佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『乱紋』

2011/5/3

 

『乱紋』(永井路子/著・文春文庫)

 

 お茶々十八歳、お初十六歳、おごう十四歳。
 彼女たちの不幸は、十数年前、小谷城の城主であった父浅井長政を失ったことから始まる。このときの攻め手は、皮肉にも、母のお市の兄にあたる織田信長であった。
 落城のとき、三姉妹は母とともに、攻め手の伯父、織田信長にひきとられた。彼女たちが城を出てまもなく、父は城と運命をともにした。
                                       (本書10Pより)

 

 『乱紋』(永井路子/著・文春文庫)を読みました。

 

 

 裏表紙の紹介文を引きます。


(上巻)

織田信長の妹・お市と近江の雄・浅井長政の間には三姉妹がいた。長女・お茶々は、秀吉の側室として権力をふるった後の淀君。次女・お初は京極高次の妻となり、大坂の陣で微妙な役割を演じる。そして、最も地味でぼんやりしていた三女・おごう。彼女には、実に波乱に満ちた運命が待っていた―。おごうの生涯を描く長篇歴史小説


(下巻)

天がめぐろうとしている。権力をほしいままにした秀吉の立場に影がさしはじめた。そんな折、おごうは三度目の花嫁となった。嫁ぎ先は、徳川家康の嫡子、二代将軍となる秀忠―。秀吉の死、関ケ原の戦いと歴史の大きな転換期に到達した時、お茶々とおごうは、姉妹で日本を真っ二つに分けて対決する両陣営の頂点にいた。



 現在、NHK大河ドラマで脚光をあびるおごう(江)の生涯のうち、母お市の再婚相手・柴田勝家羽柴秀吉に滅ぼされた後、秀吉によって安土城に保護された時期から、大坂夏の陣で姉・お茶々と敵対することとなってしまう時期までを描いたものです。
 一般に「浅井三姉妹淀殿(茶々)・常高院(初)・崇源院(江)は幼い頃から仲の良い姉妹とされ、皆が母・お市に似て美貌であったとされるようだが、永井路子氏の描くおごうは少々違い独特です。つまり、二人の姉は才気煥発の美女であるが、おごうだけは人の目を引くほどの容姿でなく、動作も口も茫洋とした様でとらえどころのない人物として描かれている。彼女は数奇な運命をたどりながらも、その運命を平然と何事もないように受け入れ受け流していく。永井氏はおごうを、我が身は運命の渦の中にいながら、心はその埒外にある、そのような生き方を選んだ人として解釈している。そのようなおごうは姉たちのような才気と美貌はないが、得も言われぬ深さを持ち、新たな運命に巡り会うたびにより魅力を増していく。自らの才気で強大な権力を手にしたと思われた信長も秀吉も淀殿も最後は勝者になれず、運命をあるがままに受け入れ泰然自若としていたおごうが結局は勝者であったのかもしれない。信長によって滅ぼされた浅井の血が、末娘おごうが徳川に嫁ぎ世継ぎを生むことで天下を取り、現在の皇室に受け継がれているという事実は興味深い。
 おごうがこの小説で描かれているような人物であったのか、あるいはこれまで巷にあったイメージの人物(美貌で誇り高いが少々嫉妬深い)であったのかは判らない。しかし、三人目の夫・徳川秀忠が正式の側室を持たなかったこと、二人の間に七人もの子をもうけていることを思えば、魅力的な人物であったことは間違いなさそうである。
 
 本書を紹介し貸して下さったよをさんに感謝します。

 


 

 余談ですが、先日、知多半島を自転車で走ったのですが、あいにくの雨で常滑市までたどり着けず、おごうゆかりの地を訪ねることが出来ませんでした。残念です。いつか知多の大野城を訪れ、おごうの最初の夫・佐治与九郎とおごうが眺めた夕日を眺めてみたいと思います。