『変見自在 習近平は日本語で脅す』(髙山正之:著/新潮社)を読みました。
まずは出版社の紹介文を引きます。
尖閣強奪のみならず、日本併合まで企む「皇帝」の演説は70%が日本語だった!「週刊新潮」連載中の超辛口名物コラム「変見自在」。堂々のシリーズ第13弾!
目次
第1章 新聞では何も学べなくなった(もはや朝日は東スポを超えた香港返還から20年の重みを考える ほか)
第2章 歴史を正しく知れば何も怖くない(ビルマ最前線の戦場で何が起きていたか軍艦島にあった「吉田屋」の女郎の正体 ほか)
第3章 新しい時代を前に知っておくべき事(平成30年12月23日の大事な意味中国が「支那」と呼ばれるのを嫌がる理由 ほか)
第4章 世界に蔓延するウソつきの面々(だから「東大卒」は使えない習近平は日本語で脅す ほか)
第5章 やっぱり朝日の記事は奥深い(成田には韓国と中国の飛行機がよく似合う朝日に日大を批判する資格はない ほか)
「週刊新潮」の名物コラム『変見自在』の単行本化13弾である。私は髙山正之氏のこのコラムが大好きで第1弾から通読している。
こういうものを好きで読んでいるというと偏っているとの非難がどこかから聞こえてきそうだ。しかし私に言わせると偏っているのはむしろ日本の多くのメディアや教育者であり、髙山氏の主張は至極真っ当である。偏りを排すためには、まず立場が逆の両方の意見に耳を傾け、どちらが正しいかを裏付けに基づいて判断する必要があるだろう。少なくともA新聞やM新聞に書いてあるから、学校の先生がそう教えてくれたからと言うのではない。そんなものは単なる盲信誤信に過ぎない。盲信がいかに大きな災禍を招く危険性を孕むかということは、過去、人間が宗教が絡んだ戦争を繰り返してきたかを見れば火を見るより明らかだろう。そう宗教はその教義を絶対視するあまり盲信に陥りやすい。宗教に限らずナチズム、ファシズム、共産主義など様々な主義主張も行き過ぎれば盲信と言えるだろう。
とにもかくにも過去の歴史の評価については、それがたとえ教科書に書いてあることであっても本当にそうなのかという疑いの目を持ち、反対側の意見にも目を通し、捏造されたものではない確実なエビデンスがあるのかどうかをあたったうえでなされねばならない。そして過去の歴史においてこれが正史であるとされてきたものの多くは戦勝者の視点で書かれているのであって、多分に戦勝者の行いを正当化しているということに注意しなければならない。源氏と平家であれば源氏の、徳川と豊臣であれば徳川のバイアスがかかった見方がある。それは先の大戦においても同じであって、イギリス、アメリカ、オランダ、中華民国、ソ連など連合国のバイアスのかかった歴史観がまかり通っている。
過去において日本国がとった行動を日本人自らが非を認め反省することは大切だと思っている。それは日本人の持つ美質であろうとも思っている。しかしすべて日本が悪いと言わんばかりの歴史認識は、それもウソと捏造にまみれたものをそれが史実であるとするようなものまで容認できない。敗戦国の我慢にも限度がある。過去、ヨーロッパ諸国がアジア・アフリカの各地を植民地化して搾取し続けていたこと、アメリカが日本に対して行った大空襲と原爆投下は軍事施設だけでなく一般市民をも標的にした大量無差別殺戮であったことなど、連合国にも非はある。今となって日本が、そうしたことをいちいちあげつらい、他国を非難すべきだとは思わない。そのような行為は決して美しくないし、そんなみっともないことはC国、K国に任せておけば良い。そうは思っていてもA新聞の論調やK産党の言うことを聞いているとフラストレーションがたまる。『変見自在』シリーズはそんなフラストレーションを溜めに溜めた者の溜飲を下げてくれる。