佐々陽太朗の日記

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『永遠平和のために』(イマヌエル・カント:著/池内紀:訳/集英社)

2024/06/09

『永遠平和のために』(イマヌエル・カント:著/池内紀:訳/集英社)を読んだ。カントなんぞ、難しくてとても読む気がしない。しかし先日読んだ『いのち愛づる生命誌(バイオヒストリー) 38億年から学ぶ新しい知の探求』(中村桂子:著/藤原書店)の中で、著者の中村氏が解りやすいと書いていらっしゃったので、ならば読んでみるかと思ったのである。中村氏による生命誌の立場から見れば、地球上にいる多様な生きものはすべて38億年前に生れた祖先細胞から生れた仲間。その生きものの一つである人間にしても、20万年ほど前にアフリカで生れた少数の祖先をもつ仲間であることが明らかになっており、そうであればお互い「敵意」をもたない状態をつくり出せないはずはなかろうということでしょう。

 はてさて私にもカントが理解出来ようか。まずは出版社の紹介文を引く。

有史以来、戦争をやめない人間が永遠平和を築くために必要なこととは? 哲学者カントの永遠の名著を、日本の未来を担う若者に向けてわかりやすく親しみやすい言葉で訳した「16歳からの平和論」を復刊。

 

 

 なるほど若者向けに訳された「16歳からの平和論」の復刊版が本書であったのか。それをもうすぐ65歳になろうとするジイサンが読んでなんとするとふと思ったが、何歳になろうと学ぶことは大切だし、知るということは楽しいことでもある。それに「永遠平和」などという凡そ非現実的と思われる言葉を1724年生まれの偉い人がどのように説くのか、どのような方法論が展開されるのか、ほんとうに”わかりやすく”読めるのならお手並み拝見とばかりに、ちょっとばかり揶揄の入り交じったイジワルな気持ちをもって読んだことも事実。

 本書の構成として、まず導入部にカントの記した箴言藤原新也氏、野町和嘉氏、江成常夫氏の写真とともに紹介し、然る後に『永遠平和のために』ができるだけ平易な言葉で訳したものが掲載され、最後に訳者・池内紀氏の解説がある。ただし池内紀氏の解説はカントが『永遠平和のために』を書くに至った背景などを説明したもので、カントの思想の中身を解説したものではない。

 私は導入部を読み始めていきなりがっかりしかけた。

 曰く、

平和というのは、すべての敵意が終わった状態をさしている。

 また曰く、

常備軍はいずれ、いっさい廃止されるべきである。

 さらに曰く、

永遠平和は空虚な理念ではなく、われわれに課せられた使命である。

 あぁ、よくいる理想主義者か・・・と思ってしまった。箴言ではあるが、それが出来れば苦労はない。所詮は机上の空論でしかないと思った。しかしその後に続く訳を注意深く読んでいくと、単なる理想主義者でないことが判った。確かにカントは理想主義者ではあるのだが、同時に冷徹な現実主義者でもあるようだ。その意味で現代そこかしこに見られる「国防をもタブー視し、全体主義国家の横暴を看過するたぐいの」左翼平和主義者とは全く違う。

 第一章に「国と国とが、どのようにして永遠の平和を生み出すか」として次の六つの禁止条項が示される。

  1. 将来の戦争を見こして結んだ平和条約は、平和条約ではない。
  2. 独立している国を(小国であれ大国であれかかわりなく)、べつの国が、引きついだり、交換したり、買収したり、贈与したりしてはならない。
  3. 常備軍はいずれ、いっさい廃止されるべきである。
  4. 対外紛争のために国債を発行してはならない。
  5. いかなる国も、よその国の体制や政治に、武力でもって干渉してはならない。
  6. いかなる国も他の国との戦争中に将来の和平にあたって、相互の信頼を不可能にするようなことをしてはならない。殺し屋を雇ったり、毒薬を用いたり、降伏条件を無視したり、背信をそそのかしたり、等々。

 御説ごもっとも。どうすれば世界の恒久平和を獲得出来るかという観点での鋭いアイデアである。ただこれだけだと理想論にすぎないと言わざるをえない。というのも、全ての国が六つの禁止条項を守る保証などどこにもないだろうから。戦争はその戦う双方の国の戦意に基づいて勃発するものではない。どちらか一方の国が他国侵略の意図を持てば戦争は起こる。世界に数ある国の中で、ただの一国でも戦争を企図すればそれは起こるだろう。ただ3に「常備軍はいっさい廃止されるべきである」と言いながらも、ただし書きに「国民が期間を定め、自発的に武器をもって訓練し、みずから、また祖国を他国からの攻撃にそなえることは、まったくべつのことである」とも言い、現実論として自衛のための戦争を明確に認めていることは特筆すべき事である。加えて最後に1と5と6は事情がどうあろうとも直ちに禁止を迫るべきこととしたが、2と3と4については事情によっては実行を延期できるとしている。このあたりも現実に根ざした論といえるだろう。永遠平和という目的は見失ってはならないとしながら、現実的な対処を否定はしていないのである。つまりカントは(戦後日本に多く見られる)愚かな絶対平和主義者ではない。

 そのことは第二章「国家間の永遠平和のために、とりわけ必要なこと」を読むと良く判る。カントが「人間の本性は邪悪であり戦争に向かうのは当然だ」と考えていたことが書かれており、「だからこそ平和状態を意識的に創出し、それを根付かせなければならない」と説く。自然状態を戦争状態とみるという考え方、つまりトマス・ホッブズに端を発する「社会契約説」をカントが支持していたことが判る。カントは現実主義者として人類の歴史を直視し、「人間は本来平和的だった」などというナンセンスなお花畑論を排除し、ならば「どうすれば戦争が起きなくすることができるか」を考える。カントは「永遠平和のために必要なこと」を次の三項目にまとめる。

  1. どの国であれ市民のあり方は共和的であるべきである。
    この「共和的であるべき」の意味するところは現代人の考える「代議制民主主義制度」と同じであると考えられる。
  2. 国際法は自由な国家の連合にもとづくべきである。
    永遠平和を維持するための機構として、一つの政府が全世界を統一する「世界国家」が理想と考えられがちだが、カントはそれを志向しない。というのは国家であるかぎり、上位(法を定める側)と下位(従う側)が生じてくるから、いくつもの民族が一つの国家をつくり、一民族としてふるまおうとするのは無理があるからである。ここでもカントは現実論者として対等な国家同士が集まる「国家連合」を志向している。
  3. 世界市民法と友好の条件。
    問題は人間愛といったことではなく、権利である。かぎられた土地のなかで、人間はたがいに我慢し合わなくてはならない。もともと地球上のある一地点について、誰がより多くの権利を持っているわけでもない。ヨーロッパの列強諸国は信仰心をいいたて、不正の水をたらふく飲み、みずからをこの世の選民とみなしている。こうしたことは永遠平和に反する行為である。日本の鎖国は賢明な対処であった。

 以上、本書を読んで、自分なりの理解を端折って書いてみたが正しく理解できたかどうか心許ない。「永遠平和」が実現できるという確信を持つにも至らなかった。ただ「人間の本性は邪悪である」という現実主義的な前提に立つことで、空虚な理想論ではなく現実的に「全員が同じルールに従う方が自己の利益に適うという法や制度、経済システムを考えつくりだしていくことが大切だ」というカントの考え方は腑に落ちた。諦めなければいつかは達成できる目標、それが「永遠平和」であるということか。努力目標にすぎないといった皮肉な見方をしては、あの世のカントに叱られるか。