佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『虐殺器官』(伊藤計劃/著・ハヤカワ文庫JA)

「不条理なもんは全部カフカだ」
            (本書p115より)


 『虐殺器官』(伊藤計劃/著・ハヤカワ文庫JA)を読み終えました。

 

 しばらく放心していました。すごい小説です。どの位すごいかというと「想像を絶するすごさ」と言えばいいでしょうか。いやそれ位では足りない。その証拠に文庫本の帯(上の写真)に諸氏のコメントが載っていますが、宮部みゆき氏は単に”すごい”ではなく「3回生まれ変わってもこんなに”すごい”ものはかけない」と言っている。伊坂幸太郎氏は「恰好良くて」の前に”とてつもなく”をつけているのである。
 読み終えて時間が経った今なお少々興奮状態にあります。力が入っています。読んでいただいている皆さん、長文注意です。いささかネタバレ的な記述もあるかと思いますので、まだ本書を読まれていない諸氏はご注意を。

 

 まずは裏表紙の紹介文を引きます。


9・11以降の、“テロとの戦い”は転機を迎えていた。先進諸国は徹底的な管理体制に移行してテロを一掃したが、後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加していた。米軍大尉クラヴィス・シェパードは、その混乱の陰に常に存在が囁かれる謎の男、ジョン・ポールを追ってチェコへと向かう…彼の目的とはいったいなにか?大量殺戮を引き起こす“虐殺の器官”とは?ゼロ年代最高のフィクション、ついに文庫化。


 

 

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

  • 作者:伊藤計劃
  • 発売日: 2014/08/08
  • メディア: 文庫
 

 

 9・11のあと、世界はどんどん個人情報管理によるセキュリティーを高めていった。先進国はいわゆる『追跡可能性(トレーサビリティ)の確保』によりテロを根絶したかに見えた。が同時に後進国ではでは民族大虐殺が頻発する。内戦や虐殺の背後には必ず謎の人物ジョン・ポールがいた。物語の主人公米情報軍のクラヴィス大尉は軍の命を受けてジョン・ポールを追う。というのがこの物語である。
 この物語で注目すべき点はふたつある、と私は思う。一つは「言語」、もう一つはホッブス的混沌」だ。
 まずは「言語」。言語とは何か、言語のもつ力について作者は相当突きつめて考察していると見える。それは本書の随所に現れており、読者は伊藤氏の考察の一部をうかがい知ることが出来る。主人公・クラヴィス大尉が謎の人物ジョン・ポールを追う中で愛してしまう女性ルツィア・シュクロウプと出会う場所にチェコプラハが選ばれたのはけっして偶然ではないだろう。プラハカフカが生まれた都市であり、その当時、オーストリアハンガリー二重帝国内の一都市であった。そして、多数のチェコ人はチェコ語をしゃべっていたが、帝国の支配者であるオーストリア人はドイツ語をしゃべっていた。チェコ人に生まれ、同時にユダヤ人であったカフカはその方が生きていくのに有利だという理由でドイツ語での教育を受けドイツ語でしゃべるしかなかった。事実、カフカチェコ語ではなくドイツ語で小説を書いている。チェコ語は200以上の語形を持ちうる語もある言語で自由な語順が許されることもあり非常に複雑で習得困難な言語なのだそうだ。第二部にあるクラヴィスとルツィアの言語に関する会話、第三部でのグラヴィスとジョン・ポールの議論が非常に興味深い。ちなみにルツィアはジョン・ポールの昔の恋人であって、プラハチェコ語の教師をしている。


「ことばは、人間が生存適応の過程で獲得した進化の産物よ。人間という種の進化は、個体が生存のために、他の存在と自らを比較してシミュレートする――つまり、予想する、という思考を可能にしたの。情報を個体間で比較するために、自分と他人、つまり自我というものが発生した。そもそも『自分』がなければ『他人』もないし、そんな自他の区別がなければ『比較』もできないでしょ。そうすることで、人間はいろいろな危険を避けられるようになり、やがてそれぞれの個体が『予測』した情報を個体間で交換するために、言葉は発生し、進化したの。自分が体験していない情報のデータベースを構築して、より生存適応性を高めるために」
「ことばは純粋に生存適応の産物だ、ということですね」
「ほかの器官がいまそうあるのと変わらないような、ね」
                                           (本書p124~p125)


「言語は学習するものだ。人間が生まれてから脳細胞が獲得してゆく、後天的な学習の産物だ。それがぼくらひとりひとりの魂を左右するなんて、ありえない」
「いまだにそんな『白紙の石版(ブランク・スレート)』のたわごとを信じている人間がいるとは、思わなかったよ。まさか子供が自閉症になるのは、愛情の欠落した育て方の結果だ、などと思っていないだろうね」
「違うのか」
「人間がどんな性格になるのか、どんな障害を負うか、どんな政治的傾向を持つか。それは遺伝子によってほぼ決定されている。……(中略)……きみはまず、自分が遺伝コードによって生成された肉の塊であることを認めなければならない。心臓や腸や腎臓がそうあるべき形に造られているというのに、心がそのコードから特権的に自由であることなどありえないのだよ」
                                           (本書p217)


 言葉と心(あるいは意識)が生存適応の過程で人間が獲得した進化の産物であって、しかも心が遺伝子コードに規定されるをすれば言葉は心臓や腸や腎臓のように器官だということか。そうするとそこにあるある一定のパターンを解明することが出来れば「言語の持つ魔力」によって、人々をある行動に誘導しコントロールできることになる。この「言葉は器官にすぎない」「心は進化の産物である」というふたつの命題はこの小説の核となっている。そして、伊藤氏が現代人文科学のタブーを犯し、人の心は何も書き込まれていない石版(ブランク・スレート)などではなく、生得的なものがあるという命題に立ち向かったことに意味があると思う。そう、この小説は「生まれたばかりの赤ん坊の心は真っ白な石版であって、その後の心や行動はすべて環境によって書き込まれる。従って人はみな平等だ」などという浅薄な”そうあるべきだ”理論に疑問符を投げかけているところがすごいのだ。
 さて、もう一つの「ホッブス的混沌」である。ホッブスは著書リヴァイアサン(1651)の中で人間は生まれつき自己中心的な快楽主義者であるから、人の行動は自然の状態のままでは愚昧な私利私欲に導かれるとしている。つまり市民国家や法の規則が何も無い状態にあっては、万人の自然権は、自分以外のあらゆる人に対する暴力を正当化し万人がお互いに戦争状態となる。であれば社会が平和に安定するためには、社会契約に中にある作り物――「リヴァイアサン」――を織り込む必要がある。このリヴァイアサンというのは国家、それも暴力と絶対的権威を独占的に与えられる国家だというのだ。正確な表現ではないだろうがだいたいそのようなことを言っているのだ。
 伊藤氏は9・11のあとの近未来社会でテロの驚異を根絶するために徹底的な管理社会を出現させ、絶大な力もつ国家を描くことで「正当化された殺人があるかどうか」という命題(この命題はドストエフスキーが『罪と罰』で問うた命題でもあるが)を読者に突きつける。
 以上、『虐殺器官』は非常に示唆に富んだSF小説である。伊藤氏はこの小説を病魔と闘いながら書き上げたという。氏が病を得てなお残された時間を小説の執筆にあてたことは世の読書人にとって僥倖であったといえる。しかし、同時にこれほど希有な才能が夭逝してしまったことは大きな損失であった。伊藤氏の死を心から悼む。