佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

九マイルは遠すぎる

「それもあるが、距離から引き出せる推論はもう一つある。それは九マイルというのは正確な数字を表しているということだ」
「さあ、それはどういうことかな?」
 例の教師が生徒を叱るような表情がニッキイの顔に浮かんだ。
「かりに十マイル歩いたとか、車で百マイル走ったという表現なら、実際は八マイルから十二マイルぐらい歩いたとか、九十マイルから百十マイルぐらいの距離を走ったという意味に解釈してもいいだろう。言いかえれば、十とか百とかいうのはおおよその数字だ。正確に十マイル歩いたのかもしれないが、約十マイル歩いたという意味にもとれる。だが九マイルというときは、それが正確な数字だと考えてまずまちがいないだろう。」

                         (本書P23~P24より)

 

 

 

『九マイルは遠すぎる』(ハリイ・ケメルマン:著/ハヤカワ・ミステリ文庫)を読みました。

本格推理、アームチェア・ディテクティブ(肘掛け椅子の探偵)と呼ばれるミステリの精髄を存分に楽しませてもらった。この小説に出会うきっかけとなった米澤穂信氏の『心あたりのある者は』に心から感謝したい。

 

まずは裏表紙の紹介文を引きます。


 

ニッキイ・ウェルト教授がふと耳にしたのは「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、まして雨の中となるとなおさらだ」というなにげない言葉だった。 だが、この短い文章だけを頼りに推論を展開した教授は、なんと前夜起きた殺人事件の真相を暴き出したのだった! 純粋な推理だけを武器に、些細な手がかりから難事件を次々に解き明かしていく教授の活躍を描く、本格推理小説のエッセンスともいうべき珠玉の傑作短篇集!


 

 

「人として最も尊ぶべき性質は何か?」と尋ねられて迷わず「知性」と答える種類の人にとって『九マイルは遠すぎる』はたまらない短篇でしょう。もしも初めて読んだミステリがこの小説であったなら、その後のミステリ小説に対する見方に大きく影響するのではないか。たとえば思春期前の男の子の初恋が衝撃的に知的でエレガントな年上女性対するものだったとして、その後、思春期から青年期を通じて出会う同世代の女性の多くに物足りなさを感じてしまうのではないかといったように。もう生半な推理小説など読めなくなってしまった。