこに国民主権の原理が生まれる。すなわち、そこで国民といわれたものは実は第一身分.第二身分を除外した第三身分のことであったのである」(P94~P95より抜粋)


・・・・・・そもそも「主権」の概念自体が、国家の内側と外側との両側面において定義されてたものなのであって、「国民主権」は「国家主権」と表裏一体になっている。戦争と革命の結びつきは、この「主権」概念の構造をそのまま反映しているとも言えるのである。

 けれども、近代戦争の荒々しさに盾をひそめる人々が、これは「ナショナリズム」のなせる業であると言ってj切の「国家」的なものを排除し、「政府」に敵対しようとするならば、その人々はかえって近代の「戦争と革命」の暴力性のまっただなかに足を踏み入れる、ということになるであろう。そのように「国家」や「政府」を嫌悪し忌避することこそが、シエィエスの掲げたあの「国民主権」原理の基本態度であり、そこに待ち構えているのは決して「平和」ではなくて「闘争」なのだからである。
 「国民主権」の原理とは、一ロに言って「国民に理性を使わせないシステム」である。そして、そのことによって「国民主権」はありとあらゆる暴力の抑制装置を解除してしまった。しかも、この「歴史的性格」は決して過去のどこかに置き去りにされたのではない。いまもなお、民主主義の中心的理念の一つとして、「国民主権」はその毒を発しつづけているのである。(P136より抜粋)


 いったい「人権」とは、本当に「自明のもの」なのだろうか? 多くの場合、人が何かをことさらに「自明のもの」と言いたてるのは、そこに何か探るとポロが出るような事柄がひそんでいるときである。むしろ、これらの宣言が、それを問うまでもないものとしていればいるほど、われわれはこの「人権」の概念を用心深く吟味検証してみる必要があろう。(P144より抜粋)


 実はよく考えてみると、もともと、「権利」とは相対的な概念である。「人権宣言」の前文にも、この宣言の意図するところは、「社会統一体のすべての構成員がたえずこれを目前に置いて、不断にその権利と義務を想起するため……である」とあるとおり、ふつうわれわれの日常生活において「権利」と「義務」とは背中合わせになっていて、何か或る義務をはたしたらば、その結果として権利が生ずる、というかたちになっている。たとえば、或る人がせっせと働いて請負った仕事をやりとげたらば、その人はその代価を受取る権利を持つことになるし、やりとげられなかったら、その権利は生じない。そういう意味で、権利は相対的な概念である。
 さらにまた、そのような「権利」と「義務」の組合わせが成り立つためには、それに先立って、これこれの仕事にこれだけ支払うといった契約の存在していることが必要であり、それを支える法律とか慣行といったものの存在も必要となる。そして、それらに照らして正当な要求と認められるとき、はじめて権利は権利となるのである。(P145より抜粋)


・・・・・いまあらためて、あの「独立宣言」の一節をふり返ってみよう。
「われわれは、次の真理を自明のものと信じる。すなわち、すべて人間は平等につくられている。すべて人間は創造主によって、誰にも譲ることのできない一定の権利を与えられている。これらの権利の中には、生命、自由、および幸福の追求が含まれる」
 前章にも見たとおり、キリスト教の信者たちにとって、この全世界とそこに存在するすべての事物を神が創造した、ということはまさに自明の大前提である。そしてまた、(ユダヤ民族のみを選ばれた民として神との契約相手と考えるユダヤ教と違って)キリスト教の教義によれば、キリストの教えを守り神を正しく信仰すれば、すべて等しく天国へ行く道が開けているとされている。そのかぎりで、たしかに「すべて人間は平等につくられている」と言える。・・・・・・ (以下、中略)
・・・・・・こうしたキリスト教教義になれ親しんできた人々の目からすれば、この一節に書かれたことは、たしかに「自明の真理」と見えるに違いないのである。
 もちろん、キリスト教信者以外の人間の目から見れば、これは自明の真理どころではない。むしろ滑稽な迷いの極みと評することもできる。たとえば、一見これと似ているようにも見える教えに、仏教に言う「悉有仏性」(すべてのものにはことごとく仏性がそなわっている)という教えがある。これは「すべての人間」のみならず「万物」が平等であるという思想なのであるが、ここからはいかなる「権利」も根拠づけられることはない。というのも、この「仏性」とは、各人にそなわっている悟りへの可能性のことであり、「仏性」をそなえているとは、すなわち各人に、真理を体得して自己自身になるという課題が与えられている、ということに他ならないからである。もしも誰かが、自分には「仏性」が分け与えられているのだから、当然、それにもとづく権利も等しく分け与えられているはずだ、などと考えたならば、そう考えた瞬間に、その人はせっかくの「仏性」をドブに投げ捨てることになる。悟りをひらくことの第一歩は、まず、そのように何かを「権利」として要求するようなさもしい根性を洗い流すことにあるのであり、「自由」とはまさにそうした執着全体から自己の身心を解きはなつことにある--そうした立場から見れば、「独立宣言」の一節は、ただ嚼うべき矮小さそのものでしかない。(P151~P152より抜粋)


 一ロに言って、「人権」の概念は、こっそりと裏側では神にたより、神のご威光によって自らを正当化しておきながら、それを曖昧な表現でぼやかしたり、途中で放り出したりしてしまうことによって、それと一対になるべき「神への義務」に頬かむりをきめ込んでしまっている--そういう代物なのである。
 皮肉なことには、このように曖昧な形でお茶を濁してしまったおかげで、この「人権」の概念は、キリスト教信者でない人間たちの間でも通用するもののごとくに誤解されることになった。たとえば、日本国憲法の第九十七条に「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、……現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信托されたものである」とあるのも、そうした誤解の典型的な一例である(しかも、日本国憲法は他方では、人権条項の一つとして、政教分離の規定を含んでいるのである。曰本国憲法が抱えている数々の矛盾の中でも、これはかなり根本的な矛盾の一つである)
 さすがに、近年になって次第に、非欧米諸国から、この「人権」概念なるものは、キリスト教思想の産物であって、「人類普遍の」概念でもなんでもない、といった指摘がなされるようになってきたのであるが、いま見てきたとおり、問題はただそれだけではない。キリスト教そのものに即して考えてみても、この「人権」の概念はィンチキとごまかしによって成り立っていると言うほかはない。つまり、これらの宣言に語られた「人権」なる概念は、キリスト教国以外の国々ではもちろん通用せず、キリスト教国においては尚のこと通用しない、というものなのである。(P158~P159より抜粋)


 ところが、ロックは途中でその「泥棒」を「絶対専制君主」にすり替えることで、まんまとその難問から逃げのびたのである。悪玉が「泥棒」であるかぎりは、善良なる市民がふと出来心で泥棒となるという可能性を否定できないのであるが、「絶対専制君主」を悪玉にしておけば、善良なる市民が或る日ふと出来心から絶対専制君主になつてしまうかもしれないという心配は皆無である。そこでは安心して、絶対的悪玉である「絶対的恣意的権力」に対抗する自由権を絶対の正義と規定することができる。そして、この「自由」の権利が、さきほど見たとおり、「所有権」の真中に、「譲り渡しがたい」ものとして鎮座することになつたのである。(P200より抜粋)


・・・・・・ところが、ここにこの「絶対的恣意的権力からの自由」という大義名分が発明されてみると、そのような「回帰すべきもの」は必要なくなってしまう。どこでも、誰でも、「革命」の大義名分を手にすることができる。たとえば、プラトンが『国家』で描写していたような「革命を憧れ」る者たち--「他の者への憎しみと謀反を胸に、針をおび、武器を身にまとって、その国に坐っている」者たち--にこの「絶対的恣意的権力からの自由」という大義を手渡したなら、彼らもすぐに大喜びでこの大義を振り回したことであろう。それを振り回す口実にこと欠くということはありえない。というのも、或る一つの国家の内に住む人であれば、誰しもr公権力」から何がしかの束縛を受けつつ暮している(それがまさに「社会状態(シヴィル・エステート)」に暮すということの意味である)。とすれば、何時でも、誰でも、その(本来は)当然の「公権力の束縛」を指して、「絶対的恣意的権力がわれわれの自由を脅かしている!」と叫ぶことか可能だからである。(P202より抜粋)


 ふり返ってみれば、国家の指導者を悪玉扱いして引きずり落とそうとするということは、すでにニ千数百年まえから見られた、人間社会の性癖一1つであった。そして「デモクラシ-」とはまさに、そうした性癖をイデオロギーとして掲げるという運動なのであった。「人権」という概念は一見そのような動きとは、何のかかわりも無さそうに見える。しかし実際には、「人権」はまさにその運動の原動力として使われることになった。そして、それはすべて、いま見てきたロツクのインチキによつてひき起こされたことだつたのである。(P204より抜粋)


 現代の日本では「人権」とは、一人一人の人間が人間であるかぎりにおいて持っている、かけがえのない価値のことである、といった説明をわれわれはよく耳にする。もしその通りであるとすれば、「人権」尊重におけるもっとも大切なことは自己修養にはげむべし、ということであって、それ以外のことではないであろう。ごく一般的な事実として、「一人一人が人間であるかぎりにおいて持っている、かけがえのない価値」を損なうのはその人自身であることがもっとも多いのだからである。
 ところが、実際の「人権」思想や「人権」運動は、そうした自己修養などということには目もくれず、まさに「デモクラシー」のイデオロギーとしてはたらいている。すなわち、「人権」という言葉が叫ばれるたびに、その背後には、あの「絶対的恣意的権力」という幻がたちあらわれる。現実にそのようなものが存在するか否かにかかわらず(現実には、その通りのものが存在するのはたいへん稀有のことである)、「人権」の概念はそれを必要とするのである。あるときは政府が、あるときは大企業が、人々を「自己の絶対権力の下におこうと試みる者」と見な権され、それによつて各人の自由と生存を脅かしているものとして糾弾される。時とすると、そうした糾弾はほとんど無意識のうちになされている。しかし、いずれにしても、「人権」という言葉を「正当なる要求・訴え」として叫ぼうとするかぎり、そこでは常に「その権利を奪おうとしている悪玉」というフィクションが不可欠なのであり、その幻は繰り返しそこに呼び出される、ということになるのである。
 さらに近年になると、この「人権」概念を支える卜リックは、むしろ意識的に濫用されるようにすらなってきている。そして、わが国においては、それはほとんどグロテスクな様相を呈するに至つているのである。(P204~P205より抜粋)


・・・・・・ただし、その頃の共産主義者たちは、「人権」というスローガンにはいたって冷淡であった。彼らは、むしろ「ブルジョアジーによる搾取をおおいかくす虚偽表象」であると言って、この概念を批難していたのであった。ところが、一九八〇年代の終り頃から、それがにわかに一転する。「人権」は共産主義者のもっともお気に入りの「キーワード」となり、それを「裁判手続きで確保する」ということに多大の関心が寄せられるようになるのである。
 これは、共産主義者自身の立場からすれば、決して変節ではない。むしろきわめて首尾一貫した運動方針--少しでもわが国の力を弱めること--に導かれて取っている路線であると言えよう。世界各国で共産主義というものが力を失ってきても、自国を内側から亡ぼす方策はまだいくらでもある。彼らにとって「人権」訴訟は、うまくゆけばそれで運動資金が手に入るビジネスであるというだけのことなのではない。「人権」の侵害を告発し、国を相手どって訴訟をするたびに--そして、それが大々的に報道されるたびに--そこには繰り返し「絶対的悪玉としての政府・国家」という幻がくっきりとうかび上る。またもちろん、それを告発する自分たちは、「絶対的善玉」として姿をあらわすことになる。まことに一石三鳥なのである。(P206~P207より抜粋)


 たとえば、日本書籍の『中学社会・公民的分野』では、「新しい人権」と題して、こんな文章をかかげている。
「人権の内容は、人々の要求と努力が強まるにつれて、また、時代や社会の進歩につれて豊かなものになる。幸福を求め、人間らしい生活を守ろぅとする人々の諸要求をもとにして、新しい権利の主張が次々に生まれている」
 なるほど「人権」というものをてんから「善きもの」と決め込んでしまえば、新しい人権が「次々に生まれでいる」のは、めでたいこと以外の何物でもない、ということになる。けれども、「権利」といぅものは、何らかの確固とした、しかも拡がりのある基盤にもとづいて、はじめて認めうるものである、というあの鉄則にたち返って考えてみると、ただその時々の人々の要求のままに新しい権利が次々に生まれ出てくるということは、「人権の内容が豊かなものになる」ことであるどころか、ただ人権概念のとめどもない混乱状態を生ずることでしかありえない。(P208より抜粋)


・・・・・・〈「権利」には「権利」を〉という硬直した発想は、本来は人間たちが知恵を出し合って解決してゆかなければならないエネルギー問題や環境保全の問題を、いたるところで単なる闘争に変えてしまう。いわば「権利」の概念が人々の思考停止を招いているのである。
 そして、さまざまの「権利」の混声合唱のはてには、あの「絶対的恣意的権力」の幻だけが残って、結局は、国家や大企業が悪者である、といった気分のみが漂うということになる。
 このような馬鹿馬鹿しい悪循環は、そろそろこのあたりで断ち切らねばならない。そして、それはごく簡単なことなのである。もう一度しっかりとホッブズを読み、そのあとでロックを読んでみること、そして、後者がいかにィンチキだらけであるかに気付くこと--これだけなのである。そうすれば、いまわれわれが「人権」という名で呼んでいるものが、すべて丸ごと無効であることがわかる。そのようにして「人権」の呪縛をたち切ったとき、はじめて我々は本当の「国民のための政治」を考えうる出発点に立つことが可能なのである。(P210より抜粋)


 一ロに言えば、民主主義とは「人間に理性を使わせないシステム」である。そして、そのことが、革命から生まれ出てきた民主主義の持つ最大の欠陥であり問題点なのである。(P213より抜粋)


・・・・・・ふり返ってみれば、あのソロンが政治詩「エウノミア」(良き政治)においてアテナイ市民に訴えていたのも、やはり同じく、心の怒りをしずめ、傲慢を抑えて「理性的な態度」を取ることであった。しかし、こうした人々の忠告にもかかわらず、「デーモクラティア」の潮流におし流されたアテナイ人たちは、そうした態度を身につけることができなかったのである。
 しかし、いくらそれを身につけるのが難しくとも、このような理性的態度というものが基本となるかぎりにおいて、あの民主主義の特色である「衆議」ということも意味を持ちうる。さもなければ、それは各人が自らの意見に他者を従わせようとして繰りひろげる「説得」のゲームとなってしまうのである。本来の「衆議」とは、一人の判断では見落しや思い違いがあるかもしれないのを、多くの目で見ることによって防ぐ--そういう合理的なシステムとして機能すべきものであって、聖徳太子の十七条憲法の最後の条に語られるのが、まさにそういう衆議衆論の教えである。
「夫れ事独り断むべからず。必ず衆と論ふべし。少き事は是軽し。必ずしも衆とすべから
ず。唯大きなる事を論ふに逮びては、若しは失有ることを疑ふ。故、衆と相弁ふるときは、辞則ち理を得」
 ここに語られる「独断のいましめ」のうちには、まったく何一つ教条的なものはない。あのアテナイ民主政における「僭主政恐怖症」や、近代民主主義における「君主嫌悪症」の類とも、これはまったく無縁である。ここにあるのは、ただ淡々たる合理主義と、それを支えている知的謙虚である。そもそも一人の人間の理性には限界があり、自分では理を尽したつもりでも、思いがけないところに見落しがあったり、充分に遠くまでを見通せていなかったりすることがある。その限界を自らよく心得る者は、重大な事柄については、むしろ自らすすんで独断をつつしみ、虚心に他の人々の意見に耳を傾けるはずである。なぜならば、もっとも重要なことは、誰の意見が通るのかということではなくて、理の通った正しい結論が得られるかどうか、ということなのだからである。
 こうしてあらためて述べてみれば、あまりにも当り前で、気恥かしくなってしまうほどである。しかし、このあまりにも当り前のことが、当り前でないのが民主主義なのである。そこでは、「国民の意思」や「民意」という言葉が、「理にかなった結論を得る」という大目標を蹴ちらしてしまう。と同時に、現実の政治決定とは(多くの要素を視野に収めて上手にバランスをとってゆくという)大変に難しい作業なのだということも、すっかり忘れ去られてしまう。その結果として、(当然のことながら)多くの場合、「民意」を最優先した政治決定は失敗する。(P220~P221より抜粋)


 もしもわれわれが本当に理性というものを取り戻すことができたなら、われわれは新しい目をもって、自分たち人間の手にしているさまざまのものを再評価し、しずかな感謝をささげることができるであろう。たとえば、そのときには、「国家」というものが、それまで民主主義がひき起こしてきた絶え間のない愛憎の交錯から解放されて、まさにわれわれの「生命、自由および幸福」を支えてくれる土台として、その本来の姿をあらわすことになるであろう。もともと人間は群れを作って、そのなかで生きてゆく生物であり、国家というものもその延長上に生じてきたのである。ところが、民主主義の錯乱した「理論」は、国家と国民との関係のうちに、常に闘争的なものを持ち込み、その実像を歪めてきたのであった。その錯乱がとり除かれてみれば、国家と、それが保ってきた文化、伝統、歴史というものを、ほかならぬわれわれ自身の財産として素直に受け取ることが可能となる。実際、理性の本質である知的謙虚というものを身につけてみれば、われわれが自己自身の手柄と思い込んでいるものが、いかに多く、先人から伝えられた文化、伝統、歴史の支えによるものであるかが見えてくるのである。
 そしてまた、一人一人の生き方においても、理性の復活は、われわれをさまざまの不必要な葛藤から解放してくれることになろう。現代の民主主義理論は、広く「国家」のうちに錯乱を持ち込んだだけでなく、家族の内側にまで入り込んで、そこに「権力者に対する闘争」のドグマを植えつけようとしている。フェミニスト達は、どんな哺乳動物にも何らかの形で見られる雌雄の分業が人間においても存在しているのを見て、それを「不平等」であると糾弾し、攻撃している。そういったことすべてを、「理性」の目は、ただ端的な錯誤と見抜くことができる。そして、人間が「家族」というこの寬容なシステムを存続させてきたこと自体を、一つの恵みとして認識することができるのである。(P222~P223より抜粋)