佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『利休にたずねよ』(山本兼一・著/PHP文藝文庫)

――世界は、おまえの思い通りにはうごかせない。
それを思い知らせてやりたかった。
天下をうごかしているのは、武力と銭金だけではない。
美しいものにも、力がある。
天地を震撼させるほどの力がある。
高価な唐物や名物道具だけが美しいのではない。
枯れ寂びた床に息づく椿の蕾の神々しさ。
松籟を聞くがごとき釜の湯音の縹渺。
ほのかな明るさの小間で手にする黒楽茶碗の肌の幽玄。
なにげない美を見つけ出し、ひとつづつ積み重ねることで、一服の茶に、静謐にして力強い美があふれる。
                                 (本書P13より)


 

利休にたずねよ』(山本兼一・著/PHP文藝文庫)を読みました。

まずは出版社の紹介文を引きます。


女のものと思われる緑釉の香合を肌身離さず持つ男・千利休は、おのれの美学だけで時の権力者・秀吉に対峙し、天下一の茶頭に昇り詰めていく。刀の抜き身のごとき鋭さを持つ利休は、秀吉の参謀としても、その力を如何なく発揮し、秀吉の天下取りを後押し。しかしその鋭さゆえに秀吉に疎まれ、理不尽な罪状を突きつけられて切腹を命ぜられる。
利休の研ぎ澄まされた感性、艶やかで気迫に満ちた人生を生み出したものとは何だったのか。また、利休の「茶の道」を異界へと導いた、若き日の恋とは…。
「侘び茶」を完成させ、「茶聖」と崇められている千利休。その伝説のベールを、思いがけない手法で剥がしていく長編歴史小説。第140回直木賞受賞作。解説は作家の宮部みゆき氏。


 

 

利休にたずねよ (PHP文芸文庫)

利休にたずねよ (PHP文芸文庫)

  • 作者:山本 兼一
  • 発売日: 2010/10/12
  • メディア: 文庫
 

 

 

  

 利休はいかにして秀吉から死を賜るに至ったのか。本書はそれを利休切腹の日から時を溯って解き明かしていく。著者・山本兼一氏の解釈は誰よりも優れた審美眼を持ち、いつも取り澄ました利休の態度が秀吉にすれば自分が蔑まれているように感じられ逆鱗に触れたというものであろう。では、利休はなぜ、命がかかる局面に際してなおその態度を改めようとしなかったのか、秀吉に詫びることを拒んだのか。読み終えた後もその理由ははっきりしない。おそらく著者もその答えは持ち得なかった。題名の『利休にたずねよ』とは、それを利休に問えと云うことか。

 読みごたえのある歴史エンターテイメントです。歴史小説としてだけではなく、ミステリとして、恋物語として、美とは何かを問う文化論として存分に楽しめる内容です。感服つかまつりました。

 ただし、小説として文句なしの内容であることはみとめつつも、私個人としては少し申し上げたいことがある。それは天下人・秀吉を単なる独善的な暴君とし、石田三成を偏狭で邪な男として描いていることに些かの不満ありということです。

 まず、三成について少し考えてみたい。三成はややもすれば頭は良いがいけ好かない男として描かれるがちなのだが、本書においてもそのようなステレオタイプな扱いなのである。三成ファンの私としては、山本さん、あなたもですかと云いたくなります。本書では、切腹を命ぜられた理由の一つ「大徳寺三門に安置された利休木像が秀吉に対して不敬である。(秀吉はしょっちゅうその山門をくぐる。その際、利休のまたの下をくぐることになる。)」という難癖を考えついたのは三成であるということになっている。そのことによって大徳寺も窮地に立たされているのだ。しかし、三成は家康の命で斬首されたあと、確か大徳寺に葬られたはず。と云うことは、三成は大徳寺と良好な関係にあったわけで、三成が大徳寺を窮地に陥れるようなことをしたとは思えませんよ、山本さん、これは濡れ衣ではないでしょうか。

 つづいて、秀吉についても少し考えてみました。私はけっして秀吉ファンではありませんが、利休と秀吉の関係については秀吉の気持ちが分かるような気がするのです。切腹の命にしても、利休が形だけでも謝ればおそらく許されたであろうと思います。利休はただ謝れば良かったのだ。「自分には死なねばならぬ理由など何もない。秀吉は天下を取って我が儘になった。傲慢である。真の美を理解しない下司な者だ」と利休は思っている。それは天下人でない利休の言い分である。利休の心の奥底に潜むもの、それは「秀吉が間違っている」「権力を持っているが人としては下だ」といったことだろう。賎しい出自の秀吉にとって、その心こそ最も警戒しなければならないものでしょう。この時代にあって、出自とは、血とはそれほどの意味を持つものではなかったか。秀吉とすれば己の権威を危うくするものは摘み取るしかない。それを判らない利休ではあるまいにと思うのです。

 仮に秀吉であれば主に対する態度はどうだっただろうか。おそらく秀吉は信長に対しては「西ヲ東ト」云われても異を唱えなかったであろう。必要とあらばためらわず「白ヲ黒ト」も云ったはずである。それはおそらく秀吉の偽らざる信念であったし、そうであればこそ足軽という出自であったにもかかわらず取り立てられたのだ。それは身分の低いものが権力者に媚びて取り入ろうなどという下司な根性からでた態度ではない。戦国の世にあって、最強の組織をつくりあげるためには当然必要なことだからだ。一見理不尽にみえて理に適っているのだ。秀吉は心底、それを判っているから他にも利休にもそれを求めただけのことではないか。

 利休は誰よりも美に厳しかった。完璧を求めた。美に関して最高であろうとした。皆に勝たねば気が済まない。ということは、美の世界において皆を見下すと云うことと同じでありましょう。「わしが額ずくのは、美しいものだけだ」といった利休の態度は、傲岸とは云えないでしょうか。茶の心が「もてなし」であるとすれば、相手の立場や心よりも己の価値観を優先しようとするのは茶の心に反することにもなります。

 と、まあ『利休にたずねよ』を読んで、このようなことを考えた次第。もちろん、小説に書かれていることはある程度、史実を基にしてはいても、あくまでフィクションであって、本当のところは判らない。本当のところは、利休にたずねてみるしかない。