佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

センセイの鞄

「ツキコさん、ワタクシは、ちょっと不安なのです」
「不安?」
「その、長年、ご婦人と実際にはいたしませんでしたので」
「いいですよ、そんなもの、しなくて」
「あれは、そんなもの、でしようか」
「そんなもの、ではありませんね」
「ツキコさん、体のふれあいは大切なことです。それは年齢に関係なく、非常に重要なことなのです。 でも、できるかどうか、ワタクシには自信がない。自信がないときに行ってみて、もしできなければ、ワタクシはますます自信を失うことでしょう。それが恐ろしくて、こころみることもできない。まことにあいすまないことです」
                                      (本書P261-P262からの抜粋)


 

 『センセイの鞄』(川上弘美/著・文春文庫)を読みました。川上氏の小説を読むのは初めてです。噂の空気感とはこのようなものであったかとワクワクしながら読みました。

 

裏表紙の紹介文を引きます。


駅前の居酒屋で高校の恩師と十数年ぶりに再会したツキコさんは、以来、憎まれ口をたたき合いながらセンセイと肴をつつき、酒をたしなみ、キノコ狩や花見、あるいは島へと出かけた。歳の差を超え、せつない心をたがいにかかえつつ流れてゆく、センセイと私の、ゆったりとした日々。谷崎潤一郎賞を受賞した名作。


 物語は駅前の居酒屋で私(ツキコ)とセンセイが出会うところから始まる。ツキコさんは四十路手前の独身女性。結婚歴はない。センセイはツキコさんが高校生の頃の国語の先生。歳は三十ほど離れている。ツキコさんは居酒屋のカウンターにつくなり「まぐろ納豆。蓮根のきんぴら。塩らっきょう」を頼むと、ほとんど同時に先にカウンターについていたセンセイが「塩らっきょう。蓮根のきんぴら。まぐろ納豆」と注文するのが聞こえる。このあたりがイイ。この場面だけで、三十歳の年齢差のある男女を結びつけちゃいましたね。ただ、同じものを頼んだだけではない。注文したのは実に「まぐろ納豆。蓮根のきんぴら。塩らっきょう」なのです。シブイではないですか、このチョイス。ちなみに私なら「まぐろと分葱のぬた」「蓮根まんじゅう」「茄子の漬け物」あたりを注文したいな。この後、二人は恩師と教え子の名乗りを上げながら日本酒を五合ほど飲むのですね。良いですね。七〇歳近い老人が背筋を伸ばし、居酒屋のカウンターに腰掛けて酒を飲む。三七歳の女性が一人で居酒屋に入り、同じくカウンターで酒を飲む。お互いになんとなく見覚えがあるなと思い、なんとなく好みが合うなと思っている。とても良いですね。
 それから二人は何度となく居酒屋で居合わせ、少しずつ少しずつ距離を縮めていく。その様が現実とも幻とも判らない独特の空気の中で描かれています。いや、読んでいて物語が現実に進行していることは明白です。しかし、何故か現実感が薄く、淡くぼんやりとした感がある。おそらく主人公のツキコさんの日常をあまり赤裸々にしないことで、普段どんな生活を営んでいるのか実像を結びにくくしているからでしょう。その上にセンセイの七〇歳という年齢、恋愛の対象として生臭さがないことも原因していると思います。
 そして、川上さんってほんとうに上手いなと思うのは、主人公・月子の呼び方です。あくまで「ツキコ」なのです。そして先生は「先生」でも「せんせい」でもなくカタカナの「センセイ」なのです。この呼び方、字面だけでこの二人の会話がグッと良い感じになっています。物語の中でツキコさんは何度も「センセイ」と話しかけます。センセイは何度も「ツキコさん」と話しかけます。そこにとても良い空気が流れます。良い小説に出会いました。