佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

お家さん

ただ食べるため、家族を養うための商売ならばどこでもできる。だが自分は、日本の水際であるあの神戸で、外国を相手に国と国との利益を賭けた取引をなし、誰もができない巨利を挙げて成功するという待望を抱いて土佐の山々に背を向けたはずだ。そのことを、よねが、思い出させてくれたのだ。

「わし、・・・・・・神戸に帰ります」

 もしも彼がそのまま高知を動かなかったら、あるいはその後の鈴木商店の歴史もかわっていただろう。よねの思いが直吉を変えたのだ。よねがいなければのちの金子はなく、金子がなくばのちの鈴木もありえない。よねはみずからの手で、店の歴史を動かした。金子直吉という、一人の男を見捨てなかった、そのことによって。

「直吉よ。おまえを拾ってくださったご主人の恩を忘れんと、死ぬ気で働かなあかんぜよ」

 息子が旅立つというのに今日も野良へ出かけねばならない母のタミは、日に焼け、小さくなった顔を深々と下げ、何度もよねにお辞儀をした。

「おかみさん、ほんま申し訳ないことだす。・・・・・・今後は、直吉が日本一の商人になるまで決して土佐には帰ってこんよう、休みもやらんとっっておくなはれ」

 すすんで子を手放したい母などいない。直吉を見送るタミの姿に、よねの方こそ頭の下がる思いだった。

  もう迷わん。この家の軒先に錦を飾ってみせるまで、もう、ここへは帰って来ん。直吉は無言で母に誓っていた。

                                            (上巻P61-62より)

 

 『お家さん』(玉岡かおる・著/新潮文庫)上・下巻を読みました。

 

 

 実はずいぶん前から読みたいと思い買っておきながら本棚に積読本になっていたものです。上・下、2巻を読むにはそれなりに勢いをつけなければ手に取りにくいものです。実は先日、鈴木商店の流れをくむ某企業に勤めていた同級生が急逝し、それをきっかけに読み始めた次第。

 玉岡さんの小説は『銀のみち一条』以来です。時代も同じく明治。物語の舞台も私の地元・兵庫県ということで、興味深く読みました。明治から大正にかけての日本は何もかもが変わろうとしていた熱い時代です。そしてその時代を舞台にした成功物語は読む者の心も熱くさせます。頁をめくる手ももどかしく、現在の経済大国日本の黎明期に一心不乱に商売に打ち込んだ人々の姿にワクワクしながら読みました。

 小さな商店から瞬く間に巨大総合商社にまでのし上がり、まるで蜃気楼のように歴史の舞台から姿を消した鈴木商店。その興隆と崩壊には悲しみに似たやるせなさが伴う。それはある意味「美」である。無から様々な事業を興し、どんどん巨大化しやがて自分ではコントロールできないほど巨大化した瞬間に一気に瓦解する。そこに滅びゆくものの美がある。そしてそれは人々の記憶に残り、語り継がれ伝説となった。現存する一流企業の多くにそのDNAが脈々と受け継がれている。鈴木商店は歴史の表舞台から消えることによって永遠を獲得したと云えよう。

 物語を楽しんだだけでなく、たいへん勉強になりました。金子直吉という人物にも興味がわきます。城山三郎氏の小説『鼠―鈴木商店焼打ち事件』 (文春文庫)も読んでみたい。

 

 最後に出版社の紹介文を引いておきます。


 

(上巻)大正から昭和の初め、日本一の年商でその名を世界に知らしめた鈴木商店。神戸の小さな洋糖輸入商から始まり、樟脳や繊維などの日用品、そして国の命である米や鉄鋼にいたるまで、何もかもを扱う巨大商社へ急成長した鈴木―そのトップには、「お家さん」と呼ばれる一人の女が君臨した。日本近代の黎明期に、企業戦士として生きた男たちと、彼らを支えた伝説の女の感動大河小説。


 

(下巻)台湾への進出が成功、さらに戦争特需の波に押され、一隻の小舟から世界に冠たる巨艦となった鈴木商店。しかし戦後不況という時代の潮に揺さぶられ、やがて関東大震災がもたらす未曾有の衝撃が、その船体を歴史のはざまへと沈めてゆく―そんな困難の中でも、彼らが最後まで捨てられなかった、商売人としての哲学と希望は何だったのか。幻の商社の短くも太い航跡、感動の完結編。