2025/12/28
『宙わたる教室』(伊与原新:著/文藝春秋)を読んだ。
まずは出版社の紹介文を引く。
東京・新宿にある都立高校の定時制。そこにはさまざまな事情を抱えた生徒たちが通っていた。読み書きに難を抱えて落ちこぼれた二十一歳の岳人。子ども時代に学校に通えなかったアンジェラ。起立性調節障害で不登校になり、定時制に進学した佳純。中学を出てすぐ東京で集団就職した七十代の長嶺。「もう一度学校に通いたい」という思いのもとに集った生徒たちは、理科教師の藤竹を顧問として科学部を結成し、学会で発表することを目標に、「火星のクレーター」を再現する実験を始める--。『月まで三キロ』『八月の銀の雪』著者がおくる、今年一番熱い青春科学小説!
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最近立て続けに二作、伊与原新氏の小説(『月まで三キロ』『八月の銀の雪』)を読んで、本作が三作目。過去二作はどちらも短編集で、それぞれの篇ごとに独立した物語だった。伊与原氏は短編の名手だなというのが私の感想であった。しかし本作はひとつの物語。ただ7つの章それぞれにスポットライトがあたる人物が違います。舞台が定時制高校なので、さまざまな事情を抱えた生徒それぞれに背景と物語があるのだ。世代も様々でその気質も様々だ。そういう意味では連作短編集ともいえる体をなす一作である。伊与原氏が短編というスタイルを好まれるのかもしれない。読み手として短編は読みやすくてありがたい。齡六十代後半の私など、最近は眼が疲れて何時間も集中して読み続けることが難しい。長くない単位で物語が完結するとたいへん楽に読みすすめることができる。若いころは読み始めると止められなくなり徹夜で読むことも多かったのだが、寂しい限りである。
物語のあらすじはこうです。科学研究者として有名大学の助教として将来を嘱望されていた藤竹は権威ある教授との考え方の違いから袂を分かち渡米する。アメリカで学閥や権威に関係なくその人の持つ能力と自由な発想を大切にする研究姿勢を経験した藤竹は、日本に戻って定時制高校の理科教師になる。学問の場では蔑まれているといえる定時制高校の生徒でも、学問的にすばらしい成果を出せることが可能なはずだという思いをもって、その学校で「科学部」を創る。初めは誰にも見向きもされなかった科学部も、いろいろないきさつがあって藤竹のもとに4人の部員が集う。彼らは高校の教室で火星と同じ重力環境を作り出し「火星のクレーターを再現する」 という壮大な実験に挑む。部員それぞれが困難と向き合いながら、ひとつの目標の下に絆を深め、成長していく姿が描かれる。さてその結果は・・・。
物語の展開から眼が離せず、一気に読み切った。読みやすく、あれこれ考えさせられることが多いので、ほかのことに気を取られる間がないまま読み切った感じだ。読後感も胸が熱くなりこころよい。
もちろん現実の世の中は小説とは違う。夢がそのまま叶うなんてことは、ほぼ期待できない。「とかくこの世は住みにくい」のだ。それでも本作の登場人物たちは諦めない。いや、何度も諦めかけるが、それでも挑戦する。なぜか。最初から諦める人生なんてつまらないから。つまらない人生など、それこそ意味がない。生まれてきた甲斐がないからだ。刀折れ矢尽きて不様に死んでいくとしても、つまらない人生をただ生きるよりは良いだろう。そうした心意気が人間としてのせめてもの一分だろう。”矜持”と言っても良い。そうした姿がここに描かれている。よい小説でした。
余談であるが、本作を読んだ後、映像化されたNHKドラマを観た。危惧したとおり、小説にはなかった余計なことが織り込まれている。妙に説明的なエピソードを差し込んだり、感動の押し売り表現が入り込む。小説には余白がある。読者が自分なりに想像し解釈する余白である。それをドラマや映画は台無しにすることが多い。きっと視聴者のレベルを低く見て、分かりやすく感動しやすくしてくれているのだろう。馬鹿にするなといいたい。小説を読み、映像を観て、何を変えたか、何を加えたかを観れば映像制作者が視聴者をどんな方向に誘導したいかという意図がハッキリする。最近、「国民感情をコントロールしなければ」と言った馬鹿議員がいたが、それと同じ匂いがする。くわばら、くわばら。
