佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

「かっぽん屋」(重松清著・角川文庫)を読む

 15歳。性別男性。頭の中にあることといったらただ一つ。「ああ、かっぽんしたい」 男なら誰でもこの感覚はわかるはずだ。青くほろ苦い感覚。切なくももどかしい感覚。
 本書はLPレコードのように「SIDE A」「SIDE B」に別れ、それぞれに4編の短編が収められている。SIDE Aには少年時代の性や恋に係わる自伝的な話、SIDE Bの軽いブラックユーモアが納められている。
 SIDE A 最初の話が「すいか」である。書き出しがいきなり「女はすいかを抱いて、背後から男にのしかかられていた。」である。私は「かっぽん」の意味を知らずに本書を読み始めたのだが、読み進むうちにその意味がわかり、自分が中学生だった頃の感覚が懐かしく蘇ってきた。「かっぽん」とはSEXをさす方言らしい。氏が中学・高校時代を過ごしたのが山口県だというから、おそらく山口の方言なのだろう。収録された8編のうち「かっぽん」に係る話が「すいか」と「かっぽん屋」の2編。男の子の思春期を自伝的に描いた小説だ。下品な話ではない。むしろ滑稽で少し悲しい話なのである。読めば笑える。が、同時に悲しい懐かしさに胸がキュンとなる。男にとってはおそらくこの感覚は共通のものでは無かろうか。この2編を読んでいて以前読んだ村上龍氏の「69」、芦原すなお氏の「青春デンデケデケデケ」を思い出した。巻末の作者インタビューにも、作者がこの二つの小説を読んだことが書いてあったのでおそらく作者はこの2作に触発されたところがあったのだろう。そういえば重松氏は私より3歳下、似たような年代で思春期の空気みたいなものも共通しているのかもしれない。
 この2編のインパクトが強いのだが、他の6編もそれぞれおもしろく読んだ。特に「失われた文字を求めて」は傑作だ。1日中本を読み内容を要約するという読書士という仕事に就いた男が、最初は天職と思ったが、段々精神的に追い詰められていく。プロの読書士として感情を移入せずひたすら機械的に文字を追い、要約をまとめていくという作業のハードさ、むなしさに耐えられず自分が崩壊していくのである。先輩のアドバイスはこうだ。「書き手のメッセージじゃなくて、言葉でもなくて、文字そのものを読むことを楽しむんです。たとえば、好きな文字を決めるのもいい。私は、ひらがなの『ふ』が好きなんです。曲線の連続、左右のバランス、左側のハネの角度・・・・・いいと思いません?」これを聴いた主人公は『ぬ』を追い求めることに決める。『ぬ』→「すべてが曲線でできていて、しかもぎりぎりのところまで『め』と同じように進み、最後の最後でクルッと小さな円を描いて個性を主張する」 すばらしいではないですか。実にすばらしい。小川洋子著「博士の愛した数式」に出てくる数学博士が「2番目に小さい完全数である28」をこよなく愛したように、一文字に美しさを感じる心には、すべての活字中毒者の共感を得るだろう。ちなみに私は数字の『4』を愛している。読みが「シ」であることから不吉な数字と不当に扱われていることに対する同情もあるのだが、何よりもその佇まいが好きである。シンメトリーの美しさはないが、微妙なバランスを保ちながら危うく立っている姿はけなげである。しかもよく見ると毅然と潔い姿である。
 重松氏の本は「定年ゴジラ」に続き2冊目であるが、楽しんで読める。他の作品も読んでみたい。

【追記】
「失われた文字を求めて」をおもしろいと思われる活字中毒者諸氏には「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」 (椎名誠著・角川文庫)がオススメです。本を読んでいないと、禁断症状が出てしまうほどの活字中毒である本の雑誌発行人、めぐろ・こおじを罠にはめて、味噌蔵に閉じ込めてしまい、活字を読めなくするとどうなるか? ムフフ、おもしろそうでしょ?

かっぽん屋 (角川文庫)

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69 sixty nine (集英社文庫)

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青春デンデケデケデケ (河出文庫―BUNGEI Collection)

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もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵 (角川文庫)

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