佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『銀河鉄道の父』(門井慶喜:著/講談社)

2023/06/22

銀河鉄道の父』(門井慶喜:著/講談社)を読んだ。第158回直木賞受賞作です。

 まずは出版社の紹介文を引く。

 明治29年(1896年)、岩手県花巻に生まれた宮沢賢治は、昭和8年(1933年)に亡くなるまで、主に東京と花巻を行き来しながら多数の詩や童話を創作した。
 賢治の生家は祖父の代から富裕な質屋であり、長男である彼は本来なら家を継ぐ立場だが、賢治は学問の道を進み、後には教師や技師として地元に貢献しながら、創作に情熱を注ぎ続けた。
 地元の名士であり、熱心な浄土真宗信者でもあった賢治の父・政次郎は、このユニークな息子をいかに育て上げたのか。
 父の信念とは異なる信仰への目覚めや最愛の妹トシとの死別など、決して長くはないが紆余曲折に満ちた宮沢賢治の生涯を、父・政次郎の視点から描く、気鋭作家の意欲作。

 

 

 宮沢賢治をきちんと読んだことはない。確か小学校5年生か6年生の頃だと記憶しているが、国語の教科書で『よだかの星』を読んだきりである。ひょっとしたらもう一篇『風の又三郎』も教科書にあったような気もするが、良くは覚えていない。私は小学校4年生ぐらいから学校の図書室に通い本を借りる子であった。当時は偉人の伝記や「ルパン対ホームズ」といった娯楽的な推理もの、あるいはジュール・ヴェルヌなどのSFものを片っ端から借りて読んでいた。はっきり言って賢治の童話に心惹かれることが無かったのである。大人になってから、といってももう30年以上も前のことになるが、『注文の多い料理店』が本屋で目につき買ったことがある。その本は今も私の書棚にある。新潮文庫から出たもので、奥付に平成2年5月25日発行、平成6年6月5日10刷とあるから少なくとも25歳にはなっていたはずである。しかしこれは読み始めて途中で挫折した。その後、数年に一度は読んでみようと手に取っては挫折している。どうやら童話というものが私に合わないようである。ただ彼が病の床に伏せっていよいよ体力が衰えていく中で手帖に書き付けた詩〔雨ニモマケズ〕はこれまで何度も読んだ。私が能動的に読んだのではない。それこそいろいろなところでこの詩を耳目にするからである。いろいろな文章にその引用があったり、何かのポスターにその一部が引用してあったり、何かの講演会で演者がこの詩についてしゃべっていたりと、そうしたことである。この詩のもつ強烈な魅力と共感は確かに凄い。それだけで私は宮沢賢治を良く知りもしないのに凄い人なのだと半ば尊敬していた。

 さて本書である。本書は宮沢賢治の物語でありながら、賢治の父・政次郎が賢治に注いだ無上の愛が描かれた小説である。ここに描かれる賢治は子どもの頃こそ神童と称されてもよいほど成績の良い子だったようであるが、盛岡中学に進学すればその中では普通の子だった。世間は広い、上には上がいるということだ。そのうえ実生活においては世事に長けるとは言い難く、むしろ一般社会を独りで渡っていくのは難しいだろうほど世間知らずのぼんくらだったようだ。実家が質屋を手広く商っており裕福で、その家の長子として父やその他家族から特別扱いで育ったことに原因があろうが、それにしても頭でっかちなただの若造である。本書の第一章のタイトル「父でありすぎる」のとおり、父・政次郎が賢治に注ぐ愛情は”すぎる”のである。政次郎はその父・喜助から「女は花をあたためるように。男は霜をふむように」と諭されながらも賢治に甘い。父として、一家の長として厳しくあらねばと心がけながらも、賢治にはどうしようもなくすぎてしまう。本書は宮沢賢治が如何にして人々の心を打つ童話や詩を編むに至ったか。その苦悩の道程を描きつつ、実はその陰に父・政次郎のこの上ない愛情があったのだということ、それなくして賢治の作品は生まれなかったのだということを描く。

 賢治の童話は読めずにいる私ですが、本書は興味深く読ませていただきました。

 余談であるが、世に作品を称される文士はどうしてこうダメな人間が多いのだろう。太宰治のモテたけれどダメ男ぶり、正岡子規が借金して鰻を食べ踏み倒した話、石川啄木が「働けど働けど」とうたいつつ全く働かず友人のポケットからよく金を盗んで遊郭に通っていたという話等々、枚挙に暇がない。賢治もまた稼業の質屋の仕事はろくにできず、勉強のためとは言えしょっちゅう親に金を無心し、あるときは人造宝石を作りたいから出資してほしいと親に頼んだり、それがかなわないとなれば信仰に生きるなどと言い出し宗教にのめり込むなど、どうしようもないバカ息子である。いやはや文士というものはなんとも世間に顔向けできないような人ばかりではないか。そういえば故・立川談志は「落語とは人間の業(ごう)の肯定だ」と看破していたという。所詮人間はどうしようもないものなのだということを身をもって知っているからこそ素晴らしい作品を生むことが出来るということか。