佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『益田っこ ありがたき不思議なり』(元正章:著/南船北馬舎)

2023/07/25

『益田っこ ありがたき不思議なり』(元正章:著/南船北馬舎)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

 本屋人から牧師へ 「神戸っこ」から「益田っこ」へ 益田からコスモスへ そして、あなたへ。
 島根県・益田教会に赴任した元本屋人の牧師が綴る、月刊「益田っこ」通信。
「さいわい住むと人の言う」この町(幸町)の住民となって6年、所詮は移住してきたよそ者であれば、この後どこまで経っても「土の人(地元の民)」にはなれないが、「風の人」として振る舞うことで、新鮮さを提供し、土と風とが一体化することで、これからの「益田の風土」を築き上げたいと願う。

 

【著者経歴】1947年神戸市生まれ。日本基督教団牧師。
早稲田大学政経学部卒。卒業後、ヨーロッパを2年半放浪。帰国後、神戸市内の書店(南天荘書店)に勤務。併行して市民団体「六甲を考える会」代表を務め、街づくり活動に注力する。のちに神戸市議会議員に立候補するも落選。1995年の阪神淡路大震災を経て、52歳の時、書店を辞め、関西学院大学神学部大学院に進み、神学を修める。卒業後、牧師として兵庫県高砂市の曽根教会に赴任。続いて西宮市の甲子園二葉教会を経て、2017年島根県の益田教会に着任。現在に至る。

 元正章氏と知り合ったのは2008年か2009年であったろうか。高砂市で月一度、第四金曜日に開かれる読書会「四金会」でのことである。「四金会」はその名のとおり第四金曜日の会という意味を持つが、読書を通して自分を試す「試金石」という意味もまた兼ね備えていたはずで、この命名者であり主催者であったのが元氏であった。違っている部分もあるかもしれないが、それが私のうろ覚えの記憶だ。

 そのころ(今でもそうだが)、私は居酒屋通いを趣味としていた。私は会社勤めをしており、若い頃から休日返上で仕事や仕事関連の調べ物や勉強に時間を割き、平日も遅くまで会社にいることが多かった。それでも2000年を過ぎたころからはそれなりの職位に就けてもらう事となり、そうすると通常の勤務時間が終わればすぐに帰ることを心がけるようになった。上司がいつまでも席にいると部下が帰りにくくなるからである。時間的には少し余裕が出来たのだが、ストレスは却って溜まるようになった。管理職や役員というのは思いのほか辛抱しなければならないことが多いのである。会社帰り、今日はこちらの居酒屋、明日はあちらの居酒屋と独り暖簾をくぐってカウンターで酒を飲みながら文庫本を読むという時間がなんとも心地よく疲れを癒やしてくれた。会社のある姫路市に飽き足らず、うまい酒を飲ませる店を求めて近隣の市にも足を伸ばすようになった。高砂市の酒呑み有志が集まり地酒を楽しむ月イチの「旬の会」という飲み会に顔を出すようにもなった。その「旬の会」を主催する会長から「四金会」という読書会があると聞き出席するようになったのである。おそらく私が読書好きでなければ元氏と出会うことは無かったに違いない。というのも、元氏とはおよそ接点がないからである。上記【著者経歴】にあるとおり元氏は日本基督教団牧師である。私はクリスチャンではない。それどころか私にはおよそ信仰心というものが欠落している。それだけでなく子どもの頃から世界史、日本史を学ぶ中で、宗教というものがいかに金にまみれ、争いごとを引き起こし、世の中に混乱と不幸をもたらしてきたかに気づいてしまい、宗教全般を嫌ってすらいる。だから私は盲目的な信仰、狂信的な信仰に陥らぬよう自分を戒めて生きてきた。それは宗教に限らず、政治、思想、信条などにおいて、何かを至上のもの、絶対のものと決めつけることの無いよう常に己を顧みるようにしてきた。つまり宗教とは距離を置くようにしており、なにもなければ牧師さんである元氏とのお付き合いは無かっただろうということだ。また本書を読んでところどころで感じられるのだが、元氏はどちらかといえば左翼的な考えをお持ちのようだ。1947年生まれの方であって、市民活動に携わってこられたならばそれは自然なことであっておかしな事だとは思わない。ところが私の立ち位置は保守なのである。本書を読んで分かったのだが、元氏が読まれる新聞は朝日新聞、私が読むのは産経新聞。仮にどこかの居酒屋で席が隣になったところで、おそらく話が合わなかったに違いない。それでも本が私たちの縁をつないでくれた。本を読む、本について語り合うということは、自分の考えの至らなさ、人の考えの良いところに気づくことでもある。高砂において始められた読書会は、益田でもやっていらっしゃるようだ。素晴らしいことだと思う。

 宗教、信仰について、ずいぶん辛辣なことを書いてしまったかもしれない。しかし私は人の信仰を否定する気などさらさらない。信仰があろうとなかろうと、あるいはどんな宗教を信仰しようとすまいと、人として取るべき態度は同じでは無かろうか。本書に書かれた元氏の言葉の多くに私は賛同する。例えば「039号 なぐるさ」の末尾に中村哲氏の著書『辺境で診る 辺境から見る』からの次の引用がある。

宗教に求められるのは、人間の限界を知る謙虚さである。キリスト者として生きるとは、『当たり前の人』として、今をまっとうに生きようとすることである。

 神の存在を信じるかどうかはともかく、信仰を持つ者にとって「神」とは人知を超える存在すべてなのではないだろうか。人知を超えるものの存在は神を信じない者も感じているものだろう。いくら科学が発達しても分からないものは無限に存在する。科学を信奉する者がものの原理を追求すればするほど、そこにある秩序の不可思議に打ち負かされる気がするものだろう。神を信じるということは、あるいは自分の限界を知るということなのかもしれない。信仰を持とうと持つまいと、あんがい根は一緒なのかもしれない。”『当たり前の人』として、今をまっとうに生きようとする” この態度こそ、人として歩む道筋だと思う。

 本書を読んで感じ入ったのは、元氏が新天地「益田」を心から好きになられ、そこに骨を埋めようとしておられること。他所から移り住まれた方であるのに、お住まいの幸町の自治会活動に取り組んでおられる由。本書の題を「益田っこ」とされたのもその現れだろう。そして今という時を大切にし、日々を送っておられること。それは本書にラテン語の「カルペ・ディエム ”Carpe diem”」(その日を摘め)という言葉や禅でいう「而今(じこん)」(今、ここだけに生きる)という言葉を引いておられることで伝わってくる。「今をまっとうに生きようとする」 これこそが元氏が宗教者として到達された態度だと思われる。私は元氏と比べ一回り年が若いが、老境に入るにつき見習いたいと思う。

 ひとつ嬉しかったこと。甲子園二葉教会にいらっしゃった頃に最愛の奥様を亡くされたのだが、益田に移り住まれ新たなご縁の結びつきがあったこと。ご結婚なさったことは知っており、「四金会」としてお祝いの気持ちもお伝えしたのだが、どんな奥様か存じ上げない。本書「029号 人生の楽園」に奥様が元氏に仰った言葉が書いてあった。

連れ合いは、言う。

「弱い人、職人さん、自然」の三つを大切にしてください。(職人とは、魂を込めて働いている物づくり人の総称。働くとは取引ではない)

 奥様のお人柄が良く分かる逸話かと。どうぞご夫婦仲睦まじく、お健やかにと願う。 

 益田が良いところであることは、二年半ほど前に自転車旅で立ち寄り分かっている。その時はお留守でお目にかかれなかったが、いずれまた訪れたいと楽しみにしている。島根県は自転車旅に最適の地であり、何よりも益田には名居酒屋『田吾作』がある。もう一度、益田を訪れお互いの健勝を喜び合えれば幸いである。

jhon-wells.hatenadiary.jp

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