佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『シャーロック・ホームズの凱旋 "The Triumphant Return of Sheriock Homes"』(森見登美彦:著/中央公論新社)

2024/01/31

シャーロック・ホームズの凱旋 "The Triumphant Return of Sheriock Homes"』(森見登美彦:著/中央公論新社)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

天から与えられた才能はどこへ消えた?
舞台はヴィクトリア朝京都。

洛中洛外に名を轟かせた名探偵ホームズが……まさかの大スランプ!? 謎が謎を呼ぶ痛快無比な森見劇場、ついに開幕!

-----

この手記は脱出不可能の迷宮と化した舞台裏からの報告書である。 いつの間にか迷いこんだその舞台裏において、私たちはかつて経験したことのない「非探偵小説的な冒険」を強いられることになったわけだが、世の人々がその冒険について知ることはなかった。スランプに陥ってからというもの、シャーロック・ホームズは世間的には死んだも同然であり、それはこの私、ジョン・H・ワトソンにしても同様だったからである。 シャーロック・ホームズの沈黙は、ジョン・H・ワトソンの沈黙でもあった。

-----(本文より)

【目次】 プロローグ

第一章 ジェイムズ・モリアーティの彷徨

第二章 アイリーン・アドラーの挑戦

第三章 レイチェル・マスグレーヴの失踪

第四章 メアリ・モースタンの決意

第五章 シャーロック・ホームズの凱旋

 

 

 あぁ、それにしても長かった。なんと森見登美彦氏が新作を刊行するのはかれこれ三年半ぶりである。気が遠くなるほど長い間待たされたのだなぁと感慨深い。涙が出るほどである。

 前作『四畳半タイムマシンブルース』で森見氏が再び京都を舞台とした腐れ大学生ものに回帰したことで、その次もあるいはと期待していたのだが、その期待はあっさり裏切られた。今作はなんと主人公がシャーロック・ホームズと来た。なんだなんだ、森見氏もいよいよミステリを書くのか? と思いきや、そこはやはり森見登美彦である。舞台はヴィクトリア朝京都と来た。たとえばシャーロック・ホームズが住まいは寺町通221B、丸太町通の北にはヴィクトリア女王がお住まいなる宮殿があり、また岡崎には「クリスタル・パレス」があるといった具合である。もちろん町中にスコットランド・ヤード(京都警視庁)もある。(笑)

 ここで主要な登場人物を紹介しておこう。

  • シャーロック・ホームズ
    洛中洛外にその名を轟かせた名探偵」。寺町通221Bに住んでいる。
  • ジョン・H・ワトソン
    ホームズの相棒。下鴨本通に自宅兼診療所を構える医師。
  • ハドソン夫人
    寺町通221Bの家主。彼女には天下の名探偵も頭が上がらない。
  • メアリ・モースタン
    ワトソンの妻。「四人の署名」事件をきっかけに結婚したが・・・
  • ジェイムズ・モリアーティー
    百万遍の東、吉田山の麓にある大学の応用物理学研究所の教授。
  • アイリーン・アドラ
    南座の大劇場に出演していた舞台女優。昨年の秋に電撃引退した。

 森見氏お得意の京都を舞台としたファンタジー小説となっており、しかもホームズはもちろんのことワトソンやアイリーン・アドラー、ハドソン夫人、ジェイムズ・モリアーティ教授などかつてコナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズを愛読した者ならおなじみの登場人物が活躍するとあっては楽しくないはずはない。いつの間にか奇妙奇天烈な作品世界にからめ捕られ、読み耽ってしまった。しかしひとつだけ気がかりなことがあり、手放しで楽しめなかったことがある。それは「スランプ」である。本作ではホームズがスランプに陥っている。それも極度のものである。これがあのホームズなのかと信じられないほどのものだ。自慢の推理力が発揮されず、事件を一件も解決できない。もちろんのことホームズ不振の余波は相棒のワトソンにも、スコットランド・ヤード(京都警視庁)のレストレード警部にもおよぶ。さらにホームズの宿敵、モリアーティ教授までもがスランプに陥っていることが分かる。これら「スランプ」が読み手の私の心証に影を落としたのは、それが作者森見登美彦氏の苦しみでもあることがひしひしと感じられるからである。森見氏は自らのスランプをホームズのスランプに投影している。それが私の印象です。

 そこで私は次のことを言っておきたい。どうぞ気の済むまでスランプでいてくださいと。既刊の作品群だけで私は「私が一番好きな作家は森見登美彦氏です」と言い切ります。おそらくそれは私が死ぬまで揺らぐことはないでしょう。ひいきの引きだおし、毒を食らわば皿まで、私は死ぬまで森見ファンでありましょう。それは『夜は短し歩けよ乙女』で初めて森見氏に出合い、その後『太陽の塔』、『四畳半神話大系』と読みすすめるうち、危険なほど中毒性の高い文章、あらゆる詭弁を弄し人間の業を肯定してしまう天才的な論理、詭弁の裏に隠された哀しいほどの純情など、そうしたものの虜になってしまった私の偽らざる心情であります。スランプなどとは無縁の強者に何の魅力がありましょう。苦悩にのたうちまわり、ときに弱音を吐き、ときに道を誤る人間臭さ、弱さをこそ文学は愛するのです。

 振り返れば2018年の暮れに『熱帯』(文藝春秋社)を読み、そこに描かれたマトリョーシカ的迷宮が当時の森見氏の出口の見えないスランプを表しているようで心を痛めたものだ。そして前作『四畳半タイムマシンブルース』(角川書店)を読み歓びに打ち震えたのは2020年のこと。京都の腐れ大学生ものの系譜にしっかりと連なり、しかも名作『四畳半神話大系』と登場人物を同じくし、そのうえあろうことか歴史改変SFに仕上げてあるというおそろしく贅沢な小説とあって私の心は溢れんばかりの歓びに打ち震えたのであった。もうこれで安心と浅はかに考えていたのだが、その間、その後も悩み苦しんでいらっしゃった由、心が痛みます。先程はどうぞ気の済むまでスランプでいてくださいなどと軽々に申し述べてしまいましたが、願わくば「シャーロック・ホームズの凱旋」が「森見登美彦の凱旋」にならんことを。

 

jhon-wells.hatenablog.com

jhon-wells.hatenablog.com