佐々陽太朗の日記

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『ロシアとは何か モンゴル、中国から歴史認識を問い直す』(宮脇淳子:著/扶桑社)

2024/02/27

『ロシアとは何か モンゴル、中国から歴史認識を問い直す』(宮脇淳子:著/扶桑社)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

ロシアを紐解けば世界がわかる!

「偉大なるロシアの復活」を標榜してウクライナ侵攻を続けるプーチンのロシア。一体、プーチンの描くロシアとは、何百年前の、どのようなロシアなのか? ロシア人とはどのようなルーツの人々なのか? 
 習近平の中国もまた「一帯一路構想」を提唱するが、ユーラシア大陸全体を支配する世界覇権をめざしているに等しい。
「文明と文明の衝突の戦場では、歴史は、自分の立場を正当化する武器になる」と著者は説きます。ところが、「イスラム文明の内部では歴史学は意義の軽いものにすぎず、地理学の補助分野」であり「いまでもイスラム諸国は、イスラエルやヨーロッパ・アメリカ諸国との関係において、自分の言い分がなかなか通せず、つねに不利な立場に立たされている」。また日本でも、自虐史観に反発する人は対抗するものとして日本神話を持ち出したりするように、「歴史とは自分たちが納得できるように過去を説明するストーリーであり、文化や立場、国ごとの世界感や歴史認識により、その筋書きが違ってくる。よって、史実が明らかにさえなれば、紛争の当事者双方が納得し、問題が解決するというようなものではない」……と本書には、まさに現代の不安定な世界情勢を読み解く「歴史認識」への示唆が凝縮されています。
著者の夫であり師である碩学、岡田(故岡田英弘)史観のエッセンスを紐解きながら、日本人にとっての世界史理解、世界で果たすべき役割に導く内容です。

 

 

 著者、宮脇淳子氏は東洋史家である。私はYouTube東洋史家たる彼女の視点でロシアや中国にかかる現代情勢を読み解き解説していらっしゃる動画を何本か視た。大変な慧眼に感激しきり。ならば本も読んでみようと本書を手に取った次第。

 まず目から鱗が落ちたのが「日本はまわりを海に囲まれているので国境線というものが目に見えない。日本の歴史を振り返っても、領土が”時代とともに拡大縮小を繰り返した”り、国民が”入れ替わることがあった”などということが想像もできない」ということ。日本人は国というものが昔からそこに住んでいた人びとによって自然にできあがったとなんとなくイメージしている。日本の皇統が「万世一系」であるのは当然だし、国民のほぼ全員が同じ日本語を読み書き、話せることを当然と思っており、他の国も同じようなものだろうと考えがちである、しかしこれが、他国を見渡し国や領土、国民といったことを理解するのに大変問題の多い歴史観だといいます。つまりは世界の中で特殊と言える環境で成り立ってきた日本の価値観とたえず勃興と衰退あるいは滅亡、そして民族の移動と混じり合いを繰り返してきた他国の価値観が同じはずはなく、日本人の視点で世界情勢を理解しようとすると誤ってしまうということでしょう。まさに日本人あるある。私もそんな日本人の一人です。

 さらに歴史を見るうえで気をつけるべきことをキーワードとして引くと、「歴史は書いたもの勝ち」「そもそも歴史を書くという行為は、プロパガンダ、政治的な宣伝」という言葉が本書に書いてあります。これは日本の歴史として語られていることの多くが勝者の歴史であることを踏まえれば明らかです。我々が他国の歴史を読み解くとき、特に気をつけて、歴史(歴史として語られていること)とはそのようなものだと認識しておくことが大切でしょう。ゆめゆめ他国の語る歴史が事実(史実)だなどと無防備に受け取ってはならないと思います。プーチンウクライナ侵攻にあたって盛んに言い立てた歴史観はまさにその類いのナラティブでしょう。

 そのうえで東洋史中央アジア史)を専門とされる宮脇氏が紐解いたロシア史を些か乱暴ながら簡潔に要約してしまうと次のようになるのかと思う。

  1. ロシアの起源とされるルーシはスカンジナビアからの外来民族(ヴァイキング)である。ルーシ以前の東スラブにはユダヤ教のハザル帝国などがあった。ルーシはハザル帝国を倒し、東ローマ帝国キリスト教を導入した。
  2. 十三世紀にモンゴル帝国が襲来し、以後、ルーシと東スラブを四百年支配した。(タタールのくびき)
  3. モンゴル帝国の支配は比較的ゆるやかで人の移動や交易が盛んになり大きく発展した。
  4. 十六世紀にモンゴル帝国の支配から脱し、東スラブ人=ロシア人概念が確立。
  5. 二十世紀初め、ロシア革命が起きすべての歴史が否定され、マルクス主義のみを奉じる。
  6. 二十世紀終盤、ソ連崩壊によりマルクス主義も否定され、歴史もイデオロギーも失われる。

 かつて共産主義で世界をリードしたという誇りと、ヨーロッパから見下されてきたという劣等感が同居しているロシア人にしてみれば、古代ルーシを建国したのがスラブ人ではなくヴァイキングだったことや、また異民族に何百年も支配され、その庇護下で発展したというのは認めたくないことかもしれない。しかしだからといって「ならば書き換えてしまえ」とばかりに事実とは言い難いことを歴史と称するのは学問としていかがなものかというのが宮脇氏の立場です。しかし「”歴史認識”とは、”いかにして自国が有利になる歴史を認めさせるか”というゲームでしかない」というのが悲しい現実です。

 ロシアのウクライナ侵攻も中国の一帯一路も東洋史家の宮脇氏から視ると、どちらの国もそうした表現は用いないものの「モンゴル帝国の再興」を夢みていると見える。そのためのナラティブを歴史としてはならない。歴史には「よい歴史」と「悪い歴史」がある。「よい歴史」とは史料のあらゆる情報を、一貫した論理で解釈できる説明のこと。一方、「悪い歴史」とは過去を都合よく書き換え、自己正当化を目的とした歴史である。ロシアではトルベツコイやドゥーギンといった歴史家が世論を形成し、ついに国としてのあり方まで左右するほどになった。彼らが書いた歴史は、大衆から支持される歴史、都合が悪いものは割愛したり変更した歴史である。それが今日のロシアの行いにつながったのかもしれない。以上が本書に書かれたことのようです。なるほどそうした見方もあるのだと感心した。