『ドクトル・ジヴァゴ』(ボリース・パステルナーク:著/工藤正廣:訳/未知谷)を読みました。
まずは出版社の紹介文を引きます。
《これで神から遺言された義務を果たし得たのです》 このパステルナークの言葉が納得できる一冊
1905年鉄道スト、1917年二月革命に始まる労働者蜂起、ボリシェヴィキ政権、スターリン独裁、大粛清――
激動のロシア革命期を知識人として奇蹟的に生き抜き、ロシア大地と人々各々の生活を描き切った、何度でも読みたくなる傑作スペクタクル!
すすみ行き、すすみ行き、《永遠の記憶》を歌い、やがて停止すると、人の足も、棺を挽く馬も、立つ風も、最後の時の聖歌を惰性でまだ歌いつづけているようだった。
通りすがりの人たちは道をあけ、花輪の数をかぞえ、十字を切った。物見好きなものたちは列に割り込んでたずねた。《どなたのおとむらいでしょうか?》《ジヴァゴです》――と返事が返された。――《道理で。それならわかります》――《いいえ、彼ではなく、奥さまです》――
(本書冒頭より)
まず率直な印象として一番に来るのは「重い」ということ。いろいろな意味で重いのだ。745Pのハードカバー。この厚さを見よ。物理的に重いのは疑念のないところ。重さを計測してみた。1,128gあった。読書が筋トレになります。
重いと云えば本書の値段8,800円(税込み)。この負担は重いでしょう。ですから図書館から借りました。
物語の中身も重いと云えば重い。歴史の重みとでも言おうか。少なくともロシア革命前後の歴史を知ったうえで読まないとよく理解できないだろう。実在したらしい登場人物やよく解らない言葉をインターネットで調べ、起こった出来事をロシアの年表に照らし合わせながら読んだ。面倒くさいが読むうえでそうした作業は必要と思える。パステルナークがノーベル文学賞を受賞することが決まったとき、旧ソ連当局に辞退させられ市民権も剥奪されたという事実があるので、そうした視点から読み進めることも重要だろう。
とにかく読みにくい。登場人物が多く、その名前がややこしい。愛称も含めさまざまな呼び方があって、これ誰のこと?と頭が混乱する。そのうえ工藤正廣氏の訳が読みづらい。訳者自身、本書を訳す姿勢を巻末に「多少のごつごつした点があっても、とにかく原文の言葉をできるかぎり、忠実に起こして、解釈や入れ台詞などなしに、作者の肉声を伝えることだと思っている」と書いていらっしゃる。パステルナーク研究者として、日本人の心情や慣習を踏まえた文学的意訳によって、パステルナークが表現したかったことを損なってしまうことを怖れたのだろう。はっきり言って、酷い日本語である。となれば本書を本当に味わうには原書を読むしかない。しかし私にはロシア語が理解できないのでそれは叶わない。
そんなこんなで、小説としては本書を好きになれない。ただ、世界的に有名な本を一応は読んだということと、おおよそのあらすじは理解したということで満足するしかあるまい。
そうそう、『ドクトル・ジヴァゴ』に関連して、今年最高のミステリとされる話題作が出版された。『あの本は読まれているか』これは面白そうだ。是非読みたい。