佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

森山大道 路上スナップのススメ

何が大事かと聞かれたら、僕は必ずこう答えてきた。

『とにかく表へ出ろ』と。そして、『歩け、とにかく歩け。それから、中途半端なコンセプトなどいったん捨てて、何でもかんでも、そのとき気になったものを、躊躇なくすべて撮れ』と。

                                    (本書p6 序章より)

 

森山大道 路上スナップのススメ』(森山大道・仲本剛/著、光文社新書)を読みました。

本の帯にある「中途半端なコンセプトは捨てて、とにかく撮れ!」というフレーズに強く惹かれて読み始めたのです。

 

 「ブレ・ボケ・アレ」と称される前衛的写真の先駆的存在、森山大道氏がフィルムカメラ、デジカメを持ち路上に出てスナップを撮り下ろす。その姿をフリーライター仲本剛氏が撮影に同行し見つめる。撮影を通じて見えてきた森山氏の写真に対する考えや姿勢、路上スナップを撮るときのノウハウを、仲本氏が森山氏の語りを交えながら余すところ無く読者に伝えてくれる撮影同行記です。

 当然、文章だけでなく森山氏の撮った写真が多く載せられている。「へぇー、良いなこれ」「すごいなー」という写真もありますが、正直なところ「この写真の何処がよいの?」と疑問符がつく写真もあります。しかしそれが氏のいう「風景が向こうから撮れと言ってきたモメント」なのであって、シャッターを押した瞬間に切り取られた風景のコピー(もしくは記録)なのだろう。

 本書を読んで感心したのは森山氏がカメラマンとしてカリスマ的な存在であるにもかかわらず、銀塩カメラにこだわらず、デジタルカメラの領域に踏み出していること。氏はデジタルカメラを使用した感想を「撮る分量が増えた」と言っている。まさに氏の持論である「量のない質はありえない」を地でいく姿勢だ。このことは我々がデジタルというツールを手に入れた以上自然なことである。いやむしろ必然と言い換えても良い。その必然をありのまま素直に受け入れるところが氏が本物であることの証左だと考えるのは私だけではないだろう。

 

 本書で語られた森山氏の印象的な言葉を引用しておく。


シャッターを押しちゃった瞬間にフィルムに焼き付いたものは、その瞬間からどんどん本人の意志を離れていく。もちろんシャッターを押すモメントは、その人間の、僕の場合は当然僕の、一瞬のうちに脳裏をよぎる記憶だったり、美学だったり、思考だったり、欲望だったりが反映されてるんだけれど。でも、撮られたほうはそんなことは知ったこっちゃないわけで。その知ったこっちゃないものが残るんだよ。それで、何年、何十年か後に、『どうだ? 』と呼びかけてくるわけ、向こうがね。それが写真の面白さ、写真の圧倒的な強みだよね。

                                        (本書P50より)


今日撮ったこの佃島もね。ま、撮っとこうか、なんて軽い気持ちで撮ったけれど。十年ぐらい経ったらね、有り得るんだよ。後世の人たちが『これ、いいよね』って言ってくれる可能性が。写真はね、その時代、時代を意識でもって、いくらでも蘇生するものだから。つまり、撮らんことには始まらないってことなんだよ。あんまり頭の中でごちゃごちゃと考えたり、理屈をこねてる前に、撮っちゃったほうがいいよっていうことなんだ。理屈なんて、後からいくらでも付けられるんだからさ。

                                        (本書P51より)


僕は常々、さまざまな場所で『写真は記録である』と言ってきたけれど、はたしてそんなこと言いきってしまっていいのか。何でもかんでも撮ればそれでいいのか。そういう思いはいつも気持ちのどこかにあるんだよ。それに楯突いてみたい、自分自身に異を唱えたい、というもう一人の自分が、僕の中にはほんとうにいつもいるんだよ。

                                        (本書P143より)


 

私は最近、なんでもかんでも撮ってみようと思っています。森山氏の言葉に触発されたということです。もちろん私のは写真なんてものじゃないです。その刹那のコピーだと思って撮っています。何年か後に、これらの写真を見返していて、このコピーが私に何かを語りかけてくれることがあるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後にYouTubeで森山氏の姿を見つけましたので紹介しておきます。

私の手元にはもう一冊の本『犬の記憶』があります。

しばらくして読みたいと思っています。