佐々陽太朗の日記

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『教科書で読む名作 羅生門・蜜柑ほか』(芥川龍之介・著/ちくま文庫)

『教科書で読む名作 羅生門・蜜柑ほか』(芥川龍之介・著/ちくま文庫)を読みました。

 まずは出版社の紹介文を引きます。

これまで高校国語教科書に掲載されたことのある短編を中心に編んだ、芥川龍之介の作品集。教科書に準じた注と図版がついて、読みやすく分かりやすい。理解を深める名評論と、付録として「羅生門」や「地獄変」のもととなった説話も収録。あわせて読むといっそう味わい深い。

 

 

 本書に収められた短編「蜜柑」を読みたくて購入。先日読んだ伊吹有喜さんの小説『情熱のナポリタン BAR追分』の第三話「蜜柑の子」で登場人物の会話に芥川の書いた「蜜柑」の話がでてきて読みたくなったのだ。

「教科書で読む名作」と銘打つだけに高校国語教科書に準じた傍注付き。しかも巻末に中村良衛氏、三好行雄氏、阿部昭氏による解説付き。そのうえ付録として「羅生門」の着想を得る基となった『古今物語集_羅城門の上層(うはこし)に登りて死人を見る盗人の語(こと)』と「地獄変」の着想を得る基となった『宇治拾遺物語_絵仏師良秀』を原文と現代語訳で収録。たいへん勉強になりました。学生の頃は大して勉強もしなかったのに、58歳になってこのような本を読んでいるのがなんだかおかしい。

 それぞれの短編に一言コメントを付けてみます。「羅生門」(善悪の基準など自分の都合でいかようにも変わる)。「蜜柑」(奉公に行ってしまう姉を幼い弟たちが踏みきりで見送っており、姉が汽車の窓から弟たちに蜜柑を五つ六つ放り投げる。暖かな日の色に染まっている蜜柑が弟たちに向かって空から降ってくる情景が鮮やか)。「鼻」(人の心には互いに矛盾した2つの感情があり、他人の不幸に同情するが、その人がどうにかして不幸を切り抜けることができると、今度はどこか物足りなさを覚え、もう一度不幸に陥れたいといったある種の敵意さえも抱くようになるのだ)。「地獄変」(芸術至上主義者の悲劇。私は以前一度読んだが二度と読まないと決めた作品)。「奉教人の死」(”迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。”_マタイによる福音書第5章11節)。「舞踏会」(美しき過去の追憶)。「藪の中」(人の口から語られる情報の虚々実々、真相は藪の中)。「雛」(開化によって日本の古き良きものが西洋文明に駆逐されていくことへのわだかまりを、没落して雛人形を手放さざるを得なくなった家族のすがたで象徴的に描いた)。「ピアノ」(関東大震災後の横浜を歩いていて、壊れて野ざらしのピアノをみつける。帰りに通りがかったときにピアノの音を聴いた気がした。幻聴だろうか。気が狂うことを恐れ続けた芥川らしい小説といえば穿ち過ぎか)

 中でも「蜜柑」が良い。弟たちに空から降ってくる橙色の蜜柑の絵が心の中に描かれ強烈な印象として残る。私の好きな短編小説に梶井基次郎の「檸檬」があるが、あれも丸善の本棚の画集を積み上げて作ったお城の頂に置かれた一個の檸檬の絵が心の中に浮かぶ。本棚にある黄色い檸檬が印象的な小説だ。味わいはそれぞれに違うが、小説の一場面が絵となっていつまでも読者の心に残る点は共通している。どちらも傑作だと思う。