佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『傷 慶次郎縁側日記』(北原亞以子:著/朝日時代小説文庫)

2023/08/23

『傷 慶次郎縁側日記』(北原亞以子:著/朝日時代小説文庫)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

南町奉行所同心の森口慶次郎は、祝言を間近に控えた愛娘を不幸な事件で失う。商家の別荘の寮番として隠居生活を送る慶次郎のもとには、さまざまな事件が持ち込まれる。弱き者を情けで支える元腕利き同心のお江戸事件簿。新装版シリーズ第1弾。

空き巣稼業の伊太八は、自らの信条に反する仕事をさせられた揚げ句、あらぬ罪まで着せられてお尋ね者になってしまう。弱き者を情けで支える元南町奉行所同心の隠居・森口慶次郎のお江戸事件簿。累計100万部超の大人気シリーズ新装版刊行開始。

 

 

 北原亞以子氏を読むのは初である。いや厳密にはちがう。「ともだち」という短編を新潮文庫のアンソロジー『たそがれ長屋』で、「証」という短編を同じく新潮文庫のアンソロジー『世話焼き長屋』で読んでいる。「証」は特に素晴らしかったと記憶している。裏長屋に住む人々の厳しさの中にある人情が見事に描かれており、悲しくも美しい作品であった。

 

 

 

 この本を手に取ったのは姫路駅近くのジュンク堂書店慶次郎縁側日記シリーズとして紹介してあったのを見かけたからである。そのポップに砂原浩太朗氏による絶賛コメントがあったのだ。最近、砂原氏の小説を読み、すっかりファンになってしまった私はそれを見て舞い上がってしまった。即、シリーズ第一巻である本書を購入したのであった。失敗であった。いや、小説がつまらなかったという意味の失敗ではない。砂原浩太朗氏がべた褒めするだけあって素晴らしい小説であった。実は家に帰って本棚に新潮文庫版のものを買い置いていたのを見つけたのである。迂闊であった。我が家の本棚には、いずれ読みたいと買い置きの本が三〇〇冊はあるだろうか。本書は復刻版として出版されている。当然、買い置いてはいないだろうかと注意すべきだったのだ。仕方が無い。シリーズ第二巻『再会』以降は新潮文庫版で読むこととし、本書はどなたかに差し上げるとしよう。

 さて本書について書く。シリーズ第一巻第一作を飾るのは「その夜の雪」である。話はいきなり、主人公(元南町奉行所同心・森口慶次郎)の一人娘三千代が何者かによって乱暴され、自刃するところから始まる。辛い話だ。慶次郎は犯人を捜す。狂ったように捜す。お裁きを受けさせるためではない。殺してやるとの一心である。当然だろう。この時点では読者に明かされてはおらず、後に続く話を読みすすめて初めてわかることなのだが、慶次郎は現役の頃「仏の慶次郎」との異名をとったほどの人格者。口癖は「罪を犯させぬことこそ町方の役目」という模範的な同心であったのだ。そんな慶次郎が、己を見失うほどの怒りと絶望に駆られ、犯人を追いつめる。はてさてその結末は・・・。ここでそれを語るわけにはいかない。慶次郎がその男をどうしたか、そしてそうさせた理由に私は魅せられた。最初の話で私はすっかり慶次郎に惚れ込んだのである。

 後に続く話はそんな慶次郎と彼を取り巻く魅力的な登場人物が織りなすお江戸事件簿となっている。とりわけ「似たものどうし」が良かった。つかんだネタで強請りに精を出すような岡っ引き吉次が空樽売りの少年・源太に示す優しさ。いろいろな事情で汚れてしまった人間が、斜に構えながらもちらりと見せる真心がたまらない。もう一篇「片付け上手」も秀逸。器量がわるく、何をやらせてもグズで、そのうえ盗みまでする娘おはるを慶次郎は辛抱強く更生させようとする。さすがの仏の慶次郎も匙を投げそうになるが、意外にもおはるにひとつ「片付け上手」という美点があることに気づくという話。どんな人間にもなにか良いところがあるものだという視点が作者・北原亞以子氏の登場人物にそそぐ優しいまなざしなのだ。あぁ、たまらない。すっかり北原氏の世界にはまってしまったようだ。