佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『女は太もも エッセイベストセレクション 1 』(田辺聖子:著/文春文庫)

2023/01/27

『女は太もも エッセイベストセレクション 1 』(田辺聖子:著/文春文庫)を読んだ。

 田辺聖子氏の「エッセイベストセレクション」については「2」を先に読んでいる。昨年8月10日のことである。いつだったか、呑み友のどなたかにいただいたのだ。ひょっとしたら貸して下さったのかもしれないが、誰からどのように渡されたのかよく覚えていないのだ。飲み会の帰りに渡され(たような気がする)、そのままになっていたものだ。読後レビューについてはこの記事の一番下にリンクを張っておく。

 さて、出版社の紹介文を引く。

オトコの見当はずれ、オンナの欲望!
田辺聖子さんと言えば、大人女子の心を鷲摑みにする甘やかな恋愛小説や、古典教養の世界に軽やかに誘う名随筆の数々…だけではないのです。過去の週刊誌コラムから選りすぐったこの一冊には、男女の性の話つまり「下ネタ」が満載!  目次には「女の性欲」「四十八手」「名器・名刀」 (まだまだあります) ……女(男)って、こ、こんなこと考えてるのか! と愕然としつつも、深いアフォリズムと成熟した大人の智恵が深く心に響いてためになる、必読の極上エッセイ集です。

 

 

 

 下ネタです。ほぼ全編、下ネタです。なのに不思議と下品ではない。なぜか。筆致に軽さがあるからである。ユーモアがあり、逆にイヤミがないからである。おおらかさがあるからである。教養があるからである。カモカのおっちゃんとの丁々発止のやりとりも、どこか余裕がありお互い様と許し合う様子があるのだ。昨今のフェミニストジェンダーフリーを声高に叫ぶ輩とは人間の幅が違う。格も違う。男と女の違いを認め、どこまでも理解し合えないところがあることを承知しながらも、違うからこそ愛おしみ、許すのだ。違いがあることを認めるということは、お互いに相手を追いつめないという態度に繋がる。そうした態度こそ知性であり、教養であろう。

 

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牡蠣フライ、鰤しゃぶ、ワカサギの南蛮漬け

2023/01/27

 本日の厨房男子。

 昼から酒を飲みながら厨房に立つ。酒は「月桂冠 純米大吟醸」。娘が正月に帰ってきたとき持ってきてくれたものだ。さすがは大手。バランスがとれており隙が無い。それが欠点ともいえるが。

 まずは「ワカサギの南蛮漬け」を仕込む。これは味がしみて骨まで柔らかくなった方がうまい。漬け込んで明日か明後日が私好みの食べ頃だ。

 続いて「牡蠣フライ」。ヨーグルトソースでいただく。月桂冠を飲みきったので酒を「七賢 純米大吟醸 絹の味 あらばしり」に変える。スッキリした味わい。油物にはもう少しキリッとしたものでも良いが、滑らかで優しい口当たり、爽やかで余計な主張をしない味わいが料理を引き立ててくれる。〆の鰤しゃぶにも合う。

 

『お探し物は図書室まで』(青山美智子:著/ポプラ社)

2023/01/26

『お探し物は図書室まで』(青山美智子:著/ポプラ社)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

お探し物は、本ですか? 仕事ですか? 人生ですか?
人生に悩む人々が、ふとしたきっかけで訪れた小さな図書室。
彼らの背中を、不愛想だけど聞き上手な司書さんが、思いもよらない本のセレクトと可愛い付録で、後押しします。

仕事や人生に行き詰まりを感じている5人が訪れた、町の小さな図書室。「本を探している」と申し出ると「レファレンスは司書さんにどうぞ」と案内してくれます。

狭いレファレンスカウンターの中に体を埋めこみ、ちまちまと毛糸に針を刺して何かを作っている司書さん。本の相談をすると司書さんはレファレンスを始めます。不愛想なのにどうしてだか聞き上手で、相談者は誰にも言えなかった本音や願望を司書さんに話してしまいます。
話を聞いた司書さんは、一風変わった選書をしてくれます。図鑑、絵本、詩集......。

そして選書が終わると、カウンターの下にたくさんある引き出しの中から、小さな毛糸玉のようなものをひとつだけ取り出します。本のリストを印刷した紙と一緒に渡されたのは、羊毛フェルト。「これはなんですか」と相談者が訊ねると、司書さんはぶっきらぼうに答えます。 「本の付録」と――。

自分が本当に「探している物」に気がつき、
明日への活力が満ちていくハートウォーミング小説。

 

 

 青山美智子氏を読むのは2020年10月に『木曜日にはココアを』(宝島社文庫)を読んで以来である。図書館から借りたのだが、先約が多くなかなか順番が回ってこなかった。本好き図書館好きの興味をそそる題名だし、なにより青山氏の作風に惹かれてのことだろう。

 小学校に隣接したコミュニティーハウスのある町に住む五人の物語が収められている。それぞれ悩みを抱えていた人たちなのだが、ふとしたきっかけでコミュニティハウス内にある図書室で小町さんという司書から薦められた本を借りて読むことになる。それがきっかけで目の前が少し開け、前向きに生きていこうとする。そして読み終えてみるとそんな五人がそれぞれ少しずつご縁でつながっていた。袖振り合うも多生の縁、そんな物語です。 

  • 一章 朋香 二十一歳 婦人服販売員
     短大を卒業してたまたま内定の出た総合スーパーに就職し婦人服販売員をしている女性の話。自分のしている仕事が「大した仕事じゃない」と感じている。しかし、お客さんからの苦情処理に困っていたところを先輩社員に助けられて、それが間違っていたことに気づく。自分が「大した仕事をしていない」だけなのだと。図書室で薦められた絵本『ぐりとぐら』のカステラ作りですさんでいた生活と心を取り戻すエピソードがイイ。
  • 二章 諒 三十五歳 家具メーカー経理
     高校の頃、とある骨董屋で純銀のスプーンを見つけて以来、いつかアンティーク雑貨店を開くことを夢みている主人公・諒。でもその「いつか」はなかなかやってこない。図書室で薦められた本は『英国王立園芸協会とたのしむ 植物のふしぎ』(ガイ・バーター:著 / 河出書房新社)。それを読んで今まで見えていなかったものに気づく。”ない”を”目標”にすることで”いつか”が”明日”になる。「大事なのは、運命のタイミングを見逃さないこと」
  • 三章 夏美 四十歳 元雑誌編集者
     出版社に勤め、若い女性向けの情報誌の編集者として十五年間懸命に働いてきた三十七歳の女性が主人公・夏美。四十歳が近づいて子どもを産んだ。復職後も同じ仕事の継続を望んでいたが、意に反して資料室に異動させられる。育児の大変さも想像を超えており、夫への不満も高まるばかり。そんなある日、娘と散歩がてらコミュニティハウスの図書室を訪れ薦められた本は『月のとびら』(石井ゆかり:著) そこに書かれていたのは「――私たちは大きなことから小さなことまで『どんなに努力しても、思いどおりにはできないこと』に囲まれて生きています。」 夏美は自分が変わろうと決意する。志はそのままに。
  • 四章 浩弥 三十歳 ニート
     イラストレーターを目指してデザイン学校を卒業したが、したかった仕事に就けず、教材の営業職に就いた主人公・浩弥。しかし仕事はうまくいかず、心が折れてとうとう会社にも行けなくなってしまう。ある日、お母さんに頼まれた用事でコミュニティハウスに行き、図書室を覗く。薦められた本は『ビジュアル進化の記録 ダーウィンたちの見た世界』(ロバート・クラーク:写真/ジョセフ・ウォレス:本文/渡辺 政隆:監訳/ポプラ社)。そこに掲載された写真を見た浩弥は描かずにいられなくなる。
  • 五章 正雄 六十五歳 定年退職
     四十二年勤め上げた会社を定年退職した主人公・正雄。これといった趣味もなく何をすれば良いかわからない。コミュニティハウスでPCの講師をしている妻に勧められ囲碁講座に参加することになった。囲碁はしたことがなかったので本で知識を得ようと図書室へ行く。そこで薦められたのは囲碁の入門書に加えて『げんげと蛙』(草野心平:詩/長野ヒデ子:絵/教育出版センター)

 これらの物語はもちろん作り話です。それも些か出来過ぎた話です。しかし、それを読むことで、読者は心温まり、あるいは元気を、あるいは勇気を得るかもしれない。青山美智子氏の狙いもそこにあるのだと思われます。しかし厳しい人からは”出来過ぎだ”とか”浅い”とか”現実はそんなもんじゃない”といった辛口コメントも聞こえてきそうです。でもそれでいいじゃないですか。何が起こるかわからない人生の中で、奇蹟を夢みることもまた一興。小説にはそれができる。だから私は小説を読み続けるのだ。


親たちの教えるサンタクロースはけっして「嘘」ではなく、もっと大きな「本当」です。

 

 これは本書P181(三章 夏美 四十歳 元雑誌編集者)に書かれた言葉です。夏美が司書から薦められた『月のとびら』(石井ゆかり:著)という本からの引用なのですが、この言葉に著者・青山氏の物語を紡ぐうえでの姿勢が現れているように私には思えます。青山氏の紡ぐ物語は温かく、人の善良な面を見ようとする視点に立っています。しかし現実の世は必ずしもそうではなく、もっと過酷なものでしょう。だからといって、人を信じることや、人生が素晴らしいものに違いないと信じることが間違いで意味がないことだとまでは言えないでしょう。もっと大きな「本当」があると信じて生きる。そのような態度はけっして非難されたり、貶められたりするものではない。あるいは青山氏はそんな気持ちを小説にこめたのではないでしょうか。

 

どんな本でもそうだけど、書物そのものに力があるというよりは、あなたがそういう読み方をしたっていう、そこに価値があるんだよ  

        (本書P165 「夏美 四十歳 元雑誌編集者」より)


 人が本から何を読み取るか。それは人それぞれである。本を読むとき、その人に何らかの心の準備ができていれば、その人の心に響く言葉に奇跡的に出会うことがある。あたかもその言葉に出会う運命であったかのように。私にも過去何度かそんな経験がある。本に書かれた言葉には作者の強く深い思いがこめられている。それこそが本の力なのだろう。

 

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『鉄のライオン』(重松清:光文社文庫)

2023/01/25

『鉄のライオン』(重松清光文社文庫)を読んだ。重松清氏の小説は大好きであれこれ読んできた。本書が二十作品目となる。先月ふと立ち寄った古本屋で見つけ、そういえばこれはまだ読んでいないと買い置いていたものだ。

 出版社の紹介文を引く。

一九八一年三月。大学の合格発表のため遠く離れた西の田舎町から東京に来た「僕」。その長旅には同級生の裕子という相棒がいて、彼女は、東京暮らしの相棒にもなるはずだった──。ロング・バケイション、ふぞろいの林檎たち、ボートハウス、見栄講座……。「'80年代」と現代を行き来しつつ描く、一人の上京組大学生が経験する出会いと別れ。  『ブルーベリー』を改題・加筆

 

 

 ユースホステル、原宿竹下通り、ウォークマンⅡ、大滝詠一サントリーホワイト、真夜中のコインランドリー、ジョン・マッケンロージミー・コナーズウィンブルドンでの死闘、村上春樹、深夜の吉野家ブッシュマン、レゲエのおじさん・・・ 十二編の短編に出てくる場面がまさに呼び水になって、私の二十歳前後の思い出が蘇る。読んでいて、鼻の奥がツンとくるような切なさがこみ上げてきた。それはおそらく’70年代’から80年代に10代から20代の年齢だった私の中にあるノスタルジックな感傷がそう感じさせるのだろう。そんな感傷にひたる心地よさを己に赦しながら、それこそ私のもう少し上の年代が、未だに時代遅れの左翼風を吹かせて自己陶酔にひたっているのと似ているのかもしれないなぁと幾分恥じらいながら本を閉じた。

『日本学術会議の研究』(白川司:著/WAC)

日本学術会議の研究』(白川司:著/WAC)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

 反政府活動をしながら「学問の自由」を叫び、国の軍事研究を邪魔する一方で、人民解放軍ともつながる中国の機関とは共同研究をいとわない「特権階級」。この組織に10億円もの国費が投入されている。日本共産党系左派学者の「巣窟」、学者という名の「赤い貴族」たち。

日本学術会議の考え方は明らかに時代遅れで、現実に対応できていない。終戦直後の平和主義をそのまま理想としている。そのくせ日本や周辺諸国に平和主義的でない中国を捨象している。日本共産党の影響が強いが、私にはむしろ共産党を利用しているようにも見える。なぜこのような組織に国民の血税が使われ続けているのか。その疑問に答えることが本書の考察の中心になっている」(著者)
この本はまさに緊急出版でしたが、構成、内容はきっちりとしていて、著者の力量がなければ世に出なかった名著と言えます。

 

 

 

 本書をの要点は次の段落に記すとおりかと思う。それは私の考えと全く一致するものであった。

 日本学術会議は学者の専門知識を結集するための組織であるはずで、そのために「専門職の公務員」という特別な地位を与えられ、年間10億円を超える公費が充てられているのだ。政府側あるいは反政府側どちらかに偏った政治的主張をするための組織ではない。それは目的からしても、公務員という立場からも当然のことだ。一方、任命する内閣総理大臣(政府)とすれば、国家の予算から費用を支出するからには、政府の方針に沿った活動なり発言をしてくれるであろう学者を選任するのは当然のことである。その時の政府は選挙を通じて国民の多数の付託を受けて政策を推進しているのだから、それは国民の多数の意思に沿うことになるはずだ。もちろん学者は政府の方針に反した活動や発言をしてはならないということではない。そうするのは自由だし、そうしたいのであれば政府関連の組織を離れて一学者、一個人としてやればよいだけのこと。また日本学術会議は「軍事研究をやらない」などと一見立派なことを言っているが、そんなことをいえば多くの先端技術が軍事転用できるということで研究対象からはずれてしまう。古くはダイナマイトや原子力、最近ではインターネット、GPSなどの例を見れば軍事にも使える技術が人々の生活をどれだけ豊かにしているかわかりそうなものだ。有用な科学技術は軍事に転用できるものが多いのだ。しかしそれは使いようによって平和安全保障にも資するものだろう。日本学術会議のいう「軍事研究をやらない」はひとりよがりのとんちんかんな考えで、およそ科学者の言うことではないだろう。

 以上である。

 そこから導き出される答えは「内閣総理大臣日本学術会議のメンバー任命権をもってさらに適正な者に入れ替える」か「諸外国の多くがそうであるように、日本学術会議を公務員ではなく民間組織にする」か「日本学術会議を解散する」のどれかだろう。しかしながら、現政権は毅然とした処置をしないのではないかとのウワサを漏れ聞く。そんなことではいけない。それではせっかく菅義偉前総理のなさったことが水泡に帰す。

 余談ながら、もう二点ほど書いておきたい。

 ひとつは菅前総理が六名の学者を任命拒否したあとの静岡県の川勝知事の発言についてである。その発言を引用する。

菅義偉という人物の教養のレベルが図らずも露見したということではないか。菅義偉さんは秋田に生まれ、小学校中学校高校を出られて、東京に行って働いて、勉強せんといかんと言うことで(大学に)通われて、学位を取られた。その後、政治の道に入っていかれて。しかも時間を無駄にしないように、なるべく有権者と多くお目にかかっておられると。言い換えると、学問された人ではないですね。単位を取るために大学を出られたんだと思います」

「ともかく、おかしなことをしたと思うが、周りにアドバイザーはいるはず、こういうことをすると、自らの教養が露見しますと、教養の無さが、ということについて、言う人がいなかったというのも、本当に残念です」

 なんという偉そうなもの言いか。私ごときが「教養」についてモノ申すことは差し控えるが、そのかわり「教養」についてかの福田恆存氏が書かれたことをここに引いておきたい。少なくとも私には福田恆存氏のほうが川勝知事よりもはるかに教養がおありになると思えます。

 エリオットは「文化とは生きかたである」といっております。一民族、一時代には、それ自身特有の生きかたがあり、その積み重ねの項上に、いわゆる文化史的知識があるのです。私たちが学校や読書によって知りうるのは、その部分だけです。そして、その知識が私たちに役だつとすれば、それを学ぶ私たちの側に私たち特有の文化があるときだけであります。私たちの文化によって培われた教養を私たちがもっているときにのみ、知識がはじめて生きてくるのです。そのときだけ、知識が教養のうちにとりいれられるのです。教育がはじめて教養とかかわるのです。

・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・

 いうまでもなく、教養というものは、文化によってしか、いいかえれば、「生きかた」によってしか培われないものです。ところで、その「生きかた」とは何を意味するか。それは家庭のなかにおいて、友人関係において、また、村や町や国家などの共同体において、おたがいに「うまを合わせていく方法」でありましょう。

 ・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・

 一つの共同体には、それに固有の一つの「生きかた」があり、また一人の個人には、それを受けつぎながら、しかもそれと対立する「生きかた」がある。逆にいえば、共同体の「生きかた」を拒否しながら、それと合一する「生きかた」があるのです。

 そういう意味において、教養とは、また節度であります。

 もう一つは「科学研究費」(以下「科研費」)に関することである。科研費文部科学省が所管する「大学をはじめとする研究機関でおこなわれている研究を助成する支援金」であるが、この科研費を審査する審査委員は日本学術会議の推薦で決められているという。歪に偏った日本学術会議の影響下にある科研費は当然大きな問題を抱えている。ここにその詳細を書くことはやめておくが、国会でこの問題に切り込んだ自民党の杉田議員のことに本書の後段紙面が割かれている。なるほど、杉田氏が左翼系のマスコミや立民、共産から目の敵にされる理由が良くわかった。杉田氏には、このような邪な攻撃に屈することなく頑張っていただきたい。

 

『これは経費で落ちません! 10 ~経理部の森若さん~』(青木祐子:著/集英社オレンジ文庫)

2023/01/22

『これは経費で落ちません! 10 ~経理部の森若さん~』(青木祐子:著/集英社オレンジ文庫)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

 天天コーポレーションへの税務調査が始まった。やって来た四人の調査官の対応は経理部の仕事のため、沙名子も気合が入る。調査官たちは想像していたよりも穏健だが、抜け目のない印象。詳細の説明のために呼び出された社員が余計なことを喋りそうになるなど、想定外の事態もあるので緊張は解けない。社交性豊かな営業部員などは特に要注意だ。大きな懸念は、吸収合併したトナカイ化粧品関連だ。合併前のものに関しては経理処理も修正納税も済んでいるはずだが、もしかしたら何か新事実が出てくるかもしれず…?そして先日、沙名子が太陽に言われた「結婚しよう」という言葉。太陽も沙名子も、結婚というものをどう捉えるかに悩み、じれったいままに時間は過ぎていくが…?

 

 

 楽しみに待っていた「これは経費で落ちません!」シリーズ第10弾。昨年末に発売になったのを買い置いていた。このところ政治や思想哲学に関係した本を読んでちょっと疲れたのでサクッと読めて楽しめる本書を手に取った。

 今回は税務調査。会社勤めの経験がある人なら良くわかる大変なシチュエーションである。このシリーズの良いところは会社というある意味ドメスティックで極めて人間くさい世界をうまく描けているところ。大なれ小なれ会社に勤めた経験のある人なら、「あるある!」と膝を叩くことが多いだろう。人生いろいろ、社員もいろいろ、とにかくややこしいのが会社である。徒でさえややこしいのに、最近主人公の沙名子さんは社内恋愛をしている。隠さなくてはならない恋愛ではないが、それはそれ、できればややこしい事態は避けるに如かずと慎重にばれないよう気を遣っている。読者も沙名子さんとその恋人太陽くんの気持ちに寄り添って、ドキドキしつつワクワクもするという不思議な心もちになる。

 いつものように読み始めたら一気読み。あーおもしろかったと本を閉じた。

 

『帰郷』(浅田次郎:著/集英社文庫)

2023/01/19

『帰郷』(浅田次郎:著/集英社文庫)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

戦争は、人々の人生をどのように変えてしまったのか。帰るべき家を失くした帰還兵。ニューギニアで高射砲の修理にあたる職工。戦後できた遊園地で働く、父が戦死し、その後母が再婚した息子……。戦争に巻き込まれた市井の人々により語られる戦中、そして戦後。時代が移り変わっても、風化させずに語り継ぐべき反戦のこころ。戦争文学を次の世代へつなぐ記念碑的小説集。

第43回大佛次郎賞受賞作。

 

 

 終戦は戦争の終わりではない。死ぬまでその影響から逃れられない。本人は死んだら終わりかもしれないが、遺族にとっては悲しく苦しい記憶とともにいつまでも戦争を引きずって生きていかねばならない。幸運にも、あるいは逃げて逃げて逃げまくってなんとか生きて帰還してもまたそこには地獄が待っている。だからこそ戦争はしてはいけない。その言葉に嘘は無いし正しい。しかしだからといって、始まってしまった戦争にいくら個人が抗おうと、戦争はすべてを巻きこみけっして逃れさせてはくれない。そんな救いのない時代に翻弄された人間を描いた六編の短編集が本書である。

 私が良いなと思ったのは『歸鄕』と『夜の遊園地』。同じく浅田氏の短編集『鉄道員』に収められた『ラブ・レター』や『角筈にて』などもそうであったが、どうしようもない状況のなかにあってなお心の中にある消しがたい情、それはひたすら哀しいが哀しいがゆえに温かさを感じさせるものなのだが、それを人間らしいものとして描ききっている。読んでいつもボロボロに泣かされてしまう浅田マジックだ。読者は自分が流した泪で救われる。