佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『十皿の料理』(斉須政雄:著/朝日出版社)

2023/02/07

『十皿の料理』(斉須政雄:著/朝日出版社)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

話題沸騰につき緊急重版!お腹がすいて胸がいっぱいになる。
NHK番組 「理想的本箱 君だけのブックガイド」
#将来が見えない時に読む本 で紹介!
読む度に背筋が伸びる、料理を通した仕事読本

最高級フランス料理レストラン「コート・ドール」のシェフが語り下ろす、修業時代にたどり着いた、創造性と誠実さに満ちた十皿の定番料理。究極の味わいに潜む料理への深い思いが胸をうつ。

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仕事と自分をどう近づけ、誠実で幸せな向き合い方を実現させていったのか?修行時代の経験と哲学を凝縮させた十皿が、ユーモアと感謝に包まれて差し出される、読み継がれるべき潔い1冊。
――幅允孝さん(ブックディレクター)

この本を読む度に胸が詰まって涙が出そうになるのは、あまりにも愚直にハードルを越えようとする姿が美しいから。日本のフランス料理界の宝とも言えるシェフのありようは、本書で描かれた頃も今も変わりません。
――君島佐和子(フードジャーナリスト)

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こんなにも高潔で愛しい料理があっただろうか。
さりげなく、究極の味。

「そこらへんにある何でもない野菜が、作り手の力量次第で上等な料理にもなれば、つまらない料理にもなる。受け入れる社会がどういうふうに扱うか、野菜の運命はそこで決まるんです。」

「当たり前の顔をしてすごいというのは、能(よ)く考えた結果だと思います。料理も。もちろん、人間もです。」(本文より)
目次
はじめに

第一章 十皿の料理

第一皿 牛尾の赤ワイン煮
第二皿 季節の野菜のエチュベ
第三皿 仔羊のロースト
第四皿 根セロリとリ・ド・ヴォーの煮込み
第五皿 トリュフのかき卵
第六皿 ソーモンのタルタル モンブラン
第七皿 おこぜポワレ
第八皿 しそのスープ
第九皿 えいとキャベツ
第十皿 赤ピーマンのムース

第二章 この十皿の料理は、僕の十二年間のフランスの結実です

作り方索引

おわりに
著者紹介

 

 

「コート・ドール」のシェフである著者・斉須政雄氏のお人柄がひしひしと伝わってくる良書でした。それをひと言で云うと「誠実」でしょう。その言葉が「はじめに」の中に書かれているので、その部分を引きます。

 この十皿は僕の全容ではないが、まごうことなく僕の一部です。

 この十皿の根本はすべて同じです。「誠実さ」です。

 この十皿は僕の常備薬です。いつもそばにおいておきたい。季節によって一時姿を見せないことはあっても、決してメニューから消えることはありません。

  (本書P5 「はじめに」より)

 およそ人生でいちばん大切なことは何か。私はそれを「誠実さ」だと思っています。この日本に限らず、いま全世界にある社会問題、たとえば戦争、紛争、専横、略奪、搾取、差別、虐待、人身売買、飢餓等々、あらゆる問題の根底にはその反対の「不実」があります。人道や人権、あるいは博愛を標榜するかの環境活動家、ジェンダーフリー論者、フェミニストたちの中にも「不実」が見え隠れすることもあります。言っていることは立派でもやっていること(本音)は違うところにある人は掃いて捨てるほどいます。失礼な言い方かもしれませんが、そんな人を見ていると腐臭がただよっているように感じます。私もえらそうなことは言えませんけれど。ただかろうじて腐ってはいない自信はありますのでこれぐらいは言わせてください。其処へ行くと著者・斉須氏は「誠実であること」を地で行っている方という印象を持ちます。そんなことが感じられるくだりをいくつか引きます。

 しかし、これは、冷製に考えれば、当たり前のことなのでした。僕はなにを学びにフランスに行ったか。ムッシュ・ベナー、ムッシュ・ペローが教えてくれたことは、まさに、このことではなかったか。当たり前のことをきちんと当たり前に行うことがいかに大切なことか、困難なことかを教えてもらったのではなかったか。赤ワイン煮はその素材ではなかったか。

   (本書P21「牛尾の赤ワイン煮」より)

 

 ムッシュ・ペローの目は、奥さんや子供を見るときも、新米の僕や仲間たちを見るときも、野菜や魚を見るときも、いつも同じでした。すべてに対して優しさに満ちていた。能く考えることは、よりよい結果を生むきっかけになるといつも言っていました。

 僕は幸せ者です。 

 ・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・

 旨くなれ、旨くなれと育ててもらった自分を見るようです。

   (本書P30「季節の野菜のエチュベ」より」

 

 一見ありふれたもののようではあるが、いったん口にするとその鋭さに圧倒される。本当にいいものはなんでもないように普通の顔をしていて無駄がない。こんなのが、僕の理想型です。だから、そういった意味では、このエチュベは理想型の代表格のようなものです。そしてこんなありふれた料理にこそ、五感をとぎすましてのぞまなければ、本当にありふれた料理になりかねません。

   (本書39P「季節の野菜のエチュベ」より」

 

 また、物事を肯定的にとらえる姿勢、自分への逆風を他のせいにせず、自らが跳ね返そうとする姿勢を斉須氏に見ました。これは斉須氏の基本姿勢であり矜持でありましょう。これが本書の大きな魅力です。不公平だとか、理不尽だとか、差別だとか、そうした泣き言を言わず、現実を直視して受容する。その上でならばどうするかを考え、その現実と戦っていく。そうした矜持です。ふと立川談志の「修行とは矛盾に耐えることである」という言葉を思い出した。談志(イエモト)が入門前の弟子に必ず言っていたという言葉です。私は「矛盾」を「理不尽」と置き換えてこの言葉を理解している。修行する者の心構えであり、人はその心構えがあってこそ大成するのでしょう。斉須氏がフランスでどのような気持ちで修行していたのかが良くわかるところを引いておきます。私も見習いたい態度です。

 

 いくらいい線いってても、僕はやっぱりジャポネでした。それはフランスが悪いんじゃない、ヨーロッパ大陸にはそういう階級意識が、あからさまに今でも厳としてあるのです。いくら仲間うちが優しく思いやってくれても、お客さんには僕は極東からきたジャポネでした。

 ・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・

 自分が日本人であることをテーマにしようと思いました。日本人の日常の暮らしの中にあるものを、これまで学んだ体験というフィルターで漉してフランス料理に引き込んでいく。日本の魚、野菜を斉須のフランス料理に使いこなす。これを、僕のスタイルにしたい。目立たず地味に甘んじてきた日常を舞台に引き上げてやることが本意です。取るに足りぬと思えるものの中にどれだけの輝きがひそんでいることか。きゃあきゃあと押しつけがましい大声に、どれほどの真実があるだろうか。パリで情けない思いをしたときに、ベルナールがどれだけ僕を守ってくれたか。彼は傍観しない勇気を僕に見せてくれた。

   (本書P109「しそのスープ」より)

 

 カンカングローニュでの四年と五ヵ月は、僕にとってはグラスをパーンと壁にぶつけて、その上にペッと唾をはきかけられたような感じでした。グラスは僕です。唾をはいたのはフランスという国です。これが僕のフランスの始まりでした。口惜しかったらはい上がって来いよという感じでした。自分の存在価値とか経験とかはフランスという国にとってはないのと同じ、東洋の馬の骨にすぎないということを知りました。フランスではこれが当たり前なんです。バリバリに砕かれた。この破片をもう一度貼り合わせて強靱なグラスに戻さなければならない。

   (本書P156「フランス十二年間の結実」より)

 

 こうやって、日本では経験しえない量をこなす術を覚えていきました。やみくもに働いている間に食材のことも技術のこともそれなりに身についてきて、今考えるとあのとき僕は飛躍的に伸びたんだと思います。体を動かしてものごとを覚えました。かっこいいことなんてなにもなかった。カンカングローニュは、フランスは日本ではないということを教えてくれた。働くということはこのくらい働いてこそ働いたといえるんだということを教えてくれた。犬みたいに働いた。でも、犬死にはしないぞと思った。

   (本書P158「フランス十二年間の結実」より)

 

 本書のもうひとつの魅力はやはり十皿の料理です。さすがに斉須氏の思い入れのある料理だけに、読んでいて生唾ゴクリです。中でも「季節の野菜のエチュベ」は自分も作ってみたいと思いました。簡単なレシピが書いてあります。私のようなド素人が斉須氏に近づけるとは思いませんが、一つぐらいは挑戦してみよう。おいしくできなくても、何度もチャレンジしてみようと思いました。どうやらこの本が気力を与えてくれたようです。