佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

夢十夜・草枕

 山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて画ができる。
                                          (本書P42 草枕より)

 

 

 一体『草枕』を読んだのはいつのことだったか。あるいは読むのは初めてかもしれない。しかし、冒頭に引用した文章「智に働けば……」はよく知っている。正確に暗唱までは出来ないとしても、大方このような文章だったというくらいには知っている。可能性としていちばん高いのは、漱石の代表作として読み始めたものの途中で放り投げてしまったのではないか。おそらくそうだろう。この度、読み始めたのは6月23日のことであったので、読み終えるまでに25日もかかってしまった。その間に『神様のカルテ』(夏川草介/著)、『ホルモー六景』(万城目学/著)、『STORY BOX VOL22』、『カイシャデイズ』(山本幸久/著)を読み終えていることを考えれば、計四回挫折し、そしてまた決意を新たに再度読み始めることを繰り返したことになる。何故か? この小説には筋立てが無いのだ。これについては漱石自身がこういっている。


私の『草枕』は、この世間普通にいふ小説とは全く反対の意味で書いたのである。唯一種の感じ――美しい感じが読者の頭に残りさへすればよい。それ以外に何も特別な目的があるのではない。さればこそ、プロツトも無ければ、事件の発展もない。(明治三九年『余が「草枕」』)


 

 要は漱石の世界観のみを何の構成を考えることなく書きつづったということか。読者はそこに美的感覚のみを感じればよい。そこには画や詩や音楽や小説について漱石の思考をたどる楽しみと味わいのみがあるということなのだろう。
 漱石は三十三歳のころイギリスに留学し、人種差別に傷心し、あるいは英文学研究に挫折し、ついには神経衰弱に陥ったと聞くが、では日本が住みやすいかといえばそうではない。所詮、人の世は何処に行っても同じなのだ。であれば、私は『草枕』あちこち持ち歩き、気が向いたときに適当なページをひもといてみよう。何度も読み返すために小学館から出版された最新刊の文庫本を買った。この本がボロボロになれば、少しは私にも漱石先生の考えが理解できるようになるのだろうか。一度読んで解らないものは、何度読んでも解らないかもしれないけれど。