佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

走ることについて語るときに僕の語ること

 サマセット・モームは「どんな髭剃りにも哲学がある」と書いている。どんなにつまらないことでも、日々続けていれば、そこには何かしらの観照のようなものが生まれるということなのだろう。僕もモーム氏の説に心から賛同したい。だから物書きとして、またランナーとして、走ることについての個人的なささやかな文章を書き、活字のかたちで発表したとしても、それほど道にはずれた行いとは言えないはずだ。手間のかかる性格というべきか、僕は字にしてみないとものがうまく考えられない人間なので、自分が走る意味について考察するには、手を動かして実際にこのような文章を書いてみなくてはならなかった。
                                              (本書P4 前書きより)

 

 

『走ることについて語るときに僕の語ること』(村上春樹/著・文春文庫)を読みました。

 

 

裏表紙の紹介文を引きます。


もし僕の墓碑銘なんてものがあるとしたら、“少なくとも最後まで歩かなかった”と刻んでもらいたい―1982年の秋、専業作家としての生活を開始したとき路上を走り始め、以来、今にいたるまで世界各地でフル・マラソントライアスロン・レースを走り続けてきた。村上春樹が「走る小説家」として自分自身について真正面から綴る。



 ロング・ディスタンスを走って「きつい」のは必然だが、「もう駄目」かどうかはオプショナルだということ。前書き「選択事項としての苦しみ」とはそういう意味だ。マラソンにせよ、小説を書くことにせよ、自らが設定したハードルを越えることが出来たという矜持を持てるかどうか。おそらく、それこそが村上春樹氏の価値観なのだ。そしてそれは人生にも繋がる。
 村上氏は言う、「与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ」と。人生において「何か」を成し遂げた人の気持ちを代弁した言葉であろう。

 

 余談であるが、村上氏はトライアスロンのレースにも参加されるそうで、乗っていらっしゃるバイクはパナソニックのチタン製。車体には「18 'til I die」と書いてあるそうだ。ブライアン・アダムスの1996年のヒット曲のタイトルを引用した言葉です。「死ぬまで18歳」なかなか素敵なオジサンではないか。


『走ることについて語るときに僕の語ること』
“WHAT I TALK ABOUT WHEN I TALK ABOUT RUNNING”

目次
前書き 選択事項としての苦しみ
第1章 2005年8月5日ハワイ州カウアイ島―誰にミック・ジャガーを笑うことができるだろう?
第2章 2005年8月14日ハワイ州カウアイ島―人はどのようにして走る小説家になるのか
第3章 2005年9月1日ハワイ州カウアイ島―真夏のアテネで最初の42キロを走る
第4章 2005年9月19日東京―僕は小説を書く方法の多くを、道路を毎朝走ることから学んできた
第5章 2005年10月3日マサチューセッツ州ケンブリッジ―もしそのころの僕が、長いポニーテールを持っていたとしても
第6章 1996年6月23日北海道サロマ潮―もう誰もテーブルを叩かず、誰もコップを投げなかった
第7章 2005年10月30日マサチューセッツ州ケンブリッジ―ニューヨークの秋
第8章 2006年8月26日神奈川県の海岸にある町で―死ぬまで18歳
第9章 2006年10月1日新潟県村上市―少なくとも最後まで歩かなかった
後書き 世界中の路上で