佐々陽太朗の日記

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『孤独の価値』(森博嗣:著/幻冬舎新書)

2023/01/30

『孤独の価値』(森博嗣:著/幻冬舎新書)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

  人は、なぜ孤独を怖れるのか。多くは孤独が寂しいからだと言う。だが、寂しさはどんな嫌なことを貴方にもたらすだろう。それはマスコミがつくったステレオタイプの虚構の寂しさを、悪だと思わされているだけではないのか。現代人は“絆”を売り物にする商売にのせられ過剰に他者とつながりたがって“絆の肥満”状態だ。孤独とは、他者からの無視でも社会の拒絶でもない。社会と共生しながら、自分の思い描いた「自由」を生きることである。人間を苛む得体の知れない孤独感を、少しでも和らげるための画期的な人生論。
(目次)

第1章 何故孤独は寂しいのか(孤独とは何か孤独を感じる条件 ほか)

第2章 何故寂しいといけないのか(寂しさという感覚孤独を怖れる理由 ほか)

第3章 人間には孤独が必要である(個人でも生きやすくなった僕はほとんど人に会わない ほか)

第4章 孤独から生まれる美意識(人間の仕事の変遷わびさびの文化 ほか)第5章 孤独を受け入れる方法(詩を作ってみよう逃げ道を探す ほか)

 

 

 森氏は、現代人は「絆の肥満」になっているという。あまりにも他者と繋がりたがっているというのだ。繋がっていることで「楽しい」と感じることと、孤独でいることで「寂しい」と感じることはブランコの揺れのようなもので、前に振れる(楽しい)があれば必ず後ろに振れる(寂しい)がある。また前(楽しい)への振幅が大きければ大きいほど後ろ(寂しい)への振り幅も大きくなる。他人と繋がっていたい、繋がっていなければ不幸だという思いが大きければ大きいほど、つまり「絆の肥満」に陥っていればいるほど、孤独感(寂しさ)が大きくなる道理だ。こうした強迫観念がTVなどマスコミが垂れ流すステレオタイプの虚構によって植え付けられているのが現代人だというのだ。

「TVを視るとバカになる」。これは森氏が本書で言いたかったことのひとつであろう。これはけっこう重要なポイントである。もちろん森氏はそんな乱暴な言い方はなさらない。ひょっとして「ぼくはそんなこと言っていない」とお叱りを受けるかもしれない。でも私は本書をそう読んだ。

「努力を続ければ、いつかは勝てる」「自分を信じていれば、夢は実現する」といった子ども向けのきれい事、「やりがいのある仕事をして、仕事を楽しめ」といった大人向けのきれい事、たしかに運良くそうなった人もいるだろうが、そうはならない人も多々ある。しかし感動を売り物にするマスコミがこうした嘘をばらまくことで人々に強迫観念を植え付けている。

 マスコミの垂れ流す浅薄な価値観(たとえば孤独を単純に不幸・寂しさと結びつけて忌み嫌うステレオタイプの考え)から解き放たれ、孤独の良い面・すばらしさに気づくことで人は自由になり、小説や詩など文芸あるいは芸術の分野でより高い美意識を持つに至る。創作、研究、その他生物として無駄な行為に勤しむこと、それこそが人間だけが到達できる精神の高みであり、まぎれもなく豊かさなのだ。そういうことかな。

 私は先月六十三歳になった。六十歳の半ばで会社の仕事を辞し二年半が過ぎた。全くの孤独というわけではないが、毎日人に会わずに済むようになった。いついつまでに達成しなければならないという責任からも解放された。仕事が嫌いだったわけではない。しかし辞めてみてわかったのは、自分がものすごい重圧に耐えていたということ。そして夥しい時間が仕事に収奪されていたこと。端的に言って「金より時間を選んだ」ということなのだが、本書を読んでそれがあながち間違いではなかったと思える。

 最後に本書で心にとどめておきたい言葉を記しておこう。

 もし、自分の思いどおりになっていない、と考える人がいるとすれば、それは、運命を超えたものを望んでいるからであり、そもそも選択肢にない夢を追っているということになるだろう。  (本書P6「まえがき」より)

 

 人生には金もさほどいらないし、またそれほど仲間というものも必要ない。一人で暮らしていける。しかし、もし自分の人生を有意義にしたいのならば、それには唯一必要なものがある。それが自分の思想なのである。

            (本書P10「まえがき」より)

 

 僕が子供の頃には、子供が嬉しくてはしゃぐと叱られたものである。泣いても当然叱られた。静かにしていなさい、と言われるのである。僕の両親がそんなふうだったから、僕も子供たちを同じように指導した。嬉しくてもはしゃぐな、悲しくても泣くな、というようにである。それが、「上品」な人間だと考えていたし、もちろん今でもそう思っている。

・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・

 十代の後半にもなれば、人前で涙を見せるなんてことは、男のすることではない、という文化が、かつての日本にはたしかに存在したのである。今の若者はきっと知らないだろう。たとえば、スポーツなどに負けたら、涙を見せる方が好印象だと思っている人の方が多いのではないか。僕は、少なくともそうは思わない。動物ではなく、人間なのだ。感情をコントロールすることの方が「美しい」と考えている。

          (本書P88~P89「何故寂しいといけないのか」より)