姫路市立美術館で今日から開催される『イメージを織る_タピスリー・国境も時代も超えて紡がれる人間の営み』展の開会式に出席しました。
羊毛や絹、麻を用いて様々な文様や絵柄を紡ぐタピスリー(綴織壁掛)。古代西アジアのコプト織、ペルシャ絨毯、14世紀ヨーロッパの綴織、そして明治期の日本の綴織と人間が織りなした伝承を見るにつけロマンをかき立てられる。
『海鳴り 上・下』(藤沢周平・著/文春文庫)を読みました。
まずは出版社の紹介文を引きます。
老いを感じる男の人生の陰影を描いた傑作長篇
心が通わない妻と放蕩息子の間で人生の空しさと焦りを感じる紙屋新兵衛が、薄幸の人妻おこうに想いを寄せ、深い闇に落ちていく。
【上巻】
はじめて白髪を見つけたのは、いくつの時だったろう。四十の坂を越え、老いを意識し始めた紙商・小野屋新兵衛は、漠然とした焦りから逃れるように身を粉にして働き、商いを広げていく。だが妻とは心通じず、跡取り息子は放蕩、家は闇のように冷えていた。やがて薄幸の人妻おこうに、果たせぬ想いを寄せていく。世話物の名品。
【下巻】
この人こそ、生涯の真の同伴者かも知れない。家にはびこる不和の空気、翳りを見せ始めた商売、店を狙い撃ちにするかのような悪意―心労が重なる新兵衛は、おこうとの危険な逢瀬に、この世の仄かな光を見いだす。しかし闇は更に広く、そして深かった。新兵衛の心の翳りを軸に、人生の陰影を描いた傑作長篇。
こういう不倫ものは難しい。読み手の道義心にスイッチが入ってしまうことがあるからだ。現に私のつれ合いはこの小説を嫌っている。主人公・小野屋新兵衛が外に女を囲ったり、人妻に心を寄せたりするのだから、つれ合いの気持ちもわからないではない。しかし、これが江戸時代の富裕な商家の主人のすることであれば、当時としては外に女を囲う程度のことは目くじらを立てるほどのことはない。従って、道義心スイッチをオフにして読むがよろしい。
しかし、小説の舞台が江戸時代であることを思えば、不倫は大問題である。人の女房に手を出すなど命がけの所業であって、表沙汰になれば不義密通の廉で死罪は免れない。現代のように節操なくすぐに寝ておいて「一線は越えていない」などといけしゃあしゃあと宣うような軽佻浮薄な時代ではないのだ。つまりこのダブル不倫は死と覚悟の上のことなのである。それどころか、お互いの家、家族もただでは済まない。築いてきたもの、守ってきたもの、すべてを失うことを想定してなお、やむにやまれず突き動かされた結果なのだ。
さて、小説の出来を少々評してみたい。いつもながらに藤沢氏の文章は美しい。やわらかな表現で風景や登場人物の心象が鮮やかに表される。読み手の心にしみじみと沁みてくるのである。若い頃から成り上がることだけを心に決めてひたすら奮励してきた男が自らの老いを感じたときにふと心に揺らぎを感じる。「確かに一応の成功は手にした。しかし、このまま仕事だけで終わっていいのか・・・俺の人生はこんなものか」と。妻や息子が自分のやってきたことをさほど評価してくれていないとなればなおさらだ。その心の隙間におこうという美しい人が入ってくる。人生は偶然の成り行き、神様のいたずらに翻弄されるものだ。いつかお互いに抜き差しならなくなり、とうとう駆け落ちする。と、このようにあらすじをたどると「渡辺淳一か!」とツッコミが入りそうだが、ただの不倫小説にならないところ、美しく味わい深いブンガクになっているところが藤沢周平なのだ。(渡辺淳一さん、ごめんなさい。藤沢好きの戯言とお聞き流しください) 実は藤沢氏は結末に心中を考えていたという。氏は「長い間つき合っているうちに二人に情が移ったというか、殺すにはしのびなくなって、少し無理をして江戸からにがしたのである」と記している。私も二人に情が移ってしまった。二人が無事に江戸から逃れ、水戸でひっそりと寄り添って暮らしたと思いたい。
『冷蔵庫を抱きしめて』(荻原浩・著/新潮文庫)を読みました。
まずは出版社の紹介文を引きます。
あっちもこっちも不完全。そんなあなたが愛おしい。傷んだ心に効く8つのエール!短編の名手の本領発揮!幸せなはずの新婚生活で摂食障害がぶり返した。原因不明の病に、たった一人で向き合う直子を照らすのは(表題作)。DV男から幼い娘を守るため、平凡な母親がボクサーに。生きる力湧き上る大人のスポ根小説(「ヒット・アンド・アウェイ」)。短編小説の名手が、ありふれた日常に訪れる奇跡のような一瞬を描く。名付けようのない苦しみを抱えた現代人の心を解き放つ、花も実もある8つのエール。
決して正常とはいえないが、病気と言っていいかどうか微妙なところで踏みとどまり苦闘している8人の心象風景を描いた作品。正直なところ、こういう傾向の作品は私好みではない。しかし、だからといって読まないわけでもない。いやむしろ読み始めてしまえば途中でやめることはできない。つまりは私も心の中に「ビョーキ」を抱えているのだろう。負けてはだめだ、落ちてはいけないと自分を叱咤激励しながらなんとか踏みとどまっている。一見健康で闊達に見える人もそんな危うさの中で生きている。人間とはそうしたものだ。
信州から帰ってきての家飲み。
本日の一献は『福源 純米吟醸 蔵出し 無濾過原酒』を燗で。言わずと知れた安曇野の銘酒、美ヶ原温泉「旅館すぎもと」の館主、花岡さんからいただいた酒です。
となればアテも信州ものをそろえたい。
まずは松本の名店「八百源」のわさび漬けを蒲鉾に載せて。
そして、これぞ信州というもの。
「行者ニンニク漬け」(下左)
「ふきのとう塩漬け」(下真ん中)
「唐辛子味噌」(下右)
これも「旅館すぎもと」の館主・花岡さん手製の逸品です。
名付けて「花ちゃん春を喰らう」。酒のアテに最高です。
上の三品は大津の丸長の漬物(刻みすぐき、きゅうりしば漬け、比叡しば漬け)
〆は揖保乃糸のにゅうめん。
花岡さん。美味しゅうございました。
信州旅行2日目。夜も明けやらぬうちから起きだし夜明けの諏訪湖御神渡りを観に行きました。若女将がカイロを用意してくださっていました。文字通り温かいお心遣いです。
まだ暗い湖には夜明けを待つカメラマンの姿がありました。
湖から帰った我々は、とりあえず風呂に入って温まります。極楽極楽。
ゆっくりとお湯に浸かって体の芯まで温まった我々を待っていたのは、心づくしの朝ごはん。柿のシャーベット。カラダがホコホコしているのでうまい。諏訪湖や山の恵みをいただきました。焼きおにぎりとそば粥がしみじみうまい。
若女将から少し早いのですがとチョコレートをいただきました。
みなとや旅館を後にして、再び湖を観ながら上諏訪に移動し諏訪五蔵「ごくらく酒蔵めぐり」を楽しみました。
真澄
本金
横笛
麗人
ランチは「くらすわ」で食べることにしました。
私は「信州の古代米で食べる信州十四豚のカレー」、つれ合いは「信州十四豚のベーコンとかぶのカルボナーラ風クリームパスタ」。
午後は諏訪湖を離れ松本に向かいました。山々が美しい。
松本到着後、すぐに美ヶ原温泉「すぎもと」さんを訪問。花岡さんに挨拶。
その後、松本市内のホテル花月にチェックインして、すぐに松本城の近くにある名居酒屋「しづか」を訪れた。
もう一軒「居酒屋 一歩」に行きました。
2月2日(金) 信州旅行一日目、2013年1月以来の御神渡りが出現したというベストなタイミングで諏訪湖を訪れました。諏訪湖は一面氷っており、その上を真白な雪が覆っていました。御神渡りを撮るカメラマンの姿も多く見られました。
宿は「みなとや旅館」。昨年夏に初めて訪れた老舗旅館。90歳になられるという大女将から白洲次郎・正子夫妻や永六輔さん、岡本太郎さんなど、この御宿をひいきになさった方のお話しを聴かせていただきながらの食事と庭にこんこんと湧き出るお湯を楽しみました。
大女将も若女将もお元気でいらっしゃいました。若女将にはあたたかいお心遣いいただき、湖が凍り付くほどの厳冬ではありましたが、こころがほっこりと温まりました。