佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『古寺巡礼』(和辻哲郎・著/岩波文庫)

(本書「改版序」より抜粋)

 この間に著者は実に思いがけないほど方々からこの書に対する要求に接した。写したいからしばらく借してくれという交渉も一二にとどまらなかった。近く出征する身で生還は保し難い、ついては一期の思い出に奈良を訪れるからぜひあの書を手に入れたい、という申し入れもかなりの数に達した。この書をはずかしく感じている著者はまったく途方に暮れざるを得なかった。かほどまでにこの書が愛されるということは著者として全くありがたいが、しかし一体それは何ゆえであろうか。著者がこの書を書いて以来、日本美術史の研究はずっと進んでいるはずであるし、またその方面の著書も数多く現われている。この書がかつてつとめたような手引きの役目は、もう必要がなくなっていると思われる。著者自身も、もしそういう古美術の案内記をかくとすれば、すっかり内容の違ったものを作るであろう。つまりこの書は時勢おくれになっているはずなのである。にもかかわらずなおこの書が要求されるのは何ゆえであろうか。それを考えめぐらしているうちにふと思い当たったのは、この書のうちに今の著者がもはや持っていないもの、すなわち若さや情熱があるということであった。十年間の京都在住のうちに著者はいく度も新しい『古寺巡礼』の起稿を思わぬではなかったが、しかしそれを実現させる力はなかった。ということは、最初の場合のような若い情熱がもはや著者にはなくなっていたということなのである。
 このことに気づくとともに著者は現在の自分の見方や意見をもってこの書を改修することの不可をさとった。この書の取り柄が若い情熱にあるとすれば、それは幼稚であることと不可分である。幼稚であったからこそあのころはあのような空想にふけることができたのである。今はどれほど努力してみたところで、あのころのような自由な想像力の飛翔にめぐまれることはない。そう考えると、三十年前に古美術から受けた深い感銘や、それに刺戟されたさまざまの関心は、そのまま大切に保存しなくてはならないということになる。

 こういう方針のもとに著者は自由に旧版に手を加えてこの改訂版を作った。文章は添えた部分よりも削った部分の方が多いと思うが、それは当時の気持ちを一層はっきりさせるためである。

昭和二十一年七月
                                                           著者

 

 

 

 『古寺巡礼』(和辻哲郎・著/岩波文庫)を読みました。

 和辻氏といえば、旧制姫路中学の出身。私の先輩でいらっしゃるのだが、私はこれまで氏のご著書を読むことはなかった。姫路には「和辻哲郎文化賞」なるものがあって、授賞式を観に行ったりしたことはある。哲学、倫理学、文学、芸術、歴史など幅広い領域の学術に独創的な功績を残された方だと認識している。しかしこれまで氏のご著書を読むことはなかった。とても私ごときには理解できまいとのっけから諦めていたのである。

 ところが、私が参加している月イチの読書会「四金会」の今月のテーマ書がこの本になったのです。これは否応なしに読むしかないのです。この本が選ばれたいきさつは今年の3月に「四金会」のメンバーで浄瑠璃寺岩船寺慈光院と京都から奈良へのお寺めぐり、まさに古寺巡礼をしており、そのうち浄瑠璃寺に関する記述が本書『古寺巡礼』にもあるということで、みんなで読んでみようということになったのです。

 

 ここで出版社の紹介文を引きます。


大正七年の五月、二十代の和辻は唐招提寺薬師寺法隆寺中宮寺など奈良付近の寺々に遊び、その印象を情熱をこめて書きとめた。鋭く繊細な直観、自由な想像力の飛翔、東西両文化にわたる該博な知識が一体となった美の世界がここにはある。


 

古寺巡礼 (岩波文庫)

古寺巡礼 (岩波文庫)

  • 作者:和辻 哲郎
  • 発売日: 1979/03/16
  • メディア: 文庫
 

 

 

 

 まず、この本が1919年(和辻氏30歳)に書かれたことに驚く。30歳にしてこれだけの知識を持っておられたことにも驚くのだが、94年も前に書かれたものにしては非常に読みやすいのである。読みやすいというだけで無く名文だと思う。書かれていることが読み手にすうっと入ってくるということがそれを証明している。頭の良い方の文章は読んでいて気持ちがよい。

 私は仏教にも仏教美術にも疎い。そのような者が実際に仏像や画を見ることなく本書を読んでも底が知れるというものだ。しかし、この本の良さは分かったつもりだ。本書を持って大和の古寺を訪れたい。ありきたりだがそう思った。本書は1919年に出版されて以来、多くの人に読まれてきた。その多くの人が私と同じ思いを持っただろう。この岩波文庫「青144-1」は1946年に著者が手を加えた改訂版のようである。旧版に比べ添えた部分より削った部分が多いそうだ。ちくま学芸文庫から旧版が「初版 古寺巡礼」として出版されている。早速購入して読み比べてみなければなるまいと思う。