佐々陽太朗の日記

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『この世のおわり』(ラウラ・ガジェゴ・ガルシア:著/松下直弘:訳/偕成社)

『この世のおわり』(ラウラ・ガジェゴ・ガルシア:著/松下直弘:訳/偕成社)を読みました。図書館本です。

 今月の初旬に同じ著者の『漂泊の王の伝説』を読み、処女作である本書を読みたくなったものです。

 

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 まずは出版社の紹介文を引きます。

要旨紀元九九七年、中世ヨーロッパ。吟遊詩人マティウスは、ふうがわりな少年修道士ミシェルと出会う。“この世のおわり”が近いと信じるミシェルは世界を救うため、三つの胸飾りをさがしているという。マティウスは半信半疑ながらも、ともに旅立つことになる。『漂泊の王の伝説』のスペイン人気作家が二十歳で書き上げた、圧巻のデビュー作。バルコ・デ・バポール児童文学賞受賞。小学校高学年から。

 

この世のおわり

この世のおわり

 

 

 

 児童書と侮ることなかれ。平易な文章でわかりやすいあらすじながら、テーマは高尚であり、人類のふるまいに対する洞察は思いのほかスルドイ。

 黙示録によるキリストの生誕から千年後におとづれるというこの世のおわり。この物語では、紀元1000年に人間が次の1000年も生きるに値するかどうかが裁かれるという設定である。そのために計り知れない力を持った三つの胸飾り「過去の時間軸」「現在の時間軸」「未来の時間軸」を誰かが集め「時をつかさどる霊」を呼び出してお祈りをするのだという。ドラゴンボールが七つの玉なら、『この世のおわり』は三つの胸飾りなのだ。その三つの胸飾りを探し求めて主人公ミシェルはマティウスという吟遊詩人と共に旅に出る。

 物語の舞台となる中世前期のヨーロッパはイスラーム帝国がかつてのローマ帝国の領域のかなりを占領し、北部はヴァイキングの侵攻によって略奪され隷属化された時代。キリストが世界を救って1000年を過ぎようとしてなお人間は相も変わらず過ちを繰り返している。栄華を誇った帝国は退廃し、権力は堕落する。教会ですら退廃と堕落の例外ではない。差別、犯罪、略奪、迫害、虐殺、いたる所で戦争があり、飢餓や恐怖や憎悪が世界を覆っている。それが過去と現在の時間軸である。では未来はどうか。キリスト教徒たちが先住民を支配し、拷問し、殺戮までして彼らの土地を奪い植民地化していく。科学技術が飛躍的にのび、自由・平等・博愛の概念を知ってなお人間世界には貧困と飢餓、戦争と略奪がある。それが人間の本質だとすれば、果たして人間は次の1000年を生きるに値するのだろうか。その問に対してどのような答を出すのかがこの物語のテーマである。

 人のあらゆる行為はあるいは人のDNAのふるまいなのかもしれない。だとすれば救いがないのかもしれない。では人は何をよりどころとして、何を信じれば良いのか。少なくとも宗教にその答はない。宗教はしばしば人と人のあいだに隔たりと不信感を生み、争いとそれに伴う悲劇を生んできた。それでも人には人を信じたいと思う気持ちがある。いつしか人間は美しいものだけがある世界をつくりあげることができるのではないかという希望を捨て去ることはできない。それはただの夢想に過ぎないのかもしれない。しかしたとえ夢想であってもそれこそが人間に許されたいささかの希望なのだ。そのようなことを考えさせられた一冊でした。