佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

四十七人目の男

6月27日

四十七人目の男

 おやじが、たしか一九五二年か五三年だったか、亡くなる数年前、いっしょにあるドラッグストアにいてだれかに話しかけられたときのことが頭に浮かんでいた。
「なあ、アール、ジャップってのは、悪魔みたいなチビザルだったんだろ? あんたはジャップを山ほど血祭りにあげたんだろう?」
 すると父は侮辱されたかのように、にわかに不機嫌になって、こう言った。
「彼らのことをどう言おうが、あんたの勝手だが、チャーリー、これだけは言っておく。彼らは癪に障るほど優秀な兵士であり、最後の血の一滴まで、ひかずに踏みとどまった。生きたまま焼かれてもなお、踏みとどまって、戦ったんだ。だれも、日本軍の歩兵は義務を果たさなかったと非難することはできない」
                               (本書上巻P54)
 

 

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 『四十七人目の男 - The 47th Samurai -』(スティーヴン・ハンター/著・公手成幸/訳・扶桑社ミステリー)「上・下」を読みました。裏表紙の紹介文を下巻から引きます。

矢野一家は惨殺され、件の軍刀は何者かに持ち去られていた。ボブは矢野の敵討ちと軍刀の奪還を決意し、剣術を体得すべく道場で厳しい稽古の日々を送ることになった。数奇な過去が隠されていた日本刀。それはあたかも妖気を放つように、事件を誘発していく…。そしてボブは日本刀を手に最終対決に臨む。かつて父アールが名誉勲章を授与される場で、なぜバーボンを飲んでいたのか。ついにその理由が明らかになる。“サムライ映画”にのめり込んでいたハンターが日本を舞台に放つアクション巨編。


 狙撃手ボブ・リー・スワガー(Bob Lee Swagger)シリーズ第4弾です。今年3月18日にシリーズ最新作『黄昏の狙撃手』を読んだときに不覚にも本書『四十七人目の男』を読み飛ばしてしまっていることに気がつきました。えらいこっちゃ、すぐに読まねば、と思ったものの書評を読むとこれがもう目を覆いたくなるほどの酷評。読んで良いものかどうかちょっぴり迷ってしまいました。ボブ・リー・スワガーはシリーズ第1弾『極大射程』を読んで以来、我がヒーローなのです。もし読んでボブに対する見方が変わってしまったらどうしよう。スティーヴン・ハンターが本書において大きな汚点を残してしまったとして、これまでどおり氏を敬愛の念をもって見るために敢えて読まないほうがよいのではないか、などと埒もないことを考えていました。しかし、文庫本の帯を見て下さい。「絶対損はさせません! 面白すぎて鳥肌が立ちます。」と書いてあるではありませんか。スワガー・シリーズの大ファンの私として読まないわけにはいかない、ハンター氏を信じて地獄まででもついて行くのだ、と本書を手に取りました。
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 読んでみてどうだったか……。なんと”釘打ち師”「ボブ・ザ・ネイラー(Bob the Nailer)」の異名を持つ伝説の狙撃手に銃を持たせず、チャンバラをさせてしまいました。あぁ……、なんと言うか、やってしまいましたねーって感じです。(笑) つまり日本人が読むとディテールに違和感があるんですね。日本を舞台にしており、侍をテーマに日本人の精神世界にまで入りこんで書かれているだけに、当の日本人にすれば「それは違うだろ!」とツッコミを入れたくなるところがたくさんあります。加えて、日本人以外の読者に読ませることを前提にしているので、やむを得ないことながら、日本特有のものについてはくどくどと説明がついてくる。例えば207Pの文章に次のような一節がある。

敵が、刀の血をはらう儀式的な行為、血振りをしているのが見え、そのあと、修練を積んだことを物語るかろやかな動きで、刀を鞘におさめる儀式的な行為、納刀をするのが見えた。

これをもし日本人向けに書くならシンプルにこう書けば済む。

敵は血振りをすると刀を鞘に納めた。

これは訳者が悪いのではない。訳者は出来るだけ原文に忠実に訳すことを心がけたに違いないのだから。では、ハンター氏がなぜこのようなくどい表現をしたかといえば、日本人以外の読者にはこのような書き方をしないと解らないからだということは明らかであろう。日本オタクで時代物映画を熱心に観ていればともかく、普通の外国人は人を斬った後血振りが必要なことなど知らないし、納刀の際の儀式的な動き、すなわち、左手を鞘の口に添え、鍔に近い刀の背を左手に当て、その刀を左手の上を滑らせながら切っ先まで引いて鞘に納める一連の動作を思い描くことなど出来ないからである。
 そのような違和感を我々日本の読者に感じさせはするが、そこには目をつぶって読み流し、むしろハンター氏の持つ「侍あるいは日本人の精神世界に対する畏敬の念」を感じながら物語を読み進めると良いでしょう。実際にハンター氏は多くのサムライ映画を観ているようです。ハンター氏による謝辞にも、氏が最近のアメリカ映画のていたらくを嘆き、サムライ映画『たそがれ清兵衛』を賞賛するくだりがある。本書を読めば、氏が日本的なものにかなり傾倒していることがありありと判ります。本書は「スティーヴン・ハンター版・忠臣蔵」です。黒澤明監督の『七人の侍』をジョン・スタージェス監督が『荒野の七人』としてリメイクしたように、ハンター氏はボブ・リー・スワガーを主人公にしたサムライ映画を作りたかったに違いありません。我々は『荒野の七人』を観るように、この小説を楽しむべきなのでしょう。 

 話は変わりますが、私はこのところ「硫黄島の戦い」にはまってます。きっかけは今年3月22日に青山繁晴氏の講演を聴いたこと。その後、イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙"LETTERS FROM IWO JIMA" 』を視て、つい先日には『散るぞ悲しき ー 硫黄島総指揮官・栗林忠道』(梯久美子/著・新潮文庫)を読みました。硫黄島の戦いにおいて日本兵アメリカ兵にとって悪夢であったに違いない。死よりも苦しい生を生き、命あるうちは最後の血の一滴までその命を使い切り、アメリカ兵と戦った兵士たち。冒頭の引用した会話に記したようにボブの父アールは硫黄島で勲功を立てたアメリカ兵として、硫黄島で戦った日本兵に対し畏敬の念を持っています。父アールが硫黄島で矢野という手強い日本兵と一対一で闘ったらしいこと、そして父アールが持つ硫黄島日本兵に対する畏敬の念はどうやらその矢野に由来しているらしいこと、そのことが物語の発端となっています。「英雄は英雄を知る」、これがボブをして矢野家のために命をかけさせた理由です。

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