小説『津軽百年食堂』の中に次の言葉がでてくる場面があります。
「みっともねえから、父さんはあんまりしゃべんなよ」
東京に主人公のお父さんが出てきたときに、津軽弁丸出しのお父さんに対してつい投げつけてしまった言葉です。息子にそういわれたお父さんは、すこしさびしそうにしながらも一言の文句も言わず口数を減らした。そのことを主人公はいつまでも悔やんでいます。私はその一節にさしかかったとき、思わず涙を流しそうになりました。小説では、ずいぶん後になってからのことですが、主人公がお父さんに「ゴメン」と謝ることができます。よかったなぁと思います。
私はそこまでの言葉を親に言ったことはありません。しかし、若かった頃、両親が神戸に出てきたとき、一緒にご飯を食べていて、ちょっと洒落た店にいかにも場違いで居心地のわるそうな様子を見て、ちょっぴり恥ずかしくあまり大きな声で話して欲しくないなと思ったことがありました。そのことがちょっぴり罪悪感を伴って心にわだかまっています。
話は変わりますが、一昨日、時間はすっかり22時をまわっていた夜遅くのことです。私は家の近くのバス停でバスを降りました。雨が少し降っていました。同じ停留所でバスを降りた二十歳すぎのお嬢さんがいました。そこにそのお嬢さんのお祖母さんらしき人が傘を持ってお迎えに来ました。そのお嬢さんは、お祖母さんに怒ったような口調で何か言って、折角、お祖母さんのもってきた傘を受け取らずスタスタと家の方に歩いていきました。お祖母さんは来たときと同じように傘を持ってその後を歩いていきました。ひょっとしたら、そのお嬢さんはお祖母さんにもっと早く帰ってくるように口うるさく言われていたのかもしれません。いずれにせよ、なにかその傘を素直に受け取れない事情があるに違いありません。でも、そのお祖母さんの背中がとても寂しそうに見えました。いつか、そのお嬢さんがお祖母さんの気持ちにも思いを致すだけのきちんとした大人になり、優しい言葉をかけてあげられるようになって欲しいものです。きっとそんな日が来ると思います。