佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『一汁一菜でよいという提案』(土井善晴:著/新潮文庫)

2023/12/15

『一汁一菜でよいという提案』(土井善晴:著/新潮文庫)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

日常の食事は、ご飯と具だくさんの味噌汁でよいのです。
料理研究家土井善晴によるこの提言から、
「一汁一菜」ムーブメントは始まった――。
20万部突破の大ベストセラー、待望の文庫化!

日常の食事は、ご飯と具だくさんの味噌汁で充分。あれば漬物を添えましょう。無理のない生活のリズムを作り、心身ともに健康であるために「一汁一菜」という生き方をはじめてみませんか――。料理研究家土井善晴による根源的かつ画期的な提言は、家庭料理に革命をもたらした。一汁一菜の実践法を紹介しながら、食文化の変遷、日本人の心について考察する。著者撮影の食卓風景も数多く掲載。(解説・養老孟司)

 

 

『一汁一菜でよいという提案』というのが本書の題名だ。あくまで土井善晴氏の”提案”なのである。まずはこの”提案”という言葉に注目したい。「一汁一菜でよい」で止めても良かっただろうし、たとえば「一汁一菜の食生活」でも良かっただろう。あるいはもっと強く「一汁一菜こそ理想の食事」といった断言でも良かったのではないかとも思う。”提案”という言葉に留めていることについて本書巻末の解説に養老孟司氏はこう書いている。「個人の主張とはいえ、それにしても謙虚な表現になっていて、土井さんの人柄をよく示している。・・・(中略)・・・こういう穏やかで実質的な主張が、日常を変え、ひいては世界を変えていく」と。確かにいかにも土井氏らしく、好感が持てる。しかし控えめで穏やかな主張であってもさすがは土井氏、本書に綴られた氏の食に対する思索は確信に満ちており強い説得力がある。たとえば「今、なぜ一汁一菜か」について、土井氏は次のように述べる。

 人間は食事によって生き、自然や社会、他の人々とつながってきたのです。食事はすべてのはじまり。生きることと料理することはセットです。

  ・・・(中略)・・・

 暮らしにおいて大切なことは、自分自身の心の置き場、心地よい場所に帰ってくる生活のリズムを作ることだと思います。その柱となるのが食事です。一日、一日、必ず自分がコントロールしているところへ帰ってくることです。

 それには一汁一菜です。一汁一菜とはご飯を中心とした汁と菜(おかず)。その原点を「ご飯、味噌汁、漬物」とする食事の型です。

  ・・・(中略)・・・

 一汁一菜とは、ただの「和食献立のすすめ」ではありません。一汁一菜という「システム」であり、「思想」であり、「美学」であり、日本人としての「生き方」だと思います。

 土井氏は食事のあり方を通して、昔ながらの日本人の生き方、美意識、価値観を大切にしようと呼びかけているように思える。つまり、どのような食事をするかにその人の生活態度がもっとも端的に表れるのであって、だからこそ一汁一菜というシステムを習慣化し、日々積み重ねていくことで自分の健常に保ちより良い将来につながるのだと。一事が万事につながる。健常というのはなにも体の健康のことだけではない。心のあり方も含めお天道様に恥じない生き方をすること、きちんと生きることなのだろう。

 土井氏はさらにこうも言う。

 人間の暮らしでいちばん大切なことは、「一生懸命生活すること」です。料理の上手・下手、器用・不器用、要領の良さでも悪さでもないと思います。一生懸命したことは、いちばん純粋なことです。そして純粋であることはもっとも美しく、尊いことです。

「一生懸命生活する」。頑張るだけでなく休むときには休み、余計なもの(余分なもの)を捨て丁寧にきちんと生きるということと解釈した。それが自分の生活に対する戒めとなり、秩序となる。それはいつしか習慣となり、美しい生き方となるのだろう。

 また、土井氏は本書の中で何度もハレとケについて言及する。ハレは特別な状態、祭り事。ケは日常。ハレの料理は神さまのために作るものなので、時間を惜しまず工夫して手間ひまをかけ、彩りよく美しく作る。日常の家庭料理は手間をかけないでよいケの料理なのだという。日本人はこの手をかけるもの、手をかけないものという二つの価値観を使い分けてきた。ハレの価値観をケの食卓に持ち込むようなことをしてはいけないともいう。ただただ贅沢であればよいというのはかっこ悪い。贅と慎ましさが均衡していてこそ美しい生き方なのだと。たしかにインスタ映えする料理、たくさんの「いいね」がもらえる料理ばかりを追いかけるのはかっこ悪いことだろう。日々の食卓がテレビで紹介されるような手の込んだ料理でなければならないなどという強迫観念を持ったとすれば、それは滑稽な振る舞いであり、だいいちそんな食事を毎日毎日食べることなどできはすまい。「一汁一菜でよいという提案」はそのような不様な姿をさらすんじゃないよという穏やかな警告でもあろう。と、ここまで書いて己の無粋を深く反省した次第。もう少し美しく生きねばと。