佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

植物図鑑

「どうしたんですか?」
男は眠たげに目をしばたたきながら答えた。
「行き倒れてます」

   ………

 男が警戒心を感じさせなかったせいだと思う。いつのまにか男の前にしゃがみ込んでいた。
 と、男がぽんとさやかの膝に丸めた手を載せた。
 そして、
「お嬢さん、よかったら俺を拾ってくれませんか」
 そう言った。
 まるで犬のお手みたい。膝に載った手を見ながらそんなことを考えていたのでツボに入った。
「ひ……拾って、って。捨て犬みたいにそんな、あんた」
 クククと笑い転げていると、男は更に言葉を重ねた。
「咬みません。躾のできたよい子です」
「やだ、やめてー!」
 ますます笑いが止まらなくなった。
 今にして思うと、この瞬間をして魔が差したというのだろう。
                                                               (本書P11-P12より)

 

『植物図鑑』(有川浩・著/角川書店)を読みました。

 

 

植物図鑑

植物図鑑

  • 作者:有川 浩
  • 発売日: 2009/07/01
  • メディア: 単行本
 

 

 

 これは恋したい乙女のおとぎ話である。有川浩氏を乙女と言っていいかどうか多少迷うところだが、有川氏の乙女度は高い、それもかなり高いと見た。先生の願望を120%妄想化していると云ってもあながち見当はずれではないだろう。なにせある日飲み会から一人暮らしの部屋に帰ろうとしていた道すがら、若くてカッコイイ男が道端に落ちているのである。しかもその男、ウィットに富んでいて「俺を拾ってくれませんか?躾のいい男です。咬みません」などと曰うのだ。

 

 この小説の良さは、ベタ甘と言って良いほどの甘さなのだが、それだけではない。寒い冬の後にようやく訪れた春とその後に予感させる花が咲き緑萌える幸せな季節の到来を象徴する春の野草の”ほろ苦さ”、この幸せな”ほろ苦さ”こそがこの小説の良さなのだ。そしてこの小説を読むのに最も適した季節は2月~3月です。冒頭に引用した場面は主人公さやかがちょっといい男の行き倒れ”イツキ”を道端で拾う場面だが、これがまだまだ夜が凍りつく冬の終わりのこと。そして二人の生活が始まり、寒さが和らぎだんだん温かくなる春の訪れに合わせたように二人はその関係を温めていきます。そのきっかけとなるのは春の野草摘み(フキノトウ、フキ、ツクシ、ノビル、セイヨウカラシナなどなど……)とそれを使った料理なのである。


 小説として低俗だとか所詮ライトノベルだという嫌いはあると思う。そしてそれはあながち見当違いの議論ではない。しかし、読者の中にはこうした軽く読めてハラハラして胸がきゅんとなるような小説を読みたいという欲求はある。現に私は「少女漫画なんて」と思いながらも、たまたま手持ちぶさたでその漫画誌を手にとってパラパラと捲っている内に読み切ってしまったという経験を持つ。それも熱中して読み終えただけでなく、早くつづきを読みたいと思ったものです。おそらく好むと好まざるとにかかわらず小説読者はこの小説の持つような「糖分」を求めているだろう。そんなもの要らないと云う人があったとしてもそれは潜在意識の中では「糖分」を求めつつも、それを己に許すことを潔しとせず、「アンチ恋愛小説」という形であらわれているのであろう。「アンチ」は「好き」の最も典型的な現れ方だ。ある日、思いがけず女は男に会い、二人の間に恋愛感情が生まれるがそれを素直に出せずイジイジ、やがてあることを機会に二人は結ばれるが、男は謎の内に失踪する、女は待つ、帰ってくるという確信を持てないまま待つ、その健気な気持が報われめでたしめでたし、という画に描いたようなストーリー展開である。しかし、有川氏の上手いのはその男のキャラクターづくり(野生の植物に詳しく、料理上手、倹約上手)と季節季節の山菜や野草を料理するというエピソードを物語の味付けに使っているところ。これによってありきたりの恋愛話が極上の恋愛小説に変貌を遂げているのである。読者から「道草恋愛小説」と愛されるまでに昇華しているのだ。とはいってもベタ甘はベタ甘。小説としての評価高からずはやむなし、要は「砂糖食いの若死」をいましめとして、苦いもの、辛いもの、淡泊なもの、難解なものも読んでバランスを取るべしということだろう。

 

 これは賛否両論、毀誉褒貶、賞賛悪評相半ばする小説でしょう。評価はどうあれ非常な魅力に溢れた小説であることに間違いはありません。未読の諸兄諸姉には是非一読をお薦めしたい。恋愛小説として楽しめるかどうかはともかく、料理してみようかという気になると思いますよ。あ、料理といえば作中で「料る」という表現が目立ちます。私はそのたびに引っかかりをおぼえました。有川氏には失礼ながら、普通に「料理する」とか「調理する」などの言い回しの方が良いと思います。古い言い回しでこうした表現はあるのでしょうけれど、この小説内でこの表現は違和感がありすぎだ。ちょっと残念でした。

 

 うれしいことに巻末に特別付録「イツキの”道草料理”レシピ」がついています。

  • フキの混ぜごはん
  • ノビルのパスタ
  • タンポポの茎の炒め物&葉っぱの炒め物、葉っぱのおひたし、花の天ぷら
  • ヨモギのチヂミ
  • ヨモギの油揚げサンド

 小説中にはこのほかにたくさんの道草料理が登場します。私はそれらの料理を作って楽しんでいます。「ばっけ味噌」「フキノトウの天ぷら」「ユキノシタの天ぷら」などです。まだ季節が早く生えてきていませんが「イタドリの炒め物」も作ってみたい。「シュウ酸」に注意が必要ですけれど……

さて、今日は天気もよい。今からノビルを獲りに行くとしましょう。