佐々陽太朗の日記

酒、美味しかったもの、読んだ本、サイクリング、旅行など。

『熱源』(川越宗一:著/文春文庫)

2024/02/14

『熱源』(川越宗一:著/文春文庫)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

 樺太(サハリン)で生まれたアイヌ、ヤヨマネクフ。開拓使たちに故郷を奪われ、集団移住を強いられたのち、天然痘コレラの流行で妻や多くの友人たちを亡くした彼は、やがて山辺安之助と名前を変え、ふたたび樺太に戻ることを志す。一方、ブロニスワフ・ピウスツキは、リトアニアに生まれた。ロシアの強烈な同化政策により母語であるポーランド語を話すことも許されなかった彼は、皇帝の暗殺計画に巻き込まれ、苦役囚として樺太に送られる。日本人にされそうになったアイヌと、ロシア人にされそうになったポーランド人。文明を押し付けられ、それによってアイデンティティを揺るがされた経験を持つ二人が、樺太で出会い、自らが守り継ぎたいものの正体に辿り着く。樺太の厳しい風土やアイヌの風俗が鮮やかに描き出され、国家や民族、思想を超え、人と人が共に生きる姿が示される。金田一京助がその半生を「あいぬ物語」としてまとめた山辺安之助の生涯を軸に描かれた、読者の心に「熱」を残さずにはおかない書き下ろし歴史大作。直木賞受賞作。

 

 

 初めて川越宗一を読んだ。読書仲間から推薦があり貸していただいたもの。

 時は帝国主義時代。列強は勢力圏拡大に力を注ぐ。樺太で生まれたアイヌ、ヤヨマネクフ。リトアニアに生まれたブロニスワフ・ピウスツキ。未開の民として日本人(和人)への同化を求められたアイヌと母国語を話すことを禁じられロシアへの同化を強制されたポーランド人である。時代は二人に民族のアイデンティティを捨てることを求めるが、二人はそれに抗う。明治から昭和にかけて、屯田兵制度、千島・樺太交換条約日清戦争日露戦争第一次世界大戦ロシア革命第二次世界大戦と激動の時代をたくましく生き抜いた二人に焦点を当てた壮大な歴史小説でした。

 国家の力によって領土、政治体制、制度、文化、その他あらゆるものが変えられていった時代にあって、小国、少数民族はその大きな波に飲み込まれるしかないのか。古来から大切に守り続けてきた生活様式が文明の名において消されようとしている。たとえそこに確かな幸せがあったとしても変わらなければなければならないとすれば、それは何ゆえなのか。強者の文明、多数の価値観が正義だなどと誰が決められよう。そうした疑問を読者に突きつけてくる問題作でもあります。

 歴史をバックボーンにしっかりした骨格を持ち、読者の心に強い問いかけを突きつける。なるほど直木賞受賞作にふさわしい小説と感じた。

 ただ、私がヤヨマネクフあるいはブロニスワフ・ピウスツキに感情移入したかと言えばさにあらず。些か冷めた目で読んだ。

 読んでいて私がいちばんウケたのはヤヨマネクフ(山辺安之助)が南極探検隊に入隊し、金田一京助の家を訪ねた場面。ヤヨマネクフが金田一に「暮らし、苦しいのか」と尋ねると、友人(石川啄木)の面倒を見ていて妻に苦労をかけていることを愚痴ったところです。収入は啄木のほうが遙かに多いのに身持ちが悪いためにたびたび金を無心に来るという。「ワレナキヌレテ、カニトタワムルなんて詠まれても、こっちが泣きたいくらいで」という科白に膝を打った。啄木については学校で「はたらけど はたらけど猶 わが生活 楽にならざり ぢつと手を見る」などと労働階級の悲哀を見事に表現したと習い、素晴らしい歌人と思いこんでいたのだが、実は全く違ったらしいと知ったのは私が年をとってからのこと。その時はまことにガッカリしました。仕事も転々、家庭は放置、借金しまくった上に踏み倒し、そのお金で女遊びをするという放蕩ぶり。知れば知るほど自己中のクソ野郎で私がいちばん嫌いなタイプであります。本書にエピソードが書かれたように、もっと啄木の実像を世に知らしめていただきたいものです。

『成瀬は信じた道をいく』(宮島未奈:著/新潮社)

2024/02/02

『成瀬は信じた道をいく』(宮島未奈:著/新潮社)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

その前途、誰にも予測不能

唯一無二の主人公、再び。

・・・・・・と思いきや、

まさかの事件が勃発!?

成瀬の人生は、今日も誰かと交差する。「ゼゼカラ」ファンの小学生、娘の受験を見守る父、近所のクレーマー主婦、観光大使になるべく育った女子大生……。個性豊かな面々が新たに成瀬あかり史に名を刻む中、幼馴染の島崎が故郷へ帰ると、成瀬が書置きを残して失踪しており……!? 読み応え、ますますパワーアップの全5篇!

【新川帆立】

 すっかり成瀬中毒。また会いたかった! 成瀬、最高に映えているよ!

【佐久間宣行】

 なんだ、楽しい人生を送ることを諦めなければいいのか。成瀬、ありがとう。

西川貴教

 成瀬はゼゼカラ! 僕はヤスカラ! 共に、滋賀を元気にしよう!

 

 

 ファン待望の成瀬シリーズ第二弾。おそらくファンの多くは小説としての魅力よりも、成瀬あかりというキャラ推しが多いのではないだろうか。周りとの調和を考えて自分を抑えること、これは他人と共に生きていくうえでの大人としてのマナーだろう。そこのところ成瀬は自分の心のまままっすぐに突き進む。成瀬にすれば、彼女のもって生まれた怜悧な頭脳で考え導き出されたなすべき事は明々白々。戸惑ったり迷ったりする理由がないのである。自信がなければ他の人はどうしているだろう、どう考えるだろうと周りに合わせ無難な道を行くことも選択肢になる。そのほうが周りとの軋轢もなく生きやすくもある。それが同調圧力の本質だろう。しかし成瀬はちがう。ノイズを排除し問題の本質を捉える目と頭脳から導き出されたあるべき姿はブレることがない。なぜならそれこそ正解だからだ。正解を確信すればあとはそれを行うだけ。そのまっすぐな姿は爽快だ。

 今作で特に味わい深かったのはあかりの父。優秀でなにをやっても満点を取ってしまう子を娘に持ちながら、親としてやはり娘を心配してしまう。高校3年生にして既に親を超えているのは明らかなのだが、京大受験の際には何かあったらいけないからと仕事を休み娘が受験会場に入るまで見届ける。あかりは試験結果に微塵も不安を抱いていない、つまり合格が当然と思っているが、父は世間並みに心配する。大学に入れば一人暮らしを望むかもしれないと一抹の寂しさを感じながらも、親として助けてやらねばと覚悟する。ほほえましくも哀しい父の姿がここにある。そんな父にあかりは感謝の言葉をかけたり、特段のやさしさを見せることもない。しかしそれでもこの家庭は温かい。成瀬あかりと彼女を取り巻く人々との関係も温かい。それは成瀬あかりの歩みが疑いようもなく真っ当で正しいからだろう。

 シリーズ第三弾が刊行されるのかどうか定かでないが、できることならもっと成瀬あかりの生きる姿を見たい。

 先日『成瀬は天下を取りにいく』が「坪田譲治賞」を受賞した由。また同作が「24年度本屋大賞」にノミネートされたというニュースも流れた。めでたしめでたし。

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『「テロリスト」と呼ばれた男』(ドルクン・エイサ:著/有本香:監訳/三浦朝子:訳/飛鳥新社)

2024/02/02

『「テロリスト」と呼ばれた男』(ドルクン・エイサ:著/有本香:監訳/三浦朝子:訳/飛鳥新社)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

習近平が最も嫌うウイグル人のリーダー、日本初書籍! 長年、ウイグル問題に取り組む有本香氏が監訳!

強制収容所」に300万人!
~虐殺国家・中国と、30年以上にわたる闘いの記録~
中国の「罠」は世界中に仕掛けられていた――。

彼はなぜ、トルコに脱出し、ドイツに亡命せねばならなかったのか。
彼はなぜ、国際指名手配となったのか。
彼はなぜ、「テロリスト」に認定されたのか。
彼の母はなぜ、強制収容所で殺されたのか。

沈黙こそが、ジェノサイドの始まりだ!

「78歳の母が収容所に閉じ込められ、命を奪われた時、母の『罪』はただひとつ、私の母であること、そしてウイグル人であることだった」(「まえがき」より)

「あなたの力を決して過小評価してはいけない。あなたが沈黙を破る日、それが一人のウイグル人の命を救う日となるだろう。100万人が沈黙を破る日、それが100万人のウイグル人の命が救われる日となる。2500万人が沈黙を破り、私たちを支持する日、それが東トルキスタンの2500万人が自由を取り戻す日となる」(「あとがき」より)

 

 

「78歳の母が収容所に閉じ込められ、命を奪われた時、母の『罪』はただひとつ、私の母であること、そしてウイグル人であることだった」 これは本書の「まえがき」に記された著者ドルクン・エイサの言葉である。

「俺が電話口で泣きそうになると『母親の私が泣かないのに、なぜお前が泣くの。しっかりしなさい』と叱られるんだ」 これは監訳者である有本香氏が「監訳者あとがき」で紹介したエピソードだ。ドルクンは中国に帰ることがかなわない。国家への反逆者として即刻拘束されてしまうからだ。両親の無事を確認する方法は時々電話をかけ話をする以外に方法がないのである。しかしその会話は当然のこと中国政府当局に盗聴されているので、当たり障りのないことしか話せない。ドルクンは母と父が強制収容所に閉じ込められ常に監視され苦しんでいることに思いを馳せ、つい泣きそうになってしまうのだ。そうすると母がドルクンをこう叱咤したという。なんと強い母か。親というものは子のためなら自分がどんな目に遭おうともかまわない、場合によっては命すら投げ出す。世界に共通する親の心だ。中国共産党はウィグル人に対し大量虐殺、逮捕と重刑判決、収容所への隔離、洗脳、つまりはジェノサイドを行っている。理由は共産党支配が揺らぐことは許さないということだけ。つまりは現体制を維持することで自らの保身を図るためだ。人間のすることじゃない。

 ドルクン・エイサはウィグル人の人権活動に尽力したことによって中国当局から反政府の危険人物と認識され、身の危険を感じるまでになる。彼はやむなくトルコに脱出し、ドイツに亡命する。しかし中国政府はドルクンがテロリスト活動者で多くの罪を犯したとでっち上げ、インターポールのレッド・ノーティスに登録される。そのことによって多くの国で拘束され中国に強制送還される危険にさらされた。自由と法の支配を謳う自由主義国においてさえ、その危険は現実化した。ドルクンがその危機を免れたのは幸運に恵まれたことと、自由主義社会に辛うじて人権に対する配慮があったからだと言える。たとえば第五章「韓国からの逃亡」に詳しく記されたが、自由主義国陣営とみなされる韓国において、二度中国に送還されそうになるのだ。ドルクンは当時、ドイツの市民権を得ていたのでドイツ政府とアメリカ、その他西側諸国が韓国に圧力をかけ最終的になんとか韓国から脱出することができたが、一時は韓国はドルクンの送還を中国に約束していたという。どちらに転ぶか分からない正に危機一髪の情況だったようだ。韓国に限らず中国の強い力のおよぶアジア諸国にあっては中国の言いなりになるところは多かったようだ。その点、日本においてそうした危険を一切感じることはなかったとの記載を誇りに思う。ここで重要な視点はインターポールも大国である中国の影響下にあること。金も人も出しているからである。それは国連も同じこと。国際機関だからといって、無条件に信用は出来ないということだろう。私などは、本書のような記事に触れなければ、国際機関は公平公正に運営されているに違いないといったお花畑的発想をついついしてしまう。己の能天気さを反省せねばなるまい。

 本書に書かれたとおり「中国の夢」は悪夢だろう。「一帯一路」などと華麗な夢を描いてみせるが、その実、中国という大国の力の前に従属させ跪かせようとする意図が透けて見える。中国共産党イデオロギーに世界が従属させられ、人々が抑圧される姿など見たくないものだ。

 

『シャーロック・ホームズの凱旋 "The Triumphant Return of Sheriock Homes"』(森見登美彦:著/中央公論新社)

2024/01/31

シャーロック・ホームズの凱旋 "The Triumphant Return of Sheriock Homes"』(森見登美彦:著/中央公論新社)を読んだ。

 まずは出版社の紹介文を引く。

天から与えられた才能はどこへ消えた?
舞台はヴィクトリア朝京都。

洛中洛外に名を轟かせた名探偵ホームズが……まさかの大スランプ!? 謎が謎を呼ぶ痛快無比な森見劇場、ついに開幕!

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この手記は脱出不可能の迷宮と化した舞台裏からの報告書である。 いつの間にか迷いこんだその舞台裏において、私たちはかつて経験したことのない「非探偵小説的な冒険」を強いられることになったわけだが、世の人々がその冒険について知ることはなかった。スランプに陥ってからというもの、シャーロック・ホームズは世間的には死んだも同然であり、それはこの私、ジョン・H・ワトソンにしても同様だったからである。 シャーロック・ホームズの沈黙は、ジョン・H・ワトソンの沈黙でもあった。

-----(本文より)

【目次】 プロローグ

第一章 ジェイムズ・モリアーティの彷徨

第二章 アイリーン・アドラーの挑戦

第三章 レイチェル・マスグレーヴの失踪

第四章 メアリ・モースタンの決意

第五章 シャーロック・ホームズの凱旋

 

 

 あぁ、それにしても長かった。なんと森見登美彦氏が新作を刊行するのはかれこれ三年半ぶりである。気が遠くなるほど長い間待たされたのだなぁと感慨深い。涙が出るほどである。

 前作『四畳半タイムマシンブルース』で森見氏が再び京都を舞台とした腐れ大学生ものに回帰したことで、その次もあるいはと期待していたのだが、その期待はあっさり裏切られた。今作はなんと主人公がシャーロック・ホームズと来た。なんだなんだ、森見氏もいよいよミステリを書くのか? と思いきや、そこはやはり森見登美彦である。舞台はヴィクトリア朝京都と来た。たとえばシャーロック・ホームズが住まいは寺町通221B、丸太町通の北にはヴィクトリア女王がお住まいなる宮殿があり、また岡崎には「クリスタル・パレス」があるといった具合である。もちろん町中にスコットランド・ヤード(京都警視庁)もある。(笑)

 ここで主要な登場人物を紹介しておこう。

  • シャーロック・ホームズ
    洛中洛外にその名を轟かせた名探偵」。寺町通221Bに住んでいる。
  • ジョン・H・ワトソン
    ホームズの相棒。下鴨本通に自宅兼診療所を構える医師。
  • ハドソン夫人
    寺町通221Bの家主。彼女には天下の名探偵も頭が上がらない。
  • メアリ・モースタン
    ワトソンの妻。「四人の署名」事件をきっかけに結婚したが・・・
  • ジェイムズ・モリアーティー
    百万遍の東、吉田山の麓にある大学の応用物理学研究所の教授。
  • アイリーン・アドラ
    南座の大劇場に出演していた舞台女優。昨年の秋に電撃引退した。

 森見氏お得意の京都を舞台としたファンタジー小説となっており、しかもホームズはもちろんのことワトソンやアイリーン・アドラー、ハドソン夫人、ジェイムズ・モリアーティ教授などかつてコナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」シリーズを愛読した者ならおなじみの登場人物が活躍するとあっては楽しくないはずはない。いつの間にか奇妙奇天烈な作品世界にからめ捕られ、読み耽ってしまった。しかしひとつだけ気がかりなことがあり、手放しで楽しめなかったことがある。それは「スランプ」である。本作ではホームズがスランプに陥っている。それも極度のものである。これがあのホームズなのかと信じられないほどのものだ。自慢の推理力が発揮されず、事件を一件も解決できない。もちろんのことホームズ不振の余波は相棒のワトソンにも、スコットランド・ヤード(京都警視庁)のレストレード警部にもおよぶ。さらにホームズの宿敵、モリアーティ教授までもがスランプに陥っていることが分かる。これら「スランプ」が読み手の私の心証に影を落としたのは、それが作者森見登美彦氏の苦しみでもあることがひしひしと感じられるからである。森見氏は自らのスランプをホームズのスランプに投影している。それが私の印象です。

 そこで私は次のことを言っておきたい。どうぞ気の済むまでスランプでいてくださいと。既刊の作品群だけで私は「私が一番好きな作家は森見登美彦氏です」と言い切ります。おそらくそれは私が死ぬまで揺らぐことはないでしょう。ひいきの引きだおし、毒を食らわば皿まで、私は死ぬまで森見ファンでありましょう。それは『夜は短し歩けよ乙女』で初めて森見氏に出合い、その後『太陽の塔』、『四畳半神話大系』と読みすすめるうち、危険なほど中毒性の高い文章、あらゆる詭弁を弄し人間の業を肯定してしまう天才的な論理、詭弁の裏に隠された哀しいほどの純情など、そうしたものの虜になってしまった私の偽らざる心情であります。スランプなどとは無縁の強者に何の魅力がありましょう。苦悩にのたうちまわり、ときに弱音を吐き、ときに道を誤る人間臭さ、弱さをこそ文学は愛するのです。

 振り返れば2018年の暮れに『熱帯』(文藝春秋社)を読み、そこに描かれたマトリョーシカ的迷宮が当時の森見氏の出口の見えないスランプを表しているようで心を痛めたものだ。そして前作『四畳半タイムマシンブルース』(角川書店)を読み歓びに打ち震えたのは2020年のこと。京都の腐れ大学生ものの系譜にしっかりと連なり、しかも名作『四畳半神話大系』と登場人物を同じくし、そのうえあろうことか歴史改変SFに仕上げてあるというおそろしく贅沢な小説とあって私の心は溢れんばかりの歓びに打ち震えたのであった。もうこれで安心と浅はかに考えていたのだが、その間、その後も悩み苦しんでいらっしゃった由、心が痛みます。先程はどうぞ気の済むまでスランプでいてくださいなどと軽々に申し述べてしまいましたが、願わくば「シャーロック・ホームズの凱旋」が「森見登美彦の凱旋」にならんことを。

 

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『旅のことばを読む』(小柳淳:著/書肆梓)

2024/01/26

『旅のことばを読む』(小柳淳:著/書肆梓)を読んだ。知人からの借り本である。

 まずは出版社の紹介文を引く。

どこかに行きたい。知らない街を歩いてみたい。
世界中を旅してきた著者には、具体的な旅行の計画を立てる前に、普段の暮らしのなかで夢想する旅がある。その時間を充実させるのが、旅のことばを読むこと。それはガイドブックにとどまらない。世界中の人々の衣食住、民族、言語、交通、自然、歴史、文化、芸術、宗教。せっかく出会う未知のものごとを、自分がいま持っている知識だけで判断し、決めつけるのはもったいない。素直な気持ちで向き合いたい。そういう気持ちになる本や、未来の旅を豊かに深める本、手本としたい憧れの旅人について、旅好き、乗り物好き、そして歴史好きの著者が紹介するエッセイ。

 

 

 著者小柳淳氏のことは全く知らなかった。お名前も知人からこの本を借りて初めて目にした。本のあとづけにある著者略歴によると「鉄道会社にて観光宣伝販促、商品企画、インバウンド開発などを経て、旅行業、ホテル業に携わり、2022年に退任」とある。鉄道会社とはどうやら小田急電鉄のようだ。小田急電鉄には一人だけ知り合いがいるが、小柳氏とはまったく接点がなかった。

 本書はあとがきに著者自ら書いていらっしゃるように「旅のブックレビューみたいな本」である。小柳氏は「どこかに行きたいな」と思い、どこに行きたいかが定まってくると「ノートを買うこと」と「旅先に関する本を読むこと」から始められるという。ノートに旅の計画を書き、旅先に関する紀行文、歴史書など様々な関連本を探し読むのだという。場合によってはガイドブックも読まれるそうだが、最近はその土地のことをしっかりと文章で説明したガイドブックはあまりないそうで、ほとんど写真中心のものしかないところが多いらしい。文章の多いものは売れないからだという。むなしい話ではないか。

 事前に旅をする土地の風土や自然、歴史を調べ、頭に入れたうえで旅をするのだから、旅は自ずと深く味わい深いものになる。ただ綺麗なところ、めずらしいものを巡るだけの薄っぺらなものではない。まさしく旅の王道、正統派の旅と言えよう。事前の計画、読書から旅を楽しんでいらっしゃる。というより小柳氏にとって事前の計画からが旅なのだろう。私にはとても真似できそうもない。

 私の旅はといえば、移動手段とルート、そして何を食べるか、良い居酒屋があるかを調べるだけ。旅の手段も自転車が多いので、1日の移動距離の制約を考慮して大まかな計画を立てるだけで、あとはなんとでもなるさと出たとこ勝負だ。しかし自転車なので、それでも町の様子や生活ぶりを感じながらゆっくりと観てまわる旅となり、それなりに充実したものになる。

 旅好きという共通点はあっても、小柳氏と私とは興味の対象にズレがあるので、読んでいて興味を持てなかったところも多い。いちばん楽しめたのは終盤の「旅人」という章に書かれた沢木耕太郎松尾芭蕉、車寅次郎について書かれたエッセイ。彼ら旅の達人ともいえる人々は私にとっても憧れの人なのである。

 

『これは経費で落ちません! 11 ~経理部の森若さん~』 (青木祐子:著/集英社オレンジ文庫)

2024/01/24

『これは経費で落ちません! 11 ~経理部の森若さん~』 (青木祐子:著/集英社オレンジ文庫)を読んだ。

 本シリーズもこれで11作目。シリーズのプロローグともいえる『風呂ソムリエ 天天コーポレーション入浴剤開発室』も入れると12作目になる。続編の発売を心待ちにする大好きなシリーズである。

 まずは出版社の紹介文を引く。

結婚に向けて、本格的に動き始めた沙名子と太陽。しかし一緒に生活をするとなると、決めなければならないことがあまりに多い。交際は順調な沙名子と太陽だったが、食い違うことも多く沙名子の不安は積み重なっていく。年始の休みを利用して、お互いの実家に挨拶に行くことになったのだが…?仕事、家事分担、指輪、結婚式、名字などなど…結婚準備は大変すぎる!?慣例。まわりから期待される関係性。これは敵かもしれない。

 

 

 太陽の大阪営業所転勤によって遠距離恋愛となって9ヶ月。二人は結婚にむけてやるべき事をひとつずつつぶしていく。といってもToDoリストを整理したのは沙名子だ。太陽は鷹揚に構えており、結婚は二人がその気になれば簡単にできるものと思っている。しかし沙名子の作ったリストをもとに、どうするかを二人で話し合うとどうすべきか迷うけっこう厄介な問題も多い。沙名子はそうしたことをひとつひとつ丹念にやっていかないと気が済まないたちだ。そしていずれ片づけなければならない問題はサッサと片づけるに如くはないと考えるたちでもある。現実問題への対処において、沙名子は太陽が足下にもおよばないほど優秀だ。そう、二人はまったくタイプの違う人間である。一見ミスマッチな二人に見えて、見方を変えるとお互いが無いものを補うベストカップルにも見えてくるから男女というものは不思議である。

 両親への挨拶はいつどのようなかたちでするか。婚約指輪を買うのかどうか、結婚指輪はどうするか。仕事は今のまま続けるのか、どちらかが会社を辞めるのか。考えれば迷うことばかりだ。いちばんの問題は結婚後どちらの姓を名乗るか。いやはや大変だ。しかしこうしたハードルを造作なく乗り越えてゆけてこそ結婚に至れると言えよう。結婚というのはつくづく人間が試される制度ですな。

 

『高瀬庄左衛門御留書』(砂原浩太朗:著/講談社時代小説文庫)

2024/01/22

『高瀬庄左衛門御留書』を再読した。

神山藩で、郡方を務める高瀬庄左衛門。五十歳を前に妻に先立たれ、俊才の誉れ高く、郡方本役に就いた息子を事故で失ってしまう。残された嫁の志穂とともに、手慰みに絵を描きながら、寂寥と悔恨の中に生きていた。しかし藩の政争の嵐が、倹しく老いてゆく庄左衛門を襲う。文学各賞を受賞した珠玉の時代小説。

第9回野村胡堂文学賞/第11回「本屋が選ぶ時代小説大賞」/第15回舟橋聖一文学賞/「本の雑誌」2021年上半期ベスト10第1位。

 

 

 私が参加している月イチの読書会『四金会』の今月の課題本である。とうぜん本書を推奨したのは私だ。日が近づいてきたので文庫本を入手し再読した。本書を読んだのは昨年の6月のこと。図書館に予約を入れ、半年ばかり待たされてやっと読めたのだった。感想はその時のブログに詳しいのでリンクを貼っておく。

jhon-wells.hatenablog.com

 

 再読であってもまったく色褪せない。もちろんあらすじは既に頭の中にある。それゆえかえって文章を味わい、登場人物の心情に思いを致しながらじっくり読むことが出来た。何度でも読み直しに耐えるだけの質をそなえた小説であることが改めて分かった。

 この年末年始、クリスマスシーズンに街を歩けば訳もなくロマンチックな気分にひたっているらしい若者たちを腐るほど目にし、嫌気がさして家でドラマや映画を観るとこれまたどれもこれも愛だの恋だの生きるの死ぬのと恋愛至上主義の大安売りだ。あさましいというか下品極まりない。そんな気分の中、こうした小説を読むと日本人はこうあらねばならぬなあとしみじみ思った次第。