佐々陽太朗の日記

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『時宗〈巻の弐〉連星』(高橋克彦:著/NHK出版)

時宗〈巻の弐〉連星』(高橋克彦:著/NHK出版)を読み終えた。

 2月に入って全四巻の大作を読み始めたのだ。

 出版社の紹介文を引く。

北条一門との激しい攻防の果てに幕府を纏めた時頼は、さらに九条道家の陰謀も封じて盤石の体制を築くが、病いのために執権職を辞すことを余儀なくされた。蒙古の脅威が日増しに伝えられるなか、出家した時頼は自らの後継者として時宗を指名する。日本の将来を託された時宗は、鎌倉幕府の楯となって蒙古軍の襲来を防ぎ、この国を守る決意をした。2001年NHK大河ドラマ原作。

 

 

(以下、ネタバレ注意)

 時宗の成長と葛藤が描かれる。その葛藤とは、何かと自分を思いやってくれる異母兄・時輔(時利)を差し置いて、父・時頼は自分を後継執権として指名したことにある。時輔は利発で武芸にも秀でており、時宗はそんな兄を尊敬している。時頼が時宗を後継の執権に指名するには訳がある。時宗正室の子、時輔は側室の子なのである。もちろん時宗に執権にふさわしい才がそなわっていなければ時頼も時輔を指名したに違いない。時頼自身、時輔を不憫に思う気持ちを持っている。しかし執権としてふさわしいのは正室の腹、側室の腹ということをさておいても時宗と見込んでのこと。時頼は後々跡目相続で一族に争いが生じることの無いようにと考えて、心を鬼にして、親としてではなく北条得宗家のため、ひいては天下国家の為にそのような判断を下したのだ。時宗も父に連れられて諸国を巡るなかで、政治の役割を知り、己に課せられた責任を自覚する。国を背負う執権として私的な感情に拘泥してはいられない。蒙古の脅威が押し寄せようとしている国難の時なのであった。

 本書の中で印象に残った場面が二つある。いずれも著者・高橋克彦氏の高い見識が現れた場面だと考える。一つは公卿、すなわち朝廷が蒙古の脅威に無関心で、政局には関心を示しても、けっして民の方を向いていると思えないことについて、時宗が父・時頼に「どうして朝廷を滅ぼさないのか」と問う場面である。これに対して時頼は次のように答える。

「お帝(かみ)のお血筋は、それこそ気の遠くなるほどの昔からこの国を纏めておられる。いかにも今の我らの力を用いれば内裏を滅ぼすことができるやも知れぬ。だが、そのあとはどうなる? 力で奪ったものは力で奪われる。北条の世など百年も持つまい。次に出て参るのは足利か、あるいは今の世になんの力も持っておらぬ小さな家の者か・・・・・・いずれにしろその奪い合いが果てしなく続くのだ。そべての元凶はお帝がおられなくなることにある。おまえにはまだ分からぬだろうが、お帝はこの国の軸。軸を失えば崩れよう。何百年と続いた軸を壊すほど北条は偉くない。たまたま舵取りを任せられている者と思え。民を思うなら頭を働かせるのだ。内裏の目が民に向けられるよう、おまえが踏ん張ればよい。この世に戦さほど愚かなものはない」

 慧眼でありましょう。現代の皇室にも通じる保守の考えだと思います。

 もう一つは、蒙古軍が高麗を降伏させてまもなく、宋と本格交戦に入るかと思いきやいきなり和議を結んで撤退したという情勢を時頼と大陸の情勢に詳しい博多の商人である謝国明が分析する場面。

「宋のだらしなさじゃ」

 謝国明は吐き捨てるように言った。

「クビライを信じているのではなく、信じたいのだ。ただひたすら保身を願っておる者は己をごまかすに長けている。そうやって恐れを遠ざける」

「蒙古がすべてを諦めることは?」

「あり申さぬ」

 隣国の脅威にさらされなお楽観論を展開する者の多いのは現代の日本も同じ。敵の脅威を直視する勇気を持たず、自分をも騙して何もしてこないに違いないとごまかそうとする。左派政党の国会における言動にもよくみられる。人間行動に関するこうした洞察が小説に盛り込まれることで深みが生まれている。高橋克彦氏の小説を読むのは本作が初めてだが、人間というものへの深い理解が氏の小説の魅力なのかもしれない。