佐々陽太朗の日記

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『優しい日本人が気づかない 残酷な世界の本音 - 移民・難民で苦しむ欧州から、宇露戦争、ハマス奇襲まで -』(川口マーン惠美×福井義高:著/ワニブックス)

2024/07/05

『優しい日本人が気づかない 残酷な世界の本音 - 移民・難民で苦しむ欧州から、宇露戦争、ハマス奇襲まで -』(川口マーン惠美×福井義高:著/ワニブックス)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文と著者の略歴を引く。

綺麗ごとのみ垂れ流すマスコミ、
それを鵜呑みにする政策にNO!
リアリストたれ日本人

優しい日本人が気づかない
残酷な世界の真実
難民・移民で苦しむ欧州から宇露戦争、ハマス奇襲まで

川口マーン 惠美
日本大学芸術学部音楽学科卒業。1985年、ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。ライプツィヒ在住。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。2013年『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、2014年『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)がベストセラーに。『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)が、2016年、第36回エネルギーフォーラム賞の普及啓発賞、2018年、『復興の日本人論』(グッドブックス)が同賞特別賞を受賞。その他、『そして、ドイツは理想を見失った』(角川新書)、『移民・難民』(グッドブックス)、『世界「新」経済戦争 なぜ自動車の覇権争いを知れば未来がわかるのか』(KADOKAWA)、『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)『無邪気な日本人よ、白昼夢から目覚めよ』 (ワック)、『左傾化するSDGs先進国ドイツで今、何が起こっているか』(ビジネス社)など著書多数。。

福井義高
青山学院大学大学院国際マネジメント研究科教授
1962年京都市生まれ。1985年東京大学法学部卒業、1998年カーネギーメロン大学大学院博士課程修了(Ph.D.)。日本国有鉄道東日本旅客鉄道株式会社、東北大学大学院経済学研究科を経て、現職。CFA。専門は会計情報・制度の経済分析。著書に『会計測定の再評価』、『たかが会計』、『鉄道ほとんど不要論』(以上、中央経済社)、『日本人が知らない最先端の「世界史」』、『同2』(以上、祥伝社)、『教科書に書けないグローバリストに抗したヒトラーの真実』(ビジネス社)など。

 

 

 

 読むきっかけになったのはYouTubeのあるコンテンツで川口マーン惠美氏がインタビューを受けるかたちで出演していらっしゃったのを視たことだ。海外に、中でもドイツに長く住まれた川口氏が、その経験を踏まえて今のドイツをはじめとするEU諸国の危うさを語っていらっしゃったことに強く興味を惹かれたのだ。日本では欧米が進んでいる(日本が遅れている)というコンプレックスに似た感覚がある。欧米礼讃といった態度で、これは実は私にもあった。「あった」と言うのはこういうことである。私が歳を重ねるにつれ、そうした欧米礼讃的感覚が必ずしも事実にも基づいておらず、むしろ客観的に日本を見れば日本人がめざすべきは欧米の姿ではなく、日本の良さをきちんと認識しそれをより良き方向に進めていくことだと思うようになったということ。世界各国の情勢を見るに、住みたいのは日本であり決して欧米諸国ではないというのが率直なところなのだ。もちろんそれは私の感覚であり、人によっては違うだろう。私が思うに、確かに日本に住むということは”行動の自由”という面ではある程度の社会的制約を受ける。社会的制約という言葉が適切かどうかわからないが、「法律に違反しているわけではないが無言の圧力によってその行動が規制される」という状態と思っていただいて差し支えない。ただ、では欧米ではそうした制約が無いのかというと、どうやらそうではないようなのだ。例えばLGBTの問題に関しては、日本ではこれまで自らの性的な嗜好をことさらカミングアウトしたり、少数派の権利を侵害するななどと攻撃的且つ積極的な態度は控える人が多かった。そしてかりに人数的に少数という意味で特殊とされる嗜好が明らかになったとて、表だって断罪されるこもまたない。個人のこととして許容し、そっとしておこうという態度だ。しかし欧米ではどうか。オスカー・ワイルドを例にとると、あれほど才能に溢れた文学者が男色ゆえに投獄されたのがヨーロッパの史実だ。宗教的な善悪だけで(さしたる根拠なく)裁かれてきたのではないか。時代が変わり、その反省に立つのは良い。しかしそれが過ぎて、そうした(旧い?)考えを封殺するだけでなく、内心で思うことすらも許さないと言わんばかりの言論封殺を行っているのが昨今の情勢ではないか。言論の自由はおろか、内心の自由すら許さないと言わんばかりの世の中は窮屈極まりない。SDGsポリコネも私には胡散臭いとしか写らない。その意味で川口氏が本書の中で述べられた「ドイツをはじめ西欧では、かなりの言論弾圧を民主主義と言いくるめて、次第に全体主義に向かっている気がして仕方がありません」という言葉は重い。

 本書を読んで移民問題、脱炭素、脱原発、マイノリティーの権利擁護、グローバリズムなどについて、一見進歩的で正しい主張が必ずしもそこに住む人びとの幸せに繋がらず、実は自分たちの主張と外れる意見を封殺してしまおうとする独善的なものになり、自分たちの望むかたちでの多様性は声高に言うが、別の考え意見を認めないというおよそ多様性とは言い難い全体主義に陥っている欧州の現状を知った。川口氏の語る次の言葉が分かりやすいので引いておく。

現在のドイツでの政党の勢力図は、保守とリベラルでは分けられません。保守が規則に厳格で、リベラルがその名のとおり自由というのは、まるで当てはまらない。従来ならリベラルと思われているはずの「SPD(社会民主党)」と「緑の党」は、自由を抑圧し、人々にさまざまなことを強制し、たとえば、どんな車はいけないとか、何を食べるべきだとか、どんな暖房を使えだとか、とにかく国民の生活に干渉するどころか強制してくる。しかも、今の政権になって以来、性別は男女二つだと主張する生物学者や、温暖化はドイツがCO2を減らしたからといって抑制できないと諭す物理学者が、あたかも差別主義者のように扱われるようになって”間違った意見”や”間違った政党”を指示すると、世間で爪弾きにされるという雰囲気が加速してきました。こんな不自由を強いる政党がリベラルであるはずがありません。けれど、国民はこれが民主主義だと思い込まされているように見えます。

 日本人がそんなドイツその他の欧米の主張を進歩的と思い込み、崇め奉って、脱炭素エネルギー問題や移民問題でさまざまな失敗が現実に見えてきた今になってなお周回遅れで追随しようとする姿はバカとしかいいようがない。政治家が様々な場面で、欧州の例を引き、日本が遅れていると言いつのるのを視るにつけ、その政治家がはたして救いようのないバカなのだろうか、あるいは単にそういう立ち位置を守った方が選挙に有利だからといった腹黒い売国奴なのだろうかと考えてしまうのが悲しい。

 川口氏の他の御著書『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)を読んで、日本の良さを再認識するとともに欧州コンプレックスを克服しようと思う。いたずらに欧州の言論を鵜呑みにし、さも自分はこの日本の中で進歩的な人間なのだという態度でいる軽佻浮薄なリベラリストに惑わされることなく、物事の是非をきちんと見きわめようとする真の保守を応援したい。左傾化したマスコミからの攻撃を怖れ、リベラルを気取る政治家などいらない。