佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

霧の果て 神谷玄次郎捕物控

「いやねえ」

 玄次郎の腕から解き放たれると、お津世はのろのろと身体を起こし、髪に手をやりながら玄次郎を軽く睨んだ。

「朝っぱらから、さ」

 だがその眼は潤み、唇は生き生きと血の色を浮かべ、頬は上気している。女などというものは、所詮けだものだな、と玄次郎は思う。唇を吸われながら、お津世は無意識に腰をくねらせていた。

 ---むろん男もけだものだ。

 玄次郎は思った。

                                  (本書P10より)

 

『霧の果て 神谷玄次郎捕物控』(藤沢周平/著・文春文庫)を読みました。

 

裏表紙の紹介文を引きます。


北の定町廻り同心・神谷玄次郎は14年前に母と妹を無残に殺されて以来、心に闇を抱えている。仕事を怠けては馴染みの小料理屋に入り浸る自堕落ぶりで、評判も芳しくない。だが事件の解決には鋭い勘と抜群の推理力を発揮するのだった。そんなある日、川に女の死体が浮かぶ―。人間味あふれる傑作連作短篇集。


 主人公のはぐれ同心・神谷玄次郎、なかなか魅力のある男である。はぐれ同心というのは、けっして仕事が出来ないという意味ではない。いや、むしろ切れ者すぎるほどなのだ。興味を持った難事件には、それこそ骨身を惜しまず探索に没頭する。しかも剣の腕も立つ。しかし、普段は町廻りをさぼり、上司に対する恭順など持ち合わせていない。私生活では夫を殺された小料理屋の女将・お津世と犯人を捕らえた縁で懇ろになり店に入り浸っている。要するに他人から観て自堕落なのだ。

 このはぐれ同心が類い希な洞察力で人の心にある闇を巧みに見抜き、犯人をつきとめる。そうしたミステリーとしての楽しみもさることながら、読者は次第にこのはぐれ者の魅力に捕らえられてゆく。このはぐれ加減、自堕落加減がカッコイイのだ。端正な顔より、端正な顔の中に何か一つバランスを欠いたところのある顔の方が魅力があるように、なんともこの男、魅力がある。その格好良さをもう一つたとえるならば、ローリング・ストーンズの格好良さに繋がるところがあると思う。何かで読んだのだがストーンズは演奏を始める前にバチバチに完璧なチューニングをした上で、わざと少し音を外すらしいのだ。このバッド・チューニングが彼らの格好良さであり魅力なのだと……