佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

美の旅人 フランス編

ピカソは言っている。

「私は見るものを描く。ある時には、ある形で、他の時には他の形で。私は考えこんだことが無いし、試してみたこともない。何かを言いたいと感じた時には、感じた通りにそれを言う。絵画に中庸はない」

                            (『美の旅人 フランス編Ⅲ』P138より抜粋)

 

 『美の旅人 フランス編』(伊集院静:著/小学館文庫)を読みました。オールカラーの文庫3巻だてです。『美の旅人』にはこれより先にスペイン編が書かれていますが、それは後で読もうと思います。

 

まずは出版社の紹介文を各巻ごとに引きます。


Ⅰ巻

美の旅人は芸術の都へ―。作家・伊集院静による「一枚の素晴らしき絵画」に出逢う旅はピレネー山脈を越え、印象派を生んだフランスを巡る。フォンテーヌブロー派、フランス絵画の父プッサン、風景画の父ロランといった十六世紀以降のフランス絵画創世記から始まり、時代の闇に隠れた画家ラ・トゥールロココ芸術の終焉を飾るフラゴナール静物画と風俗画の巨匠シャルダンへと続く。そして革命という嵐とナポレオンの出現が絵画にもたらしたものとは何か、と問いかける。スペイン編に続き待望のオールカラー文庫化が実現。フランス絵画の礎を探る第一巻。

 

美の旅人 フランス編 (1) (小学館文庫)

美の旅人 フランス編 (1) (小学館文庫)

 

 


Ⅱ巻

印象派とは何か―。フランス絵画紀行は、ロマン主義から印象派の誕生に辿り着く。デッサンにこだわり続けたアングルや世紀の児と呼ばれたジェリコー、近代絵画の巨匠ドラクロワといったロマン主義の成熟期を飾る作品を鑑賞した後、フランス絵画を巡る旅は、印象派の画家が集ったセーヌ河を下る。ヨーロッパの画壇に革命をもたらした印象派の衝撃。モネ、ルノワールシスレーピサロゴッホセザンヌ…豊潤な作品群を生み出した画家たちは、光の中に一体何を見たのか?読んで旅する美術書待望のオールカラー文庫化。フランス絵画の胎動に触れる第二巻。

 

美の旅人 フランス編 (2) (小学館文庫)

美の旅人 フランス編 (2) (小学館文庫)

 

 


Ⅲ巻

フランス絵画を巡る旅は、最後に多くの画家たちが愛した土地・南仏へと舞台を移す。『ひまわり』を完成させたプロヴァンスで、ゴッホにしか見えなかったものとは?写実主義の巨匠クールベ、南仏で生まれたバジールやロートレックセザンヌ、晩年を過ごしたルノワール、ニースの美術館に作品が集まるシャガールマティス…彼らの色彩に南仏の大地と地中海の光は何をもたらしたのか?旅の出発地パリの戻りマネ、ドガそしてピドガそしてピカソの作品も鑑賞、天才たちの足跡を詳細に辿る。フランス絵画の成熟を目撃する第三巻。幻の単行本未収録原稿も追加した完全保存版。

 

美の旅人 フランス編 (3) (小学館文庫)

美の旅人 フランス編 (3) (小学館文庫)

 

 


 

私はかつてただ一度パリを訪れたことがある。2008年の秋のことだ。

 

 写真を撮った日時は日本時間で2008/10/08 7:43となっている。ということはパリでは10月7日23:43ということになる。その夜はモンマルトルにある「ムーラン・ルージュ」でフレンチ・カンカンを見ながら酒を飲んだあと、一旦ホテルに戻ったものの、ヨーロッパ旅行最後の夜ということもありじっとしておられず夜の街を一人ぶらぶら彷徨った。ここがルーブル美術館か、明日の午前中をここで過ごすか、それとも家族や知人への土産物を買おうかと迷いながら撮った記憶がある。

 そして夜が明けた旅行最終日、己の欲望よりお付き合い人間関係重視という大人の方針の下、パリ三越で家族や知人への土産を買うことで時間をつぶしてしまった。本書を読んだ今、そのことを心から悔やむ。妻、母、妹は私が買って帰ったバッグを見て心から喜んでくれた。しかし、私はそれに費やしたお金を、いやいや、ルーブルに入ることなく費やした時間を心から悔やむのだ。あぁ、後悔先に立たずとはこのことか。

 第Ⅰ巻ではルーブルやオルセー、オランジュリー、マルモッタンなどパリにある美術館を訪ね16世紀以降のフランス絵画創世記を解き明かす。それにしても、クロード・ロランのセピア色、素敵ではないか。

 第Ⅱ巻では「ロマン主義」から「印象派」の誕生への足跡を伊集院氏なりの解釈でたどる。ドラクロワ、コロー、モネ、ゴッホと旅はセーヌを下る。日本人の大好きな「印象派」、私もその例にもれない。私の大好きな画「パラソルをさす女」(モネ)がカラー写真で登場。また、コローの「青衣の女」も素敵な画だ。コローの言葉「優しさの方が、才能よりずっと大切だ。善良な魂があれば作品の中にあらわれるものだから」が心を打つ。

 第Ⅲ巻では旅は南仏へと舞台を移しゴッホロートレックセザンヌルノワールと出会っていく。しかし私としてこの巻の中で注目するのは不具の画家ロートレックである。かつて絵を愛し優しかった少年が、長じてパリに住み、夜の町をさまよい、酒に溺れ、享楽にふける。ムーラン・ルージュの踊り子や街の売春婦とともに過ごす日々に感心を寄せた。そして、マネの白、ピカソの青。モディリアーニの描く身体の歪みやアーモンドの瞳。画家の人生や内面がどのような形で画に現れるのか。とりわけピカソを観るにつけ、それを考えさせられる。紹介された画の中で最も好きなのはロートレックの「ムーラン・ルージュ・コンサート・バル」。一番印象に残ったのはピカソの「泣く女」であった。 

 余談ながら、昨年11月に京都市美術館を訪れたことがあるのだが、私はそこで「パラソルをさす女」を観た。展示は「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」であったので本書で紹介されたオルセー美術館のものとは異なる。「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」では日傘をさす女性の傍らには子供がいたように記憶しているが、オルセーの画は女性一人。そして本書で紹介されているのは女性は左を向いているが、オルセーにはもう一点、右を向いているのもあるという。それぞれ空の雲のかかり方、日差しの強さが違うらしい。オルセーではその二点を見比べるという贅沢が許されるらしい。日傘をさす女性を描いた画はたくさんあるのですね。生きているうちに実物を目のあたりにすることができるのだろうか。難しいだろうなぁ。