佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

花と火の帝

<まだ十四やないか>

 岩介は正確に少年の年齢を読んだ。

<たった十四でそないに不倖せなんか>

 どんなに貧しい家の子でも、或いは肉親を持たぬ浮浪児でも、これほどの不倖せの中にはいまい。岩介はそう感じた。天皇の御子として生まれて来なければ、遙かに安楽で自由な青春がこの少年を持っていた筈である。

<素晴しい>

 気の毒に、などと岩介は思わない。大いなる不幸は屢々大いなる栄光を呼ぶことを、岩介は知っていた。

 だが同時に、大いなる不幸はまた大いなる破滅をも呼ぶ。

 大いなる栄光を呼ぶか、大いなる破滅を呼ぶか、それは全く本人の志の高さと、時の運による。

                                 (本書上巻P127より抜粋)

 

 

花と火の帝』(隆慶一郎・著/講談社文庫)を読みました。長く積読本としてあたためていた本です。読みたくて読みたくて仕方がなかったのですが、読むのが怖かった本です。なぜか。それはこの小説が隆慶一郎氏の絶筆となった未完の書であることを知っていたからです。2010年11月に同じく隆氏の未完の名著『死ぬことと見つけたり』を読んだときの苦しみをもう一度経験するだけの踏ん切りがつかなかったのです。あのときの無念さ、苦しみといったらなかったのですから。続きが読みたくても読めない苦しみにのたうち回り、悶絶しそうだったのです。

 

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出版社の紹介文を引きます。


(上巻)後水尾天皇は16歳の若さで即位するが、徳川幕府の圧力で2代将軍秀忠の娘、和子(まさこ)を皇后とすることを余儀なくされる。「鬼の子孫」八瀬童子の流れをくむ岩介ら“天皇の隠密”とともに、帝は権力に屈せず、自由を求めて、幕府の強大な権力と闘う決意をする……著者の絶筆となった、構想宏大な伝奇ロマン大作。


 

(下巻)徳川家康、秀忠の朝廷に対する姿勢は禁裏のもつ無形の力を衰弱させ、やがて無にしてしまうことだった。「禁中並公家諸法度」の制定や「紫衣事件」などの朝廷蔑視にあって、帝は幕府に反抗し、女帝に譲位し、自らは院政を敷くことにする…。波瀾万丈の生を歩まれる後水尾天皇を描く、未完の伝奇ロマン。


 

 

力による統治には限界があり、統治をどれほど強固に固めようとしてもいつかは綻びがでるということか。人は目の前の力に屈しても、内なる精神は決して屈することはないということなのだろう。もっと読んでいたかった。もっと、もっと、隆慶一郎氏の世界に遊んでいたかった。わかっていたことだが、連載途中での無念の絶筆。読者としてこれほどつらいことはない。しかし、『死ぬことと見つけたり』もそうであったが、たとえ未完成の作品であっても、この小説が輝きを失うことはない。私にとって忘れられない小説となった。