佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

モクレンが咲くと由美ちゃんを思い出す。

 毎年のことだが、モクレンが咲くと由美ちゃんを思い出す。

 といっても、小説の登場人物なのだが。

 高校の頃、『白鳥の歌なんか聞こえない』を読んだ。庄司薫氏の小説、赤頭巾ちゃん四部作の3作目として知られ、第六十一回芥川賞を受賞した『赤頭巾ちゃん気をつけて』を筆頭として当時の大ベストセラーだった。四部作全てを読んだのだが、長年の間に散失してしまい、今手元にあるのは『白鳥の歌なんか聞こえない』だけだ。おそらく毎年、春になり、どこかの家でモクレンが咲くと本を取り出して出だしの一節を読むことを常としてきたからだろう。

 今年も今朝本棚から出してきた。何度も読んで馴染んだ文章がなつかしい。

 書き出しを引用します。


 ぼくは春が来るとなんとなく嬉しくなってそわそわしてしまうのだけれど、そんなところをひとまえでは絶対に見せまい、なんて変なところで頑張って暮らしたりしている。何故って、たとえばそんな具合にうっかりそわそわしているところを見せて、何が嬉しいのか、なんてきかれたらもう最後だと思うわけだ。………(略)………
 そこへいくと、女の子ってのは、これは相当に気楽な商売みたいなところがあるんじゃなかろうか、というのがぼくのひそかに抱いている見解なんだ。たとえば、僕の小さい時からの女友達に由美というのがいて、彼女はまあなんていうか、相当にこう敵ながら天晴れみたいなしたたかな(?)ところのある女の子なのだけれど、そのくせどういうわけか時々ポカッと勝手に手を抜いて、この「春が来たから嬉しい」みたいなことを平気で言ったりしたりしてくるのだ(もちろん彼女だって、相当に相手やTPOを選んでるには違いないとは思うけれど)。つまり彼女は、ちょうど僕の飼っていたドンという名の犬が電信柱の分布に詳しかったように、うちの周囲一里四方ぐらいの「縄張り」の中の花の分布にやたらと詳しくて、いつどこそこのどんな花が咲くなんてくだらないことを、実によく知っているのだ。そして、たとえば三月十五日頃に彼女が嬉しそうにそわそわした様子でやってきたのを見て、ぼくが「何が嬉しいんだい」なんてきいたとすると、彼女は「斎藤さんちのモクレンが咲いたの」なんて、まあなんていうか、そりゃもう実にしあわせそうな顔をして言ったりするんだ。………(略)………
 ところで、今年は三月に入って四日と十二日と二度も大雪が降ったりしたせいか、由美がホクホクやって来て、ぼくを斎藤さんちのモクレンを見におびき出したのは三月十九日だった。大快晴なんて言葉があるのかどうか知らないけれど、朝から素晴らしいお天気で、朝の十時というのに二階の東南向きのぼくの部屋はポッポとあたたかかった。そして僕はもう勇ましく半袖のポロシャツになって頑張っていたのだけれど、たまたま机から離れて窓から外をと眺めていたら、向こうの西島さんの角を曲がって由美がやってくるのがうちの塀の端のユズリ葉とビワの木の間から見えたのだ。彼女はからだにぴったりした白いタートルネックのセーターに、濃いブルーのミニスカートをつけて、まっ白なリボンで前髪を抑えて、白いペチャンコ靴をはいて、手をうしろかなんかで組んじゃって、なんとなく幼稚園のお遊戯でアヒルの真似をするようなかっこうで、ひと足ひと足うなづくみたいにリボンを振りながらのんびりと歩いてきた。これは彼女が相当にご機嫌な証拠で、ぼくは思わず窓をあけて、アメリカ映画なんかのイカすおニイちゃんみたいに口笛でも吹いてやりたいような気持ちになったのだが結局のところやめた。そしてぼくが何をやったかというと、実際には大あわてでさっさと窓を離れ、相当に真面目な顔をして机に向かって鉛筆なんかにぎっちゃって、拡げたノートの上に大きなアヒルのマンガなんかをゆっくりと画き始めた、っていったようなだらしない次第だった。………(略)………


 

 今年は例年に比べモクレンの開花がずいぶん遅かったように思う。

 先週五日、仕事からの帰り道に撮った写真です。

 

昨日は津山の鶴山公園モクレンソメイヨシノが同時に咲き誇る姿を観た。