佐々陽太朗の日記

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『アラスカ物語 / 新田次郎(著)』(新潮文庫)を読む

 彼はネビロに手を取られたまま大きくよろめき、両膝を揃えて雪の上につき、そしてゆっくりと前かがみに倒れた。
 一九五八年(昭和三十三年)一月十二日、日本人(ジャパニーズ)モーゼと謳われ、アラスカのサンタクロースと称されたフランク安田はその絢爛にして数奇な九十歳の生涯を閉じた。


『アラスカ物語 / 新田次郎(著)』(新潮文庫)を読みました。

 

裏表紙の紹介文を引きます。


明治元年宮城県石巻町に生まれた安田恭輔は15歳で両親を失う。外国航路の見習い船員となり、やがてアラスカのポイントバローに留まった彼はエスキモーの女性と結婚してアラスカ社会に融けこんでいく。食糧不足や疫病の流行で滅亡に瀕したエスキモーの一族を救出して、アラスカのモーゼと仰がれ、90歳で生涯を閉じるまで日本に帰ることのなかったフランク安田の波乱の生涯を描く。

 

アラスカ物語 (新潮文庫)

アラスカ物語 (新潮文庫)

 

 


 この本は白人の鯨乱獲による飢餓によって狩猟民族としての生活を奪われ滅亡の危機に瀕したエスキモーの一族を内陸部へ移住させることによって救出したフランク安田こと安田恭輔の生涯を描いた伝記的小説である。同時に明治から昭和初期にかけて、白人が世界を跳梁跋扈し如何に環境を破壊し続けたか、如何に有色人種を蔑視し世界を蹂躙したかを描いた問題作でもある。そしてそのような時代にあって、当時のエスキモー文化とそこに生きた一人の日本人の気高い精神性を描くことによって、西欧文化に対するアンチテーゼとした文化比較論である。
 明治の時代に、清貧に耐えながらエスキモーのために一生を捧げた日本人がいて、よそ者であるにもかかわらず指導者としてエスキモーの敬愛を集め、「アラスカのモーゼ」と称されたということを知って、日本人として誇りに思う。