佐々陽太朗の日記

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『妻に捧げた1778話』(眉村卓:著/新潮新書)

2022/03/15

『妻に捧げた1778話』(眉村卓:著/新潮新書)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

余命は一年、そう宣告された妻のために、小説家である夫は、とても不可能と思われる約束をする。しかし、夫はその言葉通り、毎日一篇のお話を書き続けた。五年間頑張った妻が亡くなった日、最後の原稿の最後の行に夫は書いた―「また一緒に暮らしましょう」。妻のために書かれた一七七八篇から選んだ十九篇に、闘病生活と四十年以上にわたる結婚生活を振り返るエッセイを合わせた、ちょっと風変わりな愛妻物語。

 

 

 

 正直なところ”妻に捧げた”というタイトルにこっぱずかしさは否めない。しかし著者による「少し長いあとがき」の冒頭に書いていらっしゃることを読んでなるほどと思った。その部分を引く。

 実は『妻に捧げた1778話』というこの本の題名は、毎回書いて読んでもらっていたときの気持ちとは少し違う。こっちは毎回、ただひとりの読者である妻のテストを受けていた感じで”捧げる”というような気分はまるでなかったのだ。

 しかし、妻が亡くなってしまった今では、それでいいのではないかと娘にも助言され、部屋に積み上げてある原稿を眺めているうちに、そうしてもらうことにしよう、と思うに至ったのであった。

 なるほどそういう心もちで書いていらっしゃったのだ。また眉村氏は一日一話を書き、奥様に読んでもらうということを始めたきっかけについて、奥様が癌による余命が一年少々であろうとの診断があったときに「何か自分に出来ることはないだろうか」と考えたときにこれを思いついたと書いていらっしゃる。用事と仕事は極力減らす。しかし奥様にすれば「自分のせいで仕事に悪影響が及ぶのが嫌」だろうことに思い至る。ならば妻のために面白い話を書けばいい。金にはならないが成り行き次第で収入に繋がるかもしれないと言うわけだ。美談である。しかしけっして世間の目を意識したパフォーマンスではない。それは眉村氏の「お百度みたいなもの」と仰ったことでも明らかだろう。医療からどうしようもないと宣告された者に何を出来よう。しかし何かせずにはいられない。そんな思いから作家として自然に出た発想ではないか。そう、妻のために書く一日一話は眉村氏の”祈り”に違いないのだ。その「お百度」が1778話、比叡山の「千日回峰行」を超えた。祈りが通じた。神さまなどいないかもしれないが、病身の奥様をいかばかりか元気づけたことだろう。美談だ。眉村氏はそう言われることをけっして望まれないだろうが美談だ。

 本書で紹介された19話の中で、私の好みは「224 古い硬貨」、「1098 ダイラリン・その他」、「1563 土産物店の人形」、「1592 秒読み」であった。そして「1778 最終回」の最後に記された次の2行に深く沁みいった。

長い間、ありがとうございました。

また一緒に暮らしましょう。